はい、こちらフランスのパリ郊外。今日も、雨。なんだか、毎年、四季の配分がいい加減になってきている。地球も疲れてるんだろう。メリハリがなくなってきた。今年、七月から八月中旬。雨雨。庭のミニ畑のトマト全滅。いんげんだけ、収穫。パセリ君は、毎年、引き篭もりで、今年も発芽しない。褒めても叱っても、発芽しない。ちょっと、彼には、お手上げだ(俺の思春期を思い出す)。八月中旬から二週間ぐらい真夏日。九月、秋晴れ。中旬から、今日まで、雨雨。と、大雑把な印象。このフリージャズみたいな変則リズムのせいで、無花果、葡萄、梨、林檎。果樹系も、全滅。なんだか、芝生だけが生き生きしている。
はい、それで、この動画。この曲は、あんたがたどこさ、ソーウァットと、結構ハイになり、なんとなく、自分への労いみたいな感じで作ってしまった。もちろん、正直、マーケッティングの意味もある。YouTubeへアホのように動画二十七本をアップロード(現在は、小休止)。逆に、俺のことを知っている連中には、あまり、宣伝していない。むしろ、俺の知らない方々の反応を見てみたかった。金子みすずさんシリーズの二本を除いた曲のスタイル内訳を書いてみる。
「アコースティックピアノ」
即興演奏(まあ、典型的なフリージャズ)
ジャズのスタンダード
自作および日本の童謡を編曲したメローな曲(ちょっと、陳腐だけど、聴き易い綺麗な曲)
「シンセサイザー」
ジャズロックぽい曲
ローランドの自動アルペジオの機能を使った、ディスコ風の曲
そして、このスペース1(2が、ちっとも、できない)
こんな感じ。当初の予想とは裏腹に、カテゴリーごとの再生率は、まったく関係ないことが分かった。もう、曲ごとにまちまち。なんか検索エンジンの表示の仕方にも関係しているのか、パソコン音痴の俺には分からない。この結果は、「まったく、マーケッティングにはならないことが」分かっただけとなった。でも、何週間も再生されなかった曲が、突然、どばーと再生され始めたりと、やはり、インターネット様のなさることは、いまひとつ分からない。
で、ブログも同じで、俺を知っているやつには、あまり、宣伝していない。知らない方々に、どの程度、読まれるのか。それ以外に、面白いブログを発見するため、こちらの方が大きい。あっ、その前に、動画のプロモートのためというのがあったが、こちらの効果は、ほとんど、今のところはない。大体、ブログ自身、ほとんど読まれていないから、当然だ。タイトルとか紹介文が、やはり、興味の対象になり難いのだろうなぁーとか思ってるけど、他に書きようがないの。やはり、おっさん、この全体の老朽化は避けては通れないわ。まあ、順位なんて、どっちでもいいので、しこしこ、しつこく書きまくるだけだ。前に書いた通り、フリージャズ屋は、そんなことではめげない。お客様が、たとえお一人でも、手は抜かん。数の問題ではないの。
急に、「フランスというスペース」。
以前のブログと重複するが、俺の家は、パリから35km離れている。でも、丘の上に建っているので、パリのデファンス地区の高層ビル群が見える。この見晴らしが気に入り、フランスの不動産バブルが始まる前に購入した。今からでは、俺の収入では購入は不可だから、人生設計上は、当たり。で、英語式にいうと、シティーハウスというやつで、左右がお隣りとくっついている。半地下(丘の斜面なので、入り口が一階で、庭のレベルが地上階)、一階、二階、屋根裏部屋。同じ通りの家々の基本構造は同じ。ただ、「その収入差」が、「家の幅」になる(奥行きは、増築しない限り、基本同じ)。俺の家は、同じ通り小さい家ランキング、三位だ。豪邸に挟まれた小さな家。なんかジャズ屋に相応しく、気に入って居る。俺の左側の家は、大学の先生。俺の家より、幅が1m少ない、ジャズ屋の勝ちだった。どうでもいいけど。ただ、この通りは、この町では、「高級住宅街」として知られているから、住所を言うと「金持ちと勘違い」される。お金があるならともかく、この「勘違い」は、営業妨害だって。玄関に、俺の収入を張っておこうかしらね。村八分になったりして。貧乏人は、住まないで下さいなんて、書き込みされたりして。
注 各家の母屋からの庭の奥行きは二種類
小道まで延びている家は、たぶん、100m。途中で、石垣でちょん切れている家が60m
俺の家は後者。庭の面積の算出は簡単。家の幅x奥行き。当然だけど
俺の庭は、広いというより長いのだ。家が小さいから、そうなる
で、サロンの窓から、俺の家の庭、左右のお隣りの庭。そのお隣りの庭。それから、もっと先の森。とにかく、諸々の木々が見える。ただ、おっさんのくせに、木々の名前が、ちっとも、分からない。剪定の仕方は覚えたけど(庭全体がキュビズムから、段々、シュールリアリズムになってきたので、必死で覚えた)。とりあえず分かるのは、自分の庭にある木の一部。菩提樹。ローリエ。梨の木。無花果。林檎の木。果樹は自分で植えたから、知っていて当然。後、諸々の低木。これは、半分は自分で植えたのに、良く分からん(フランス語なので忘れてしまった。あっ、山茶花がある)。桜の木は、あまりに大きくなり過ぎたので、忍びなかったけど、切った。なんか、寂しかったので、ごめんなぁーといいながら。ただ、ご近所迷惑もまずい。
やはり、年のせいか、花をめで、深緑色の葉っぱを撫でる。梨の実をじっと見詰める。落ち葉を掻き集め、落ち葉とお話ししたり、落ち葉(俺)が落ち葉を掻き集めて、しまいに、自分も捨ててしまったりして。ぎょ。とにかく、そこいら中に緑がある。そのせいか、俺は、今以って老眼鏡がいらない。注、若い時分に勉強をしなかったせいというのが、兄弟間の意見だ。学歴順にメガネとなった。兄貴(俺)が一番遅かったから、仮説ではないようだ。
日本人だけなのか、分からんが、自分(人間)を草木と同列に置いて刹那を感じたりする、凄い能力がある。フランス人がこの境地になるのは、修行を重ねて五十年ぐらい掛かるんじゃないの。俺なんか、草木の方が偉いなんて思っちゃうから、謙虚の権化だし、五十三歳で、悟りの境地。でも、先が長いんだな、これが。大体、梶井基次郎の桜のフレーズなんか、もう、舞い上がるぐらい素晴らしい。皆さん、ご存知の、「桜の木の下には、死体が埋まっている」。わいわい、死がどうのこうのと書き立てる若僧の詩なんか、俺は読まないけど、これは、凄い。大体、この詩っていうのが胡散臭い。これは詩ですって言われてもね。自分の内部に感応するものが、それだから、先方から、はい、詩です、どうぞ召し上がれ。なんか、胡散臭い。
文学は、人間の闇を暴くとか、本質とか、生と死とか、そりゃー、昔は俺だって考えた。
今は、自明のこと。人間なんて別に大したもんじゃないから、闇も本質も興味ないし、生と死が表裏一体。だから?となってしまい、楽しくやろうぜぇーとしかお答えできない。
ありゃ、なんだっけ?
はい、それから、丘の下に小川。それから名前は書かないが、大動脈の川。人工湖。良く川沿いに湖まで自転車で行く。湖を一周し、帰って来る。近所のお城にも、良く行く。それから、パリ近郊で、もっとも大きな森。どれが一番広いのか分からんが、複数あるので、その時その時の気分で変える。起伏のある方がいい感じって時もあるし、鬱蒼とした木々がいいなぁーという日もあるし、沼の辺の林がいい、なんて日もある。木々の形が面白いので、見とれてしまう。諸々の鳥も不思議。うさぎだの、鹿が走って行ったり。熊、猪は、出てきたら、ちょっと、怖い。
若い頃は、当然、パリの喧騒と、人口密度がしっくりしていた。
今は、コンサートしに、なんとなく、職場に行くっていうノリに変わった。
あんまり、人とか車とか建物のない空間の方が良くなった。でも、サハラ砂漠をお散歩したくはないから、そうなると、植物、川、湖。木々と水となる。後、地面の土だね。地面を忘れていた、すいません、地球に感謝。
なんか、文体が老け込んでない?
ほっといてくれっ!雨雲のせいだよって!
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