2012年9月29日土曜日

難しい会話

この動画、演奏。YouTubeの俺の動画の中で、一番再生率が悪い。当然、予想はしていた。即興ピアノ方面が、一番、再生されんだろうと。その中でも、特に悪い。今、久しぶりに動画を見てみた。映像が、やたら、格好いい。孤高のピアニストってな雰囲気が、良く出ている。で、なんだか知らんが、ここ一週間、YouTubeの映像が切れ切れになる。町田康の小説のタイトルと同じだ。あまりに切れ切れなので、途中で、視聴を止めて、これを書き出した。ピアノも弾けない、料理もスーパーの買出しも草むしりもできない。YouTubeも切れ切れで見れない。あのねぇーーー、あんたぁーーー、なめとんかぃ?えっ、いや、御腰様への発言では、ございません。

「前号までのあらすじ」
フリージャズピアニスト、裕イサオ(53歳)。今週の日曜日、洗顔中に、ぎっくり腰となり、寝たきりないし座りきり状態となる。裕イサオ(53歳)は、それ以後、すべてのライブをキャンセルし、パリ近郊の保養地にて再活動を目視し、今は療養している。窓越しに、小鳥と口ベースにてセッションしている(有様である)。裕イサオ(53歳)の一日の重要な要素は、ピアノ、スーパー、料理、庭弄りと、とととととっ、YouTubeの視聴というシニアプータローさえ愕然とする普通の生活を営んでいたが、この普通の状態に.....

えっ?

なんだっけ?

あっ、この曲ねっ。実は、週間実話、俺自身は気に入っているのだよ。俺の師匠、沖至にも、
「イサオ、うーん、悪くないよぉー、もう、ちょっと、パッサージュ、長いのやってみよぉーーー」
と、励ましのメールまで頂いて居るのだ。でも、理解されん。世間は冷たいのぉー。しくしく。

「前号までのあらすじの詳細、追記」
裕イサオ氏は、今、ドイツのバーデンバーデンの運河の辺で、ソーセージを食べている。金髪一名。栗色一名。東洋系一名の、巷で呼ばれるイサオガールズと一緒だ。絶対に、高級ホテルに泊まり、表向きは、ぎっくり腰とマスコミを欺き、保養とはなってはいるが.....。
「キャサリン、タバコ買ってきて」「わりー、500euro札しかねぇーよ、いいよ、つりは。みんなの分もな」「はぁーーーい」キャサリン、スエーデン人。172cm。金髪。スリーサイズ。92 62 88。因みに、裕氏は、流暢な英語で。
「いっさお」「なに?」「今晩どこでたべるぅの」日本語だ。「イザベルの食べたいとこでいいよ」「でも、たっかいよ」「そんなに高いの?」「ひとりぃー、にひゃくゆうろぐらいかなぁー」
「あっ、そ、予約しといて」イザベル、フランス人。167cm。栗色。スリーサイズ。90 60 88。
「ねぇー、イサオぉー、ここ退屈ぅーーー」「なんだよ、お前?」「なおちゃん、退屈ぅー」「だから、直子はなにしたいの?」「ご飯食べたらぁー、ディスコ、行きたいのぉーーー」「あっ、そ、いいよ、いっぱいあんだろ、この辺は」直子、日本人。スリーサイズ。165cm。86 57 85。

裕イサオ。四十二歳。元ラグビーマン。182cm。鋼のような肉体。性格は温厚だ。日本人なのに顔が小さく、男臭いデビッド ボウイといった容姿。三歳の時からクラッシックピアノを始め、十五歳の時には、すでに、次代のマウリッツィオ ポルリーニと噂されていたが、突然、ラグビーへ。日本人初のオールブラックスのメンバーとなり、年収は十一億。三十五歳にて引退。突然、ジャズピアニストとしてデビュー。世界のベストドレッサー。もっともセクシー。男性部門にて、七年間首位の記録を作る。

今回は、四人なんで、目立たない、シトローエンのCXにした。マスコミを欺くには、丁度いい。
はっはっはっぁーーーーー。はっはっはっーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

台所で、吹き零れる出前一丁。立ち上がれない。うぁちゃー。

ギックリとコッシー

冗談半分で、童話ギックリとコッシーなんてブログに書いたけど.....
日曜日の朝に、ぎくっとやって、月曜日、火曜日、寝たきり。で、火曜日、深夜近くに寝返りを打とうとして、もっと酷い、ちょっと、電気的、一瞬、息ができない、二度目のぎくっ。
水曜日、寝たきり。木曜日、本日と座りきりブログ文豪状態。
ピアノの練習は、日曜日にヒイヒイいいながらやったきり、まったく、できない状態。
やはり、相当な重症らしく、明日、救急病院へ行くことにしました。

物書きでもないのに、一日中ブログ書いてるピアニストなんて、やはり様にならんし、飽きてきた。でも、前に書いたように、黙々と原稿書いて、だれにも読まれずに、ダンボール箱へ、よりは気分はいい。インターネットも満更ではないなぁーと思う。第一、編集者だの出版社が介在していないのも、すっきりしている(向こうの見地で篩いに掛けられてしまう)。産地直送。新鮮そのものだ(俺のブログみたいにできの悪いのも混ざるけど、そこが直送のいいところ?)。ブログランキングのご近所で気に入ったブログも見つかったし、コメントも送ったし、目を細めて、うんうんなんてひとりでやって居る。

音楽ブログ。特に初心者奮闘記が気に入っている。こちらも身に詰まされるし、やはり、日常に音楽がある。ミュージッシャンなのにしみじみ、いいなぁーと思うし、応援したくなってくる。ヘボピアニストだから上から目線なんかにはならない。奮闘する仲間っていう感じで愛おしいです。それから腰の据わったエッセイ。毎日をきちんと生きて、見詰めて書かれたエッセイ郡。拝読させて頂いて居ります。まとめて出版されないかなーと思っています。私は、元々は詩を書いていたので、散文詩形のエッセイ。きちんと書かれた骨のあるエッセイ大好きです。拝読致します。お送りしたコメントにも明記しましたが、商売柄、私のブログは、おちゃらけ文体でないと成立し難いので、この筆トークはこんな感じになってます。その内、詩魂が戻ってきたら、別のブログ作ります。それから、ちょっと、面白いエッセイ。ちょっと、なんていい方は失礼だけど、内容も文体もとても素敵。私より遥か彼方ぐらい若い方だけど、将来の大作家の気配を感じています。応援してます。冷や冷やしながら読んでます。俺も鬱病で苦労したから、他人事とは思えない。

前回、といってもさっきなのだ。ちょっと、分かり易い文体でマジな文章を書いてみた。
で、俺のピアノはなんなのだと、当然、考える。俺はクラッシック音楽の信奉者ではないし、どちらかというとあまり好きではない。たまに聴くのはグレン ゴールドとマウリッツィオ ポルリーニだけ。前者は、弾いている姿が粋だし、まず、本人がなんか面白い。で、後者のストラビンスキー「春の祭典」なんて、この人、ピアノのターミネーターか?ってな感じ。なんだか凄過ぎて素敵だ。えっ、はい、私も、ピアノを少し、なんてこの人の前では言えない。ピアノで指のマッサージしてます。効くんですよぉーーー、とか言うしかねぇーよ、つったく。

日本人が、お習い事、教養とか花嫁修業みたいな感じで、クラッシックピアノをやる。これがどうも好かん。アメリカの植民地か、日本は、とかなんか引っ掛かる。この引っ掛かりがどうしても取れない。すいません、クラッシック音楽に、なんの他意もございません。俺がガキの頃、ピアノ教室に通っていたのだけど、炭鉱の町で、男の子がバイエル抱えて歩いている自分の姿がなんだか変(態)に思った。銭湯、ゴム長穿いた魚屋のお姉さん、生協。炭鉱従業員の木造の長屋と、共同便所。この空気の中のバイエルというのが、ハレーション。もういいや、俺は野球。と言って止めてしまった。

で、ジャズの信奉者なのかというと、これも、なんか違和感がある。日本人が、アフリカの帽子被ったり、チョッキ着たりと、第一、似合わない。ジャズジャイアンツのレコードのコピーしたり、黒人のリズム感を一生懸命、習得したり、これもやはりピンとこない。唯一、日本の夏祭りの太鼓とか横笛とか、民謡のはぁーーー、はぃーはぃ。なんて、これは俺のソウルに直撃する。じゃ、浴衣着て、草履履いて、パリのジャズクラブでやればいいとなる。やってもいいけど、やり方が分からない。

そうなると、なんにも属さないエスペラントミュージックしかない。
で、俺がやってる音楽がそうなのかどうか分からないけど、そうなのかも知れない。ちょっと、ジャズっぽい感じの音楽。なんにも信奉してないから、こんな風になってしまう。よく言えば、俺自身の脳みそが比較的、オヤジのわりには自由なのだろう。本当は、プッシー キャット ドールズみたいに、踊りながら歌いたいんだけどなぁー。整形するか、顔のたるみ。とはいえ、なんぼ整形しても顔の大きさは変わらんのだ。六頭身は整形できません。むむ。




2012年9月28日金曜日

セシル

セシル。ちょっと、女の子みたいな名前ですが、フリージャズファンは、もちろん、ご存知の通り、セシル テイラーのことです。この動画の私の演奏については、セシル テイラーの物まねもどきといった程度なので、特にコメントはしません。

どうしてジャズなのか。しかも、フリージャズなのか。ちょっと、重苦しい内容になってしまうかもしれませんが、むしろ、ジャズは分からんとか、フリージャズなんて難しくて、といった方々にお読み頂けると幸いです。

日本は、世界でもっともジャズのCDが売れている国。私の世代から、その上の世代にジャズファンが非常に多いので、そのようになったようですが、その下の世代は、あまり聴かなくなったと思います。とりわけ若い世代には皆無なのでは。フランスも、ジャズを聴く連中、私の周りには多少いるといった程度で、それ以外には、あまりいません。特にフリージャズを聴いている人、日本でもフランスでも、ほとんどいないと思われますが、意外や意外、フランスの一部の若い連中が、結構聴いていたりする。

インプロビゼーションに興味のある層が聴いていて、たぶん、何やってもいい、制約ゼロ、特に音楽教育を受けていなくても、音は出せるとか、ある意味、とっつき易いせいなのでしょう。
これは、まったく悪いことではなくて、長続きするのかは別として、はまってしまう若者が増えるのは、望むところ。

「セシル テイラー」
ジャズの世界で、ピアノでフリージャズを最初に始めた人です。で、このフリージャズとはなんなのですか?となりますが、ジャズのコード進行とか、取り決め事項を、すべて無視して演奏する。では、なんで無視するのですか?なんのためにとか、なんか意味があるのですかとか、諸々の根源的な疑問が沸いて来る。私も含めて、自由に音出していいのかぁーーー、やってみっかーーーという、大した問題意識がなく始める。これが今日のインプロビゼーションの根底ですが、セシルの場合は、まったく違います。

セシル テイラー。幼少期からクラッシックピアノを始めています。いわゆる基礎がないので、デタラメをやっている。このケースではない。実際、「普通のジャズピアニストとして」、若い時分から頭角を現しています。少しずつ彼の中で、クラッシック音楽、ジャズといったものが溶解瓦解して行った。どうしてなのかは、私には分かりません。

クラッシック音楽。西洋(特にヨーロッパ)の伝統音楽。白人と呼ばれる人種が築き上げて来た高度な音楽体系。クラッシック音楽史は、私は良く知りませんが、バロック音楽とか、もう少し身近ですと、ベートーベンとかモーツァルトとか、それから現代音楽まで。ジャズは、皆さんご存知の通り、ルーツはアフリカ。アメリカの黒人が始めた音楽。詳しい歴史は割愛しますが、分かり易く
書くと、アメリカという国に限定してみます。アメリカの白人、奴隷として連れて来られた黒人。奴隷解放。当然、白人も黒人もアメリカ人。

ビル エバンスが、マイルスのバンドにいる頃、黒人から逆差別、いじめにあっていたことを知りました。ビルも参ったらしくマイルスバンドを脱退している。バンドマスターのマイルスにもクレームが殺到していたことも、最近知りました。なんで、白人なんて雇うのだと。マイルス、「俺は、いい音出す奴は、緑色の奴だって雇うぜ」とコメントしている。

現在のアメリカで、こういうことはなくなっていると祈りたいですが。
これでお分かりの通り、このクラッシック音楽=白人対ジャズ=黒人の構図が根底にあります。セシル テイラーは黒人。確実に彼の演奏の中に、アンチクラッシック、アンチ白人が潜んでいる。で、なぜ、フリージャズなのか。普通にジャズしていればいいではないかとなる。ここが本題ですが、ピアノという楽器、ピアノという形に凝縮されたもの、これこそ西洋文明、白人世界の象徴。ピアノという楽器自体が、そもそも、その最大の象徴。もう、記念碑的な楽器です。

セシル テイラーの演奏をお聴かれになると、ずばり、感じる毒気。あくの強さ。ピアノという楽器自体を、彼は、あざけっている。馬鹿に仕切っているし、破壊しようとしている。先に書いたアンチの怒りと凄まじいあざけりが剥き出し。お前ら、俺たちに何してきたか、忘れんじゃねぇー、絶対に許さんし、つけは返してもらう。何がピアノだっ。

最終、クラッシック音楽のルールも、ジャズのルールも、ピアノ演奏の基本も、彼は破壊するしかなくなった。ただ、ピアニストだから、弾きながら破壊するという矛盾かも知れないが、それしか選択肢がなかったはずだ。

もちろん、私のピアノ演奏の中に、そういう重たいものは何もない。だから、音も軽い。だから、もどきなのだ。はったりおちゃらけピアノ。唯一、クラッシックでもジャズでもない、何にも所属していない自由な気持ち。これだけです、多少、重たいのは。


三人のピアニスト

わたくしが、影響を受けたピアニスト。影響なんて受ける程の才はないから、好きなでいいか。
正確には、二十三年間のピアノの空白の後、ピアノ再開の原動力になったピアニスト。

「ビル エバンス」
これは動画との兼ね合いがあるので、後述。
こないだインターネットで調べたら、麻薬でボロボロだったことが分かった。
多少は知っていましたが、想像以上に酷かった。

「キース ジャレット」
と言うと、頻繁に、えっ? 裕さん、好きなの?と聞かれる。
そんなに意外ではないと自分では思っとるのだけれど。
あんまりブルーノート使わないし、♯が多い奏法だし、不協和音もあまり使わない。
音が、ハーモニーが綺麗。そのせいで、女性への人気も抜群。

ということもあるにはあるが、俺は実際にロンドン、バービカンセンターで、確か、1981年か82年にソロコンサートを聴いている。白いスポーツウェアー、首にタオル、テニスシューズ。まず、この格好がいかしてた。俺も黒いスポーツウェアーと赤いレイシングシューズと銀色のマニュキア。真似したつもりはないけれど、この頃のキースの格好に近い。マニュキアは、なんか格好いいのでやっている。おかまじゃないよ。でも、女友達に「俺が化粧したら、おめぇーより、俺の方が綺麗だぜ」なんて、いじめトークしてるのはなんなんだ。ごめんなさいねぇー(まつこデラックスの声で)。

で、演奏中の動きが、ピアニストの通常の姿勢、90度のやつではなく、腕は鍵盤と水平に、体は真っ直ぐなんていうのではなくて、下向いて猫背で弾くわ、立ち上がって弾くわ、ピアノの下に潜り込んで腕だけ鍵盤上とか、ヨガの体操そのままだった。その間、ずぅーーーとド音痴の例の歌のような唸り声。この格好もいかしていた。俺もこういう動きはよくやる。真似した訳ではなくて、どうしても演奏上、こうなる。時々、唸りながら弾くのも同じだ。

で、最大の理由。スピード、ノリ、自己陶酔の極地。これがなんとも好きなのです。最近のスタンダード集でも、スタンダード曲なのに、凄まじいスピードとノリ。いかしている。ゲイリー ピーコックとジャック ディジョネット。このハイテクなのに温厚なふたりの紳士に両腕を支えられていなければ、このピアノ悪ガキは、どっかに飛んで行ってしまう。

キースのベストアルバムは、俺にとっては、すいません、タイトル違うかも。ゲイリー ピーコックの「アナザー テイル」。俺が東京でさんざん聴いたから、七十年代後半のアルバムのはず。この中のキースの演奏。インパクトと緊張感は素晴らしい。ジャズピアノの極北です。もう凄まじいの一言。脱帽。シャフルしてスイングして、しかもハイテク。もう、これはかなわん。モーツァルトご本人が、ジャズピアノしているみたいだ。

ロンドンにいる時は、まだ、ピアノを再開していなかった。アート スクールの学生だった。アート スクール出身に、なぜかミュージッシャンが多い。デビッド ボウイ、シャーデーとか。日本でもユーミンとか。なんでかね。で、キースのコンサートを聴いて、格好えぇーーー、俺も、あんな風にピアノ弾ければなぁーーーというのが、ずっと後のピアノ再開の布石になったはず。

坊主刈りの田舎の学生服着た中学生(イサオ君)が、夕日を見ながら、「俺も、東京さ、いぐぞぉー」なんて、心に誓った。その時、イサオは、まだ見ぬ、東京の喧騒を確かに聞いた。行き交う人々、煌々と灯された高層ビルの窓。窓。車のヘッドライトの海。タイトスカートで闊歩するOLの素敵なお姉さんたち(のお尻)。先輩たちは、あんなとこ行くなと言っていた。東京なんて、掃き溜めだと。でも、僕は確かめたい。本当にそうなのかを。そして、僕は立派なジャズピアニストになって、先輩たちを見返してやりたい。僕には、ピアノがあった。なに小説書いてんの?

「山下洋輔」
直接のピアノ再開の原動力になったのは山下さん。
山下さん、お元気ですか? 95年だったと思うのですが、俺が散文詩形の自伝小説の出版記念で郷里に帰っている時に、山下さんのソロコンサートが丁度あった。主催者から電話があって、山下さんの熱狂的なファンと聞いた、コンサートプログラムになんか書いてくれ。で、書いた。ガーシュイン曲集のコンサートでした。終了間際に、プログラムを書いたマルマルさん、ちょっと、お立ち下さいと言われて、あっ、俺じゃねぇーかと立ち上がって挨拶しました。山下さん、「ありゃ、なんだぁーーー、若い人かぁーーー。あっ、ありがとうね」。で、打ち上げで飲みに行って、「山下さん、俺、パリで現代美術やっとるのですが、作品の中にピアノがあるんですよ、是非、弾いて下さい」などと、しゃーしゃーと詰め寄り、山下さん、ちょっと眉間に皺。「あっ、い、いつかね」とおっしゃった。当然だ。忙しくて、若僧の戯言に付き合っている時間はないわな。丁度、今の俺ぐらいの年だった。物凄く物静かな印象で、演奏とかドシャメシャエッセイの印象と随分違ってた。近況は、沖至師匠から聞いています。「ヨースケ、パリに来ててなぁー」と。結局、この作品の中のピアノを自分で弾いたのが、再開の狼煙になりました。ヨースケヤマシタトリオのイメージでピアノを弾き出しました。時々、鍵盤血だらけになっているような演奏でした。

この三人が、ピアニスト、裕イサオの三元素でした。

2012年9月27日木曜日

遡上

この動画がアップロードの順番では、第七作目。久しぶりに見てみた。
もし、この動画だけ見た方がいらっしゃったとする。俺のイメージは、薄いサングラスをした気難しい孤高のピアニスト。しかも超絶技巧付き(これは疑問だけど)。こんな感じになるはずだ。拙かった。その他の動画をすべて削除し、このおちゃらけブログも、まったく別の文体にしないといけない。ぎっくり腰の話なんぞは、もってのほか。イメージダウンはなはだしい。では、孤高のピアニストとして、ブログもやり直す。

裕イサオ「不可視の音世界」「無音階について」
所謂、音の世界は、無限の不可視の音の羅列と私は捉える。不可視とは適切な単語ではないが、敢えて私は可視的な音世界の素粒子があると信じ込もうとしているのだ。ピアノは芸術形態の極北であると。私の演奏の根幹をなしているものは、ロラン バルトの言う非整列的構造世界だ。ビィドゲンシュタインの論説でもあるかもしれぬ。人間の営為のベクトルは、否応がなく世界の構築へと向かうが、私は構造主義的な構築を信じぬのだ。破壊的な創造がない限り、所謂、原風景的な何かと申せようか、破壊の繰り返しこそが世界観の再構築へと通底するのだ。世界を構成する諸元素は、ヘンリ ミラーの言うところの逆説的なアンビィバレンツでしかない。

どうかしらねぇー? イメージ変わると思うんだけど? 駄目かしら?
二枚目に徹する。元々、二枚目だから、それも、その気になればできなくはない。ただ、自分の動画の自分の映像見て、なんかぁー、顔浮腫んでんだけど。おっかしぃーなぁー、良く寝てんのになぁー、なんて言って、とうとう気が付いた。むくみちゃんでなくて、たるみちゃんだった。年で、顔の輪郭が崩れてんだよ、まったく。昔の美少年の面影、どこいったぁー、となった。しかも、お金がないから、貫禄も渋みもまるでない。シニアプータローの顔だ。

で、この演奏が一番ライブ時に近い。はっきり言って指の訓練だけすれば、だれでも弾ける。
フリージャズって、フランスではあまり言われないので、インプロ(ビゼーション)と呼びます。確かに、ジャズという名称は必要ないでしょう。クラッシック畑出身も多いから、ジャズジャズって無理して付けなくてもいいし、クラッシック畑でもジャズ畑でもどちらでもないインプロバイザー(即興演奏家)も多い。私のスタイルは、タモリの「ご家庭でできるフリージャズ」というパロディーネタの再パロディーから来ている。で、なんのコンセプトもなく、とりあえず、弾き始める。その内、なんらかのイメージというのか音の感じができてきて、で、なんとなく続けて、段々、ハイになってきて、こんにゃろーなんて言いながら弾くと、こんな曲ができる。で、良く聞かれるのは、と言うことは、同じ曲は二度と弾けないのですよね(デタラメじゃん)? はい、と言ってしまうと、デタラメなのがばれるので、もちろん、何度でも弾けますよ、と答える。嘘つきっと言われる前に、これは、本当なのです。即興時の音の羅列が頭にインプットされているのです。

なんか独断を承知で、インプロバイザー。クラッシック畑出身とジャズ畑出身は、やや違う。前者。無機的な感じがすることが多い。ないし、ドゥビッシーの土壌なのか、無機的無音階系以外に、もの凄く、綺麗な和音を使う奴も多い。後、弦だけ使うとか。ジョン ケージの土壌もかなりある。ジャズ系は、どうしてもセシル テイラー(セシルについては後述)、山下洋輔さんの土壌が尾を引いていて、破壊的、暴力的系が多い。エモーショナルなのだ。俺は、段々、年と共に、真ん中辺りになってきた。プロボッケ(挑発、これみよがし、はったり)の元気がないと、暴力系はいかさない。で、やはり、いい年こいたチャンジー(じーちゃん)が杖ついてやってもなぁーと、またまた、小津安二郎方面へ気持ちが行ってしまう。そうすると、お笑い系インプロバイザーという新しいジャンルが出現する。

五年前だったか、リール市が持っている前衛芸術のアーティストレジデンス兼ライブハウス、マルトリー(昔のビールの貯蔵庫)でのコンサート。「お前のピアノを隠せっ!11人の先鋭ピアニスト」というのに招待された。俺の出番は、二部の二番目ぐらいだったと思う。ずっと、他の若い連中を聴いていた。ピアノの掃除をした奴。調律した奴。ずっと、「ピアノの中で」演奏していた奴。ピアノに、頭突き、おしり、肘打ち、エルボードロップして消えた奴。ジョン ケージのプリペアードピアノ(グランドピアノの中に、いろんなオブジェを入れて=音程を狂わせて弾く)をやった奴。こんだけやられて、おっさんピアニストが出て行って、ピアノにコブラツイストしたって様にならん訳で、ずっと考えて、結局、フランス語版東北弁のスピーチやって、あんたがたどこさをマッハ3で弾いて、なんだか、馬鹿受け。お笑いピアニストの誕生! 最近は、トークショウなのかピアノのコンサートなのか、段々、境目が分からなくなってきた。まっ、いいか。年相応で。

で、最後に、だれでも弾けると、さっき書いた。これは、本当。俺んちで、前にも書いたが、デタラメピアノコンテストやるんだけど、おおおぉぉぉーーーという奴がいるのだ。俺よりずっと巧い。お前、ピアノやってたの? 全然。こういう奴が。取り分け、俺のグループのエリック ミモザは天才的で、ギター弾きなんだけど、ハーモニカ、テナーサックス、スケートボード(楽器じゃねえよな)、なんでも巧い。俺の家でピアノ弾かしたら、巧いのなんの。もう、俺と入れ替えちゃう。デタラメトランペットとデタラメ横銜えリコーダーを習得しているから、俺は安泰だ。ミモザ、そうだと言ってくれっ! 俺を見捨てないでっ! お払い箱にしないでぇ! えーい、バンマス(バンドマスター)は俺だっ!





おパリ

寝たきりから座りきりにステップアップした。サロンのテーブルの前に一人掛けのソファーを置き、ソファーの中に更にクッションを敷き詰め、腰を固定する。俺の家は、パリの郊外というより、ほとんど隣町にある。イル ド フランスの境界線のぎりぎり内側。東京でいうとどの辺りなのか?
都心まで三十分という感じです。東京都何とか市となるのだろう。言い換えるとパリ都何とか市。パリはパリ市のことなので、それ以外はパリとは言わないけれど、一般的にイル ド フランス地方が日本で言う東京都に当たります。地方の人は、パリ地方とか呼んでいます。普通、あまりいい意味ではなく。運転が荒っぽい。車間距離を置かない。後ろからあおる。都会から来てんだぞっという態度。ストレスの塊でイライラしている。そっけない、いじわる等々、評判がよろしくない。今はどうかしらんが、俺の郷里の海岸辺りの品川ナンバーのソアラに乗ってる若僧どもも、そんな感じだったなぁー。でも、大体、本来の東京の人ではなかったのだと思う。逆コンプレックスだ。まあ、以前に書いた三文ミュージッシャンが大物ぶるのと同じ原理。

急に思い付いたが、「パリ症候群」のお姉さんたち。説明します。一番多いケース。二十代、日本でOL。貯金。三十歳ぐらいの時にあこがれのパリへ。滞在許可証の取得のため語学学校に登録。アパート難のパリ。エレベーターなしの最上階(たとえば、七階とか)の屋根裏部屋。友達がまったくできない。少しずつ貯金が底をついてくる。想像していたおしゃれなパリと現実があまりに違う。で、たまに日本に帰国すると、パリに住んでいるのぉーーー、おしゃれぇーーー、すてきぃーーーなんて皆に言われるので、実は暗ぁーーーい生活をしているなんて言えないし、やはり、ちやほやされるから内心得意でもある。で、また、パリへ。このギャプの狭間でノイローゼ。この症状です。お姉さんに限定されている訳ではないですが、男の子たちは簡単に脱サラしてパリなんていう訳にもいかんから、ほとんどこのケースはない。パリにいるお姉さんが皆そうだという意味ではないので、誤解のないように。そういう精神病があるということです。やばいよなぁー、俺のコンサートのお客さんの中にいたら、ひっぱたかれる。ばらすんじゃねぇーって。あんただってっ!

どきっ、これを俺に当てはめると、裕イサオ先生、「パリで大活躍している今をときめくジャズピアニスト」。おしゃれなパリを満喫。ファンのパリジェンヌたちに囲まれてご満悦の裕先生。なんていうイメージで日本へパリ帰りの外タレとして凱旋帰国。皆さん、昔からこの類に騙されてきたのです。大体、俺はパリ市に住んでいない。家賃だ不動産だと高過ぎて住めないの。ブログの紹介に「在パリ」なんて入れてる。嘘つきだ。すいませぇーーーん。読者獲得のために。もじもじ。パリの隣町ではちょっとぉーーー、すいません。お気を付けください。昔のパリ帰りの絵描きさんなんて全員とは言わないけれど、大半がこのパターン。裕先生の現実。パリのインサイダーで多少知られている。スポーツピアニストとか暴力的な演奏をするとか、パリのヨースケヤマシタとか(光栄です、比較されて。全然、山下さんのレベルではないのに)。高々、この程度。CDだって自家版みたいのしか出ていない。オフィシャルなのは、唯一、沖至師匠のCDに、ちこっと入っているだけ。で、パリの隣町の古い家に住んで、中華食材店で練り物を買ってきて、おでんもどきを作って食べている。趣味は草むしり。大活躍もなければ、どこもときめいていないし、おしゃれなんていう要素もまるでない。この程度の奴。それでも、たまに日本に行く(になってしまった)と、「先生」なんて呼ばれるから困ります。もう、おっさんだから化けの皮は剥がれているし、内心得意なんて感じもまるでなく。あるがままの俺しかいない。でも外タレを装わないと、商売にならん側面も大いにあるから、あんまりばらすとやはりまずいなぁー、自分で営業妨害している。でも、正直な方が、好感度は高い。好感度一位の外タレピアニストで売り込むからいいや。

で、俺の家だけど、あんまり詳しく書くと、ファンのお姉さんが大型バスで乗り付けに来たりするから書かないけど、こういうのを杞憂というのだ。サングラス掛けて歩いている売れない芸能人と一緒だっ。だれも、気にしていない。ずっと前に、ドゥゴール空港で、おばさんがスーツケースを重そうに運んでいるので、マダァームって言ってカウンターまで運んでやった。振り返ってメルシーって言われて、うぁちゃー、物凄い美女。カトリーヌ ドゥヌーブだった。周りのフランス人も別にじろじろ見たりとかなぁーんもなくて、へぇー、フランスって芸能人も普通なんだぁーと思いました。だから、俺も普通に。無名の奴は、普通でいいんだっ、馬鹿っ!

で、話が進まない。俺の家だ。ド田舎まではいかないけれどパリの喧騒とは裏腹に、小鳥の声しか聞こえないし、丘の上に建っているので、見晴らしは素晴らしい。なんかぎっくり腰の治療に保養地に来ている感じで、こういう時は、郊外暮らしの方が、なんとなく似つかわしい。また、ぎっくり腰の話だ。

あれっ、俺の好きなピアニストっていうのを書こうとしてたんだよな。まあ、トーク、おしゃべりの文字化だから、あっちこっち思い付いた方へでまったくかめぇへんかめぇへん。大体、本もそうだけど、ブログも含めて、読まなければいいので(読まれなければいいので)、気が楽です。次回にしましょう。「ぎっくり腰と私」「ぎっくり君の人生相談」「ぎっくり腰になって世界観が変わった私」「ぎっくり腰の哲学的分析」「童話ギックリとコッシー」いい加減にしろっ?

バードランド

ウェザーリポートが1980年に来日した際に、東京公演に行った。アルバム「08h30」のプロモートだったはず。ジョー ザビィヌル、ウェイン ショーター、ジャコ パストリアス、ピーター アースキン。当時の俺(二十歳)からすれば、おっさんが、なんとなくダぁラぁーんと出てきた。そんなにハイになっている感じもなく、温厚なおじさんっていう感じ。特にウェイン ショーターが。で、そんなに緊迫した感じもなく、はい、せぇぇぇのっては言わなかったけど、そんな感じで、突然、本当に突然という感じで演奏が始まった。まず、ピーター アースキンのタイトなドラムスに仰け反り、少ししてジャコのハイパーテクニックベースソロに仰け反り、なんとなく穏やかにウェインがソプラノサックスだったかな、吹き始め、その音色、音程の確かさに仰け反り、その間、ジョー ザビィヌルは山盛りのキーボードをコンピューター技師のように「操作」していた。衝撃だった。その登場の仕方が。逆に気負った若僧には衝撃だった。おじさんの余裕を見せ付けられた。

「突然」
小津安二郎の映画、縁側で、浴衣着たおじいちゃん。団扇、キンチョー蚊取り線香、豚形の蚊取り線香入れ(今でもあるのかしら?顔がかわいかった)。麦茶。ついでに(行き過ぎだけど)、蝿取り紙。「嫁」が奥で夕飯の支度。コロッケと明太子とほうれん草のお浸しと、なすの漬物とアサリの味噌汁と、おわぁーーー、止めてくれ!日本食難民の前では。うおえ(郷里のレストラン)のうな重。駅の右側方面の養老の滝のはまちの塩焼き。イカの姿焼き。焼き鳥、おでん、回転寿司、止めろ止めろ、ここはパリなのだ。パリ、あんたはフランスにいるのだ、るっせー、そんなことはないっ、セブンイレブンでとんかつ弁当と、明太子のおにぎりでもいいから。裕先生、お気を確かに。先生は、1981年から日本には住んでいらっしゃいません。いらっしゃらない? じゃーいい、塩鮭となめこの味噌汁。たくあんと納豆でいい、米はゆめ錦ね。それもないのか? なにがあるのじゃ、舌平目のムニュエル。なにそれっ? 食べたくないよぉー、ビラビラムニュムニュなんて。若布はいいけど。 

亭主が「ただいまぁー」。嫁が玄関へ。孫が、おじいちゃん、一曲やってぇーーー。目を細めて、うんうん、なんて言って、立ち上がり、床の間の横へ。被せた風呂敷を取る。床の間には、掛け軸。「たらちねの そなちねは どたまだった」と毛筆で書いてある。Roland RD-700GX。いきなりシンセサイザー。これは、仰け反る。そんな感じの登場だった。

閑話休題
ブログランキングに登録して、エッセイのカテゴリーを見ていたら、気に入ったブログをご近所(俺の順位の近辺)で見付けた。それで、ファンコメントを送ろうとしたら、画像の平仮名数字を数字で入れてくださいとか出た。画像の開き方が分からず諦め、さっき、おっ、画像が開いた(開き方が分かった)。で、送信したら、コメントが重複してますと出た。ということは、同じコメントを十回ぐらい送っていたのかも。すいません。しつこいオヤジだと絶対に思われている。失礼しました。でも、応援してます。

で、なんだっけ?

2012年9月26日水曜日

ジャズ屋

突然、アナログおっさんから、YouTube動画作成狂への変身経緯は、すでに書いた。勢い付いてブログ狂へと変身を試みていた矢先のぎっくり腰。寝たきり。読書、ブログの拝読ないし自分で書く。それ以外にやることが(できることが)なくなってしまった。スーパーへの買出し。スーパー内のお散歩。料理、庭弄り、ピアノの練習。生活の基本がひとつもできない。いやでもブログ狂への変身が加速する。十年間の断筆。もちろん、筒井康隆ではないので、なんら社会的影響のない個人的断筆の箍が外れた。何百枚も原稿を書いていたことがあるので、いったん外れるとぺらぺらトーク体質。大ブロガー養成ギブスを外したのだ(嘘)。ブログマシーンと化しつつある。ピア中(ピカチュウではなく、ピアノ中毒)がピアノを弾けない。まもなく、手の振るえが始まるだろう。拙かった。俺は両手と右足があれば、這ってでもピアノを弾くと豪語して居ったのだ。腰の存在を失念していた。おしりもいるし、第一、頭だっている(えっ?いらない?)。両手と右足。これは最初に座るという形態を前提とした発言だった。謹んで訂正する。罰が当たったのだ。すいません、体の他の部位の方々。俺が悪かった。ないがしろにしていた。日頃からのご努力、謹んで御礼申し上げます。ごめんなさい、許してくれっ。痛くて動けん。参りました(注 インターネットで調べたら、なんとよくあるケースのひとつが、朝の洗顔時の突然の咳だった。皆さんも、歯磨きは腰を入れてやりましょう。全身が気抜け状態時によく起こるとのこと。ラグビーのオールブラックスみたいな感じで、気を引き締めて仁王立ちしながら歯磨きをしましょう。傍から見ると、ちょっと怖いけど。腰腹にはかえられん。裕イサオ新グループ結成。YO2。くだらん)。

とはいえ、いろんな楽器があるけれど、ピアノはそれほど体に加重が掛からない。たとえば、二日酔いでも、一応、脳の一部と両手、足、そして御腰様がしっかりしていればなんとかなる。ボーカル、管楽器系はしんどい。大体、立ってるし。とはいえ、各楽器ごとの持病がある。これからジャズを始める方の楽器選定に多少役立つかもしれないので(役に立つはずないか?)、楽器別持病リストと独断モテモテ度(10点満点)、よくいるタイプを、以下、列記する。やばいなぁー、結局、ジャズは止めたぁーとなったらなぁー。楽器、持病、モテモテ度、タイプ、コメント順に(男性のケースのみです。女性のミュージッシャンには当てはまりません)。

「ピアノ」
腱鞘炎、背骨神経痛、強度の肩こり、腰痛、痔、洗顔時のぎっくり腰。採点6。
小柄で眼鏡、学級委員長、勉強できましたぁータイプ多し。典型、チック コリア、キース ジャレット、山下洋輔さん。あんまりもてない。顔がよく見えないし、特にリズムセクションにいるケースは、なんか下請けさんという感じ。花形楽器ではない。ソロの場合は、ルックス次第ではもてるケースもあるが、ルックス系はロックに行ってしまうので、ジャズピアノにはあまりいない。ビル エバンスは、たぶん、モテモテだったはず。マッコイ タイナーはもてんかったと思うけど、ハービー ハンコックは芸能人なみと推測。
「ドラムス」
腰痛、痔、手足の痺れ。採点8。
男臭くてごつい感じの人が多い。でも、気さくで優しくて繊細。典型、エルビン ジョーンズ、ピーター アースキン、佐藤真師匠。もてる。やはり、格好いい。楽器自体がピアノのように女々しくない。オープンだし、また、コックピットみたいで格好いい。真師匠も、俺、モテモテと自らおっしゃっている。
「トランペット」
歯痛、顎の筋肉痛、唇裂傷。採点10。
タイプは二分。顔が小さくて筋肉質のハンサム。典型、マイルス デイビス、チェット ベイカー、沖至師匠、日野皓正さん、近藤等則さん。もうひとつのタイプは、丸顔、ずんぐり。典型、フレディー ハバード。ウィントン マルサリス。
これは、花形楽器。男性的な楽器で、切ない音なんか出すから、これは女心に直撃。ステージの真ん中にいるし、また、楽器の形状がうつくしい。実際、沖師匠は、大変にもてる。ただし、
ディジー ガレスビーとルイ アームストロングがもてたとは思えない。チェット ベイカーなんて、アイドル歌手なみ。たまには、ジャズ屋にも、こういうことが起きる。
「サックス全般」
腱鞘炎、口腔裂傷。採点9。
恰幅がよくて面長な人が多い。典型、ソニー ロリンズ、ジョン コルトレーン、ウェイン シーター。ただし、二人の天才、エリック ドルフィーと阿部薫は見た目も例外。もうひとりの天才、坂田明さんも例外。やはり、ジャズの花形楽器。ただ、形状および音域のせいなのか、格好よさはトランペットにやや負ける。アート ペッパー。こちらもチェットと同じく、アイドル歌手なみのモテモテだった。ハンサムだもんな。
「ベース」
これは、俺の周りにあまりいないので不明。ベースとの共演の予定もないので分からない。俺のがちゃがちゃピアノとベースは合わないのだ。ネアンデルタール人(俺)にドイツ語で話し掛けている状態になる。長身の紳士が多い。たぶん、相当、モテモテなのだと思う。なんか知的な感じがするし、なんたって、その音楽、バンドのベースを支えるから人格者も多い。典型、ロン カーター、パリのジャズジャイアント、アラン シルバもそうだし、いかりや長介さんもいる。ゲイリー ピーコックなんてもてんだろうな。頭良さそうだし、温厚な人格者であることが、DVD見ただけでも分かる。キース ジャレットが、なんだか悪ガキに見える。

一応、ジャズのメイン楽器は、こんなだ。ギターは、もう、諸々で分からない。結局、ピアノが一番もてないし、持病も多いことが分かった。男っ気のあるドラムス、でも気さくで優しくて繊細。無口で哀愁の漂うペット。また、ペット自体も美しいオブジェだ。小柄でメガネ掛けた理屈っぽいへらへら男のピアノ。俺は中背だけど、この構図は二人の師匠と俺がいる時の構図だ。これじゃ、もてんわな。多少、美貌でも?

枯葉

この曲。もう、ほとんどの方がご存知の通りです。
ジャズの世界でも、スタンダードとして定着。当然、名演も数多いです。これもご存知の通り。
なぜに、フリージャズピアニストの私が、へたくそな演奏をし、しかも、動画で公開している。フリージャズピアニストなので、大仰な理由はまったくなしです。パート1のメロディーがなんとなく好きなことと、がちゃがちゃ弾き捲くった後に、突然、これをしんみりやると、お客さんが少し飛び上がるのと、次のがちゃがちゃへの「一時の憩い」というサービスの意味も多少あり。それと、もう、皆が知っている曲ということと、もう一つは、マトモナな曲は、一切、こいつは弾けんのだろうと思われても、ちょっと癪だということもある。でも、へたくそな演奏の方が、もっと、拙いのではともいえる。あーーー、やっぱりーーー、野蛮人ピアニストだっ。という結論になってしまう。裕?
あんなのクロマニオンかネアンデルタールピアニストだっ、と、絶対、だれかいっているはずだ。

ところで、右手は例によって、メロディーラインを残しつつ、過剰な装飾音と早弾きで煙に巻く、裕先生お得意の下手隠し技法。巧そうに見えるし、そう聴こえる。その筋の人にはばれるけど。左手は、7thサス4 -サス4(EEDD-F♯-----)と行ってEmスケールをパーカッシブに一音ずつ這い上がり、ドミナントの代理コードF7からドミナントモーションでE7サス4に戻る。この這い上がりの時に、通常、左手でやるペダルを右手でやる。ずっとE音だけ。とこういうことですが、なんで、こういう名曲を、憂いの曲を、しんみりピアノバーで彼女と、なんていう曲を、打楽器みたいに、あんたはするのだとスタンダードジャズの先輩、ファンからは非難轟々となる。第一、色気がまるでない。だから、裕先生はピアノバーとかディナーショーとかホテルのラウンジでの演奏なんていうお仕事はこない。一度、パリのコンコルドラファイエットの大ホールでソロピアノ弾いたことがあるけど、後述。で、時々、練習で、右と左のパートを逆さにして弾くのですが、枯葉も左手でメロディーラインを弾いて、なんてやっていたら、逆ペダルというアホな技法ができてしまった。こういうのは、真面目なピアニストの世界では起きない。なんか、良く言えば自由な発想。はっきり、単なる馬鹿だ。

それで、なんでこうなったのか。はい。私のパートナーなんてオコガマシイ師匠のひとり、ドラムスの佐藤真師匠とのデュオのためにアレンジしたからです。パリ在住のインサイダーで真師匠をしらんやつはいない。パリ屈指のフリージャズドラマー。ジャズジャイアンツ アラン シルバのユニットのドラマーおよびグループ マットー ルージュのパーマネントメンバー。料理のプロでもある凄いお人です。先日も、ニュージーランド屈指の若手テナーサックス。リュシアン ジョンソンとのセッションを客席から聴かせてもらった。仰け反った。わちゃー、俺はこんな巧い人と共演しとるのかぁー、え? ステージで共演している時は、こっちもハイだし、遠慮なんて一切しないのがフリージャズ屋の掟なので、同じようには聴こえないのだ。こんちきしょー、シンバルできやがったぁー、バスドラかよぉーーー、この野郎ぉーーー、おっ、急に優しくなったな、こりゃ、罠に違いない、絶対、俺の方がもてる、おっ、疲れをついて、ここでかまして、フォールに持ち込んで、なんて応酬して居るのです。文字化すると馬鹿だ、こりゃ。

この動画の演奏は、真師匠との一騎打ちのほんのさわりです。前後はこんなでしょうけど、真ん中の炸裂アドリブパートはライブにて。三十分一本勝負かな。しかし、こういう名曲を、こういう勝負曲にするのはどんなもんかしらね? でも、皆知ってる曲は、その違いがもろだしで、やはり、面白いのです。

真師匠とのセッションは実に楽しい。まず、その技術。ドラムスで、もう、歌っている。これは尋常ではない。で、ドラミングが実に繊細(そういう風に全然見えないのだ。すいません)。突っ込むタイミングとかが絶妙(漫才と一緒)。と、音楽的な要素も山ほどあるが、大体、話すことは、女と酒と料理。これが素晴らしい。興味の対象がまったく同じ。で、真師匠と俺のレベルは雲泥の差があるが、ひとつだけ共通点があって、そう、拡散してはちきれようとするこの音楽のベクトル。明るいのだ音が。暗いフリージャズと明るいフリージャズがありましてですね、我々は後者なのだ。我々なんていっていいのかしらねぇー、師匠に。師匠は踏み台? おっ、やばい発言。大体、俺でさえ、師匠なんて呼ばれる時がある。はっきり、馬鹿にしてんだ、若僧ども。師匠、ぎっくり腰、そりゃー大変どすな、ちょっと、背ぇー、借りますわ。なんて、弱肉強食だ。

2012年9月25日火曜日

ブログのいいところ

とうとう動けなくなってしまった。軽いぎっくり腰のはずが、相当、重症。
体調は寝てばっかりいるので上々。ぎっくり腰へその遠因となった風邪=咳も治まり、なんと、持病の背骨神経痛まで、ぴたっと止まった。なかなか体は良くできていて、同時攻撃は避けている模様。なんらかの自衛システムが作動している。ぎっくり腰に背骨神経痛のダブルパンチは、空恐ろしい。ただし、そのお返しに、当然、ピアノの練習もできない。毎日、背骨神経痛と戦いながら練習している根性あるピアニストなのに、止まったらできない状態。これは、自分の自分へのいじめとしか思えない。で、今回はブログのいいところについて。

はい、その一。この寝たきりフリージャズピアニストが唯一できることのひとつである。

それもそうだけど、他にも沢山ある。
その二。有名人の本とか著名な作家の本とか読むのが億劫になってしまった。現代日本語らしい上から目線で、こちらがご拝聴。ご拝読。こっちもおっさんになってしまったので、あまり、人の教訓だのいらなくなってしまった。有名人のサクセスストーリーなんてどうでもいいし、若僧作家の人生論だの人間とはなんてのも、面白くない。だから、私も含めたそうではない人の書いたものが読める。そして、皆で書きまくって、だれも読まない(大半は)(私のブログなんて仲間さえ読んでいない)。これは素晴らしい。皆、自分の話だけしていて、相手の話なんてまったく聞いていない。こうなると、有名人も作家もいっしょくたになって、ボーダレスで楽しい。で、皆が勝手に俺が俺が、これこそフリージャズの原点。フランスのテレビ討論会なんて、「全員が同時に意見していて」、もう、フリージャズを越えている。一応、こっちは意見しながら、相手の話も聴いているのだ。

その三。私は二十代後半から四十前半まで、小説を書いていた時期があるのですが、全部で十三作書いた。で、十三回新人賞に応募して落選十二回。一度だけ某文学賞の候補になり、別の出版社から一冊だけ単行本が上梓された。千部刷られて絶版になった。この自伝的詩小説は三十五歳の時に書いて、上梓されたのが、三十六歳。芥川賞作家お二人から丁寧な励ましのお手紙を頂いた。「次回作に期待する」。(注 この小説は本名で書かれたもので、裕イサオ名義ではありません)。で、私がピアノを再開したのがこの小説の脱稿後。で、期待された次回作の執筆に取り掛かったら、なんと、脳がジャズ菌に冒されお笑いパロディードシャメシャ小説しか書けなくなっていた。出版社から見放されてしまった。筒井康隆大先生の二番煎じはいらん、大体、筒井先生を超えることは、君にはできんっと。実際その通りなので、おーし、もうこれでどうだと、すべての名詞を広辞苑の説明文に置き換えたラブロマンスを書いた。エロティックシーンはすべて医学用語で書いた。編集者が泣き笑いしながら、ちょっとぉーーー、面白いのだけど、むむむむむとブラックな笑いが込み上げてきて止まらんのだけど、わぁわりぃーーー、出版はでけん。ちょっと、行き過ぎだぁーーー。と言われた。レイモン ルッセル大先輩がいるのにどうしてじゃと思ったが、要は「商品にならん」ということ。結論、渾身の作なんてものを何千枚も書いたのに、読まれたのは唯一上梓された一作だけ、しかも千部だ。もともとミュージッシャン体質。砂漠のど真ん中でひとり練習しているようで、これには参った。めげたし、やる気がなくなった。で、止めてピアノに専念することにした訳です。こんな、ひとり篭って暗い小説なんぞ書いていると病気になってしまうわい、俺にはステージが似合ってるぜぇーなんて言って十年前に止めてしまった。結論。で、このブログはいい。よってたかって皆で書いて、仮に、だれも読んでいなくても、篭った感じにならない。オープンで明るい。読者がいなくても一般公開されている感じは、ミュージッシャンとすれば納得し易い。大体、「練習するために」ピアノ弾いてる訳ではないのだ。人様にお聴かせするために、練習しておるのだとなるので、オープンなブログはとてもいいです。

ただ、不特定多数。すべての人々へ公開されている。皆さんも、ふと、ちょっと、空恐ろしい気がすることがあると思います。実は、大変に怖いことをしている。とはいえ、ピアノ芸人とすれば閉じ篭りなんて訳にはいかない。職業自体が不特定多数を相手にしているから、これは、やるしかなしとなる。

ところで、一挙に自動翻訳の話になります。こないだ、私のグループの詩人、ジャン リュックの詩を自動翻訳してみた。なんと、レイモン ルッセル大先輩が狂喜するだろう日本語が出てきた。で、私の十三作目の小説にも、大変似ていた。全文掲載したい誘惑に駆られるが、ぎっくり腰なので、腰に力が入らないので止める。たとえばですが、思い出して書いてみると、

私の停留所がしじまで彼女のバスだった
そのガソリンのかもめ 目的のタクシーは路線がない
違いのバスだっ

なんて感じ。これは現代詩に良く似ているし、ありゃ、俺の即興演奏を言語化するとこうなるのだろうという感じ。皆さん、ご存知かと思います。ジャズ屋の伝統に、はっぱふみふみからはなもげら、ジャズ屋の会話はすべて日本語の転回形。だから我々には違和感がない。私は、ミュージッシャン用語は、ちょっと業界ぽいので、日本語およびフランス語で言うと拙い内容をミュージッシャン仲間に伝える時のみ使用。

ところで、いろんな方のブログ(ブログがウェッブ ログの略なんてさっきまで知りませんでした)、拝読させて頂きました。いくつか気に入ったので追ってコメント入れます。で、気が付いたのですが、
字が小さい=シニアにはしんどい
画面の色が蛍光色=シニア(の目)にはしんどい
広告とか予定表とかカレンダーとか、本文がどこにあるのか分からない
 広告収入で暮らしているブロガーという人たちがいることも知りませんでした
 もちろん、お金になるならそれに越したことはありません
文章の内容以前に、おっさんの目にしんどいレイアウトが物凄く多かった。全然、悪いとかではなく、ただ、読み難い。でも、好みだし、流行なのでしょう。広告は、私の動画には入っています(注 著作権に引っ掛かるものには入っていません)。で、昨日、私のブログのレイアウトを変えました。広告は、もともと私の動画のプロモートブログなので入れないことにしました。後、字を大きくしてシニアが読み易い色調に変更。とにかく、シンプルな構成にしてみました。まあ、若い人のブログには格好わりぃーとなっちゃうし、ミュージッシャンのブログは普通、コンサート情報とかがメイン(私は、日本で演奏活動してないので必要なしです)だから、私のジーちゃんスタイルは無理でしょう。レトロになってしまいました。昭和初期のブログになってしまったかも。

2012年9月24日月曜日

大きな栗の木の下で

この曲は、もちろん、皆さん、ご存知の通りです。余計なコメントの必要はないと思うのですが、ジャズエッセイなので、どういうアレンジをしたのか、あまり、専門的にならないように書いてみます。私のブログは、ジャズピアノ教則ブログではなく、ジャズを始めたばかりの人。五十過ぎてピアノ始めましたとか、なんかジャズピアノ始めたけど良く分からんとか、こんな感じの方々に読んで頂いて、へぇー、こんなおっさんもいるんだぁー。あいつにできんだから俺も、みたいな感じになって、元気でたー、とか、やってみっかーとか、こういう気持ちがむらむら込み上げました。と、こうなって頂ければ幸いです。この程度で、人前で入場料取ってんのか、こいつ。俺の方が、ずっとうまいぞっ。と、こういう方も、沢山いらっしゃるはずです。いや、本当に沢山いらっしゃいます。地方(とは限りませんが)の、たとえば、お医者さんのお宅にお邪魔すると、スタンウェイがデンと置いてあって、僕もちょっとかじってます、なんて言って、めちゃくちゃうまい人が。「裕さん、明日のコンサート、楽しみにしてますよ」なんて言われて、当日は、こっちは必死です。マッハ3ぐらいで弾いて、「わちゃー、さすがぁー、指が早くて見えなかったぁー」とかいう方向で凌いでいます。なんか、俺はスポーツピアノというジャンルなのか?とも自問したりして。

で、昨日の軽いぎっくり腰。軽症だな、ちょっと、タバコ屋までお散歩ついでに、電気屋で食洗機みたり、靴屋へ行ったり、びっこ引きながらうろついていたバチが当たり、今朝から寝たきり状態。二階の寝室のベッドの上で、これを書いているので、ピアノの資料は、すべて階下。で、降りていけない。という状態なので、きちんとした説明ができないかもしれません。しみじみ洋式トイレの有難味が分かりました。和式だったら、わちゃー、救急車来てた!それ以前に私自身が、水洗トイレに流されていた。はず。

今回は日本語で書きますが、冒頭およびベースになっているのは、左手のラのサス4とソの7thサス4。ハ長調の曲なので、おしゃれにするためにイオニアン(あれっ、アイオニアンだったかも)音階というのに変えてあります。時々、単調にならないように、ジャズをかじった方はご存知の、2-5-1の動きを基本に、各コードをさらに細分化し、サブコードとか代理コードとかパッシングコードとかを付け加え、なんかこう書くと、相当高度なことをやっている感じになってしまいますが、大したテクニックではありません。で、右手はメロディーをキープしつつ、ジャズ屋が良くやる装飾音で、ちょっと格好を付けつつ、なぁかぁーよぉーくのメロディーに、私の全エモーションを封じ込める。こういう感じです。

相変わらず前置きが長いのですが、昨日、根音なしの四和音、コンパクトで押さえ易いですよと書きましたが、今日の要点は、基本のコード進行の各コードをさらに細分化し、細分化したコードをさらに細分化。こういうことを現代ジャズはやってきて、ほとんどミラールームの世界で、細分化の行き着くところ。はい、結局、ピアノの鍵盤全部使うことになります。えっ?ハ長調なのに?
はい、論理的にはそうなるので、答えは、「間違った音はない」となります。要は、なにやってもよろしいのだとなる。ただし、社会人として認めてもらえるのか。入場料頂いていいのか。君にはモラルはないのか。なんぼ、僕はジャズメン、はい、禁治産者ですと言い張って、世間様が許してくれるのかは疑問。すれすれのラインを愚考していますが、ラインがどこにあるのか、だれも分からないのです。

突き詰めて行くと、音楽は、人生とか世界観とか文学とか、途方もない世界に繋がっていって、もう、とてつもなく難解で、とても普通の神経ではできない芸術で、なんちゅうのも、本当といえば本当ですが、酔った勢いで、ボンゴたたきまくったり、家で、遊びに来たやつ全員が酔った勢いでデタラメピアノ弾いたり(性格が良く表れて面白いですよ)、はっきり、この馬鹿騒ぎが音楽の根源でもある。メビュウスの輪だ。勉強し過ぎて、馬鹿になってしまったり、一周遅れのやつが先頭を走っていたり、もう、絶対におかしいのは、若い頃読んだビィドゲンシュタイン。現代哲学の祖。結論として「すべては無意味である」。二十世紀の大哲学者が勉強と思考の果てに出た結論なんだから信用できる。でも、こちとら、最初からその境地なんだけど。たかが、フリージャズだ。また、ファンから叱られそうだけど。

阿部薫

昨晩、映画「エンドレスワルツ」を見た。ユーチューブを、いつものように検索していたら、若松監督の作品群が出てきた。たぶん、「阿部薫」「町田康」とか弄っていたら、今風に言うリンクしたようだ。ついでに、町田さんの履歴を調べてみたら、「所謂純文学の賞を(総なめ)している」ことが分かりました。芥川賞から始まり、谷崎潤一郎賞とか、日本にある重々しい文学賞は、たぶん、すべて受賞しているのだと思う。で、これは、大ファンの一人として素晴らしいことだと思う。急に俺になってしまうのですが、まあ、フリージャズ屋だから人称が毎回違っても構わない、町田さんの履歴自体が、大変に胡散臭くて粋。この粋な人が重々しい賞を受賞している。彼の才を思えば、当然だと、大ファンのひとりは思うのですが、なんとなく、ちょっと、危険な感じが臭う。この人は、天才的な人で、賞なんか無縁の方が似合っている。筒井康隆さんがそうであったように。ややこしい言い方ですが、俺の大好きな富岡多恵子さんがデビューの頃、いろんな賞を冠された。これは、流れからして、いいと思ったけれど、町田さんのケースは行き過ぎの感じがする。ただ、彼は天才だから、ものともせず、凄い作品郡を作って行くことは確実なので、一大ファンの危惧かもしれん。でも、稲垣タル穂とか阿部薫が、なんとか文学賞とか、レコード大賞とか受賞。なんか、俺には、大変に不自然。マルセル デュシャンが、何とか賞受賞作家とかになってしまっていたら、マルセル デュシャン賞という現在の賞は、存在していない。天才が、あんまり認められると、デュシャンの言う「後世が評価します」のリンクから外れる。余計なお世話なんだけど。ひとつ、俺が知らなかったこと。町田さんの歌手時代のファンに、富岡さんがいたこと。インターネットは怖いけど、知りませんでした、こんなこと。さすが、富岡さん、見破っていたのですね、後日の文豪を。町田さん、もう、歴史に残る人物になったし、五十歳。ばしばし、いい作品書いて下さい。しっかし、確かに阿部薫に似ています。

ところで、俺の方は、二日前から二日酔いではなくて、風邪。「お鼻ずるずる」、これは俺の周りではフランス語化した。回復の途上で、今朝、歯を磨く。急に咳。で、ぎっくり腰。元キャッチーの腰への信頼が、毎回崩れる。十年ぶりぐらいだろう、ぎっくり腰。年とかオジサンという単語が、直接、体に入ってくるからピアノが弾けなくなる。ピア中には、きつい。

で、そんなことではなくて、阿部薫。生きていたら今年で六十三歳。俺より丁度十歳上。
日本フリージャズの一期から勘定すると、阿部さんが二期生辺りで、本来、この後はいないけど、俺が三期生の年だ。

今更ながら、しみじみしても仕方がないのだけれど、糞生意気な阿部っていうやつを、新宿のライブハウスに連れてきたのが、なんの因果か、俺の師匠、沖至だ。
(師匠のことは、追って、ちゃんと書きます)

2012年9月23日日曜日

螺旋

この動画が、第三作目。今、久しぶりに見てみたら、冒頭のタイトルがやたら下の方だし、動画の前後もそのままで、なんだか動画素人もろだし。でも、面倒だし、それはそれで、なんとなくいい感じなので、そのままにします。

「ラストシーン」が比較的メローで、メロディック。
この辺りは、ビル エバンスとかキース ジャレットから来ている。少し、ハービー ハンコックが混ざっている。もちろん、彼らのような高度な技術がないから、こんな感じになる。
「東京ディスコ」は、ハービー ハンコックのシンセ音楽、ウェザーリポート、マイルスの晩年のバンド。この辺りから来ている。
「螺旋」は、フリージャズから来ているけれども、当初の私のド下手がちゃがちゃピアノからは、相当洗練されて来てはいる。とにかく世界一早く弾く。以上おしまい、というコンセプトでジャズピアノを始めたので、音楽性は無視。とにかくやかましいピアノでした。でも、昔の演奏を今聴くと、なんか熱い感じは悪くない。この曲、一応、デタラメに弾いていることにはなっているのですが、もちろん、その筋の人がお聴かれになると、多少のテクニックが入っていることはばれる(いや、だれが聴いても分かる)。大したテクニックではないのですが、冒頭の辺りは、Four Note Rootless Voicingsの7th codeをAbからSecondary Dominant Motionsをしていて、真ん中辺りはModal Foorth RowsのTentionsだ。と書くとプロっぽい。でも、これではなんのことか部外者には分からないので、Four Note Rootless Voicingsだけご説明致します。日本語に訳すと、根音なしの四和音です。1=根音がなくて、上の音を四つ積み重ねた和音。たとえば、13.3.9.7音で構成とか。

「メリット」
ビル エバンスが、たぶん、発明したのだと思うのですが、
1) 指の位置がコンパクト=手の小さい人がとても楽に押さえられる
2) ソロピアノに向いている=歌の伴奏とかには向いていない。ルートが分かり難い
  
 ルートなし?と良く聞かれますが、セッションの時はベースがやっている
3) テンション(上の方の音を入れるので、インパクトがある)

まあ、こんな感じですが、デタラメピアニストにはトーナリティー(調性)なんてどうでも良いので、押さえ易いというのが一番の理由です。フリージャズは、コード進行、トーナリティー無視で全然構いません。はっきり、まったくのデタラメで構わない。

さて、本題。山下洋輔さんのエッセイと少しダブりますが、
基礎から始めて、破壊してデタラメへ向かうケースと、デタラメから少しずつ技術を付け加えて行く方法がありますが、たとえば、前者はセシル テイラー。で、音楽教育をまともに受けてない人は、私も含めて後者しか選択肢がない。では、ずっとデタラメでいいではないか、となりますが、まず、長続きしない。自分がしんどくなってくる。多少の技術がないまま長時間、公の場で弾き続けるのは、逆に天才的なデタラメ人間でないとでけん。やはり、人間の特性で、なんとなくまとめよう、秩序を作ろうとし始める。不思議ですが、デタラメが出来ないようにプログラムされているようです。我々は。

「前者の弊害」
破壊する前に基礎に押し潰され、自分のスタイルが出来ない
凡庸のまま萎んでしまう
破壊した後の凄い演奏の、「その後がない」etcetc
「後者の弊害」
多少の技術が付いても、元々がデタラメなので、ちょっと気を抜くと、すぐ、「それ」が出る
良く言えば、ずっと進歩し続けるが、結局、頂点を極めることはない
やはり、三流の域をでない。で、それを指摘されたくないので、つっぱる。必要以上に大物ぶる
有名人を装う(とりわけ女の子の前で)。嫉妬深い。同業者に冷たい。足を引っ張る。味わいとか、自分のスタイルが大切などと逃げる。妙に俺が一番と思い込もうとする。他のミュージッシャンへの批評は手厳しい。当然、自分には甘いetcetc
なんだ、弊害だけだよぉーーー

はい、以上です。

と、ここまで読み返して、たぶん、非常に基本的な疑問が沸いてくる。
「なんで、この裕というやつは、人前でデタラメピアノを弾き始めたのだ」?
これは事情があって、ピアノを二十三年ぶりに再開した時、私は現代美術家という肩書きだった。作品の中にピアノを持ち込み、作品の一部として「ピアノを使ったパフォーマンス」を始めたのです。ピアニストということにはなっていなかった。中略。それから、はっきり「デタラメピアニスト」と自称。究極のデタラメピアノということになり、この辺りから「ピアニスト」という名称がちらほら。いい気になって弾きまくる。はっきり、馬鹿なのだ。その内、「フリージャズのピアニスト」と「呼ばれるようになった」。「いや、俺はド素人のド下手でピアノでパフォーマンスをしているだけ」ですと言っていたら、共演者からクレーム殺到。「なんか謙虚ぶってっけどよー、なんか嫌味だぜ」とか、「イサオが趣味ですなんて言うとよ、こっちまでそう思われるから困る」とか、先輩からは「謙虚なのはいいが金もらってんだから、そういう言動は、お客様に逆に失礼」とか。熟考し反省しました。それからは、フリージャズピアニストと名乗るように。で、やはり、デタラメにも限界が来る。段々疲れてきて、やはり、一からジャズ理論を学ぼうとなり、諸々買い込み分析。一応は、多少、努力と猛練習はしたというより、ずっとしてないと、すぐ、元に戻ろうとする。で、結局、絶対に頂点を極めたりすることはないので、ずっと、進歩はする。要は、後者の典型なのだ。オジサンなのに、まだ、進歩するんですかぁー?とファンの女の子に言われたけど、するんですよー、俺みたいのは、ジーさんになっても、と答えた。



  

2012年9月21日金曜日

トーク諸々

今年の5月にパソコンを取り替えた。以前はもらいものの鉄の塊のようなパソコンを使っていた。バッテリーはまったく役に立たないし、第一、重くてポータブルという形をしているが、持って歩けなかった。片手では持てないぐらい重かった。ユーチューブの存在は知っていたが、このパソコンではユーチューブの視聴が出来なかった。原因は分からないのだけれど、画面はモザイクみたいだし、音ががさついて途切れ途切れ。元々、電化製品は一番安いものしか買わない主義。というとなんか高尚な主義主張があるように聞こえるが、はっきり、お金がないからそうなっただけ。衣類とかも安物しか買わない。経済的理由および、高級品は落ち着かない。で、動画のトークにも入れてしまいましたが、「ぼろ車に乗るカーキチ」という大変な矛盾が生じている。余談ですが(すべてそうだけど)、私の愛車はホンダシビックハッチバック1997年。あっちこっち路上駐車でぶっつけられてべこべこ。左のバックミラーも駐車中に折られたし、左のドアも、乗ろうとしたらべっこりやられていた。フランスは、こと車に関しては、無法地帯。その前の愛車はトヨタカローラDX1985年。運転席の窓が開かなくなってしまったのと(正確には、開けると元に戻らない。ペンチで引っ張って、ガムテープで屋根に留める)、時速100kmを超えると会話も出来ない、ラジオも聞こえないという有様なので、現在の車に取り替えました。快調快調。

いつものように近所のスーパー。正確にはハイパーマーケットへ。スーパーの買出しは、私の心のオアシス。なんか食物物品が溢れているのが、なんとも落ち着くという変な体質。戦中派みたい。ほとんど、スーパー内をお散歩している感じ。で、入り口付近に、東芝のポータブルコンピューター、299euro。これは安い。たぶん型遅れ在庫放出なのだろうが、やはり、安い。一応型番を控えて、帰宅後、実は良く分からないのにインターネットでキャパシティーを調べる。結局、良く分からないので、詳しいやつに聞いた。「裕さん、メールとユーチューブ(視聴)だけなんでしょ?」「そう、それと、インターネットで調べものするだけ」「裕さんには十分十分」。即購入。ただし、この時点ではユーチューブへの動画作成は念頭になかった。後日、動画作成プロ用のソフトを購入するも、私のパソコンの容量では、きちんと機能しないことが判明。安物買いのなんとかです。

突然、ユーチューブの膨大な動画が視聴出来るようになってしまった。ほとんど、人生観まで変わってしまった気もする。日本の現況から何十年も離れた生活が一転。一等最初は黒木メイサを見まくった。クローズゼロの影響。いじくっているうちに、懐かしいドリフターズ。見まくった。加藤茶、志村けんと見まくり、ひとみ婆さんにはまってしまった。それからお笑いビック3を見まくり、なつかしや、タモリさんの「努力の要らない白鍵だけのチック コリア」が出てきた。なんか俺のピアノに、やはり、似ているなぁーなんて見てしまった。それから、立川談志師匠を初めて視聴した。あまりに凄いので仰け反った。結局、お笑いばっかり毎晩見ている。なぜか、突然、三島由紀夫のドキュメントを見たり、マルセル デュシャンのインタビューなんかも、合間に見てしまったりとユーチューブにはまっている。デュシャンマニアの私ですが、今更、あれっ、デュシャンって英語ぺらぺらだったのかぁー、なんて気が付いたりしている。

自分の嗜好思考指向が分かってきた。昔とやはり違う。
いい感じがする女優さん、タレント。優香さん、仲里依紗さん、ローラ。
美形だけど、なんとなく、三枚目でほっとするのと、明るい感じがする。
でも、沢尻エリカさんも素敵だ。フランスの女優さんに多いタイプ。アジャーニ、ソフィー マルソーとか。沢尻さんみたいな女優さんが、いよいよ日本にも出てきたのかぁー、成熟してきたなぁー、日本の現代文化もという感じ。そして、三十年以上大ファンの桃井かおりさん。健在ぶりが見れて嬉しかったです。
男優さんは、同世代なので哀川翔さん。やはり、ハンサムなのに、なんとなく三枚目。男臭い感じとお笑いっぽい感じ、可愛い感じとほっとする。元々好きな男優さんは、松田勇作、原田芳雄、緒方拳、山崎努。渋い役者さんたち。後、クローズゼロの若い役者さんたちは素晴らしい。皆、背が高くて格好いいです。突然、こちらの男優さん、ダニエル クレイグ。全然、ジェームズ ボンドに見えないという方もいるけれど、ラグビーマンみたいな感じで、はにかんだ笑いとか、なんとも粋な俳優さん。安っぽい感じにならなくて、ジェームズ ボンドシリーズの雰囲気も重厚になりました。
お笑いは、断然、志村けんさんが素敵だ。談志師匠は、別格です。
こうやって見ていくと、やはり癒し系に心が傾いている。年のせいなのか、良く分からない。

では、肝心の音楽は何を聴いて居るのだというと、突然、唐突に大好きな作家の町田康さんの動画見たり、町田さんも同世代だ。パンク歌手というのも、フリージャズメンと一緒でなんとなく怪しげで素敵だ。後は、プッシー キャット ドールズ。昨日、なんとなく、そういえばスーパーのテレビ売り場で映っていた超美形の東洋の女性五人のグループはなんだったのだと思い付いた。
音声がなかったので何語で歌っているのか分からず。ガールズグループと検索してみたら、どうも韓国のグループらしい。いくつか見てみる。テレビ売り場で見たのは、記憶と照らし合わせてみると、karaというグループだった模様。格好いいので痺れています。時々、ハービー ハンコックとマイルスの動画見たりするけれど、よーく考えるとジャズはほとんど聴かなくなってしまった。大体、一日三冊ぐらい難しい本を読んでいたのに、今は、料理の本だの庭の手入れだの剪定の仕方の本だのしか読まない。もうついでなので書いてしまいましょう。詩人で好きなのは、吉岡実さん。小説家は富岡多恵子さん。町田康さん。

普遍の部分と、随分かわってしもうたなぁーという部分が混在していることが分かった。
永遠の私の師匠、親分はマルセル デュシャン。皆さん、ご存知の方は良く知っているフレーズ。「解決などない。そもそも問題がないから」「芸術家といると息苦しい。多くの人々の中の一人であることを忘れてはならない」「評価は後世がするので、自分で判断なんか出来ません」「芸術の定義をしようとしたのではなくて、疑問を投げかけただけ」「私は公の場にいたわけではないし、芸術でお金を稼いだわけでもないし、なるべく作らないように、繰り返さないように努めただけです。商売にならないように」とか、凡人には耳が痛い。

東京ディスコ

ブログというより、エッセイの方が、私には、なんとなくピンと来ます。
ブログ全体のタイトル、「裕イサオ 筆トーク」。これは、突然、思い付きました。
諸々の選択肢が浮かびましたが、たとえば、単純に、「裕イサオ フランス日記」とか。大体、私にとってはフランスは、ほとんど母国に近いので、それをタイトルにするのは、読まれる方へ失礼。スーパーとか、いくらで買ったなんていう日常しかないので。それはそれで、フランスの日常という意味では面白いかも知れませんが、タイトルに冠するほどの話ではない。永井荷風とか金子光春ではない。「筆トーク」、これは、気に入りました。文章でぺちゃぺちゃ。フランス語のチャチェという感じで、とてもいい感じ(ローラの口調で)。なんでも音化するので、私の場合は。音に、なんだか、やはり、敏感です。

で、この動画(添付はしませんが)。「東京ディスコ」。私が東京に住んでいたのは、記憶を辿ると1978から1981の一月まで。下落合の風呂なしのアパートで、ロラン バルトとか、ガストン バシュラールとか、レイモン ルッセルなんていうのを読みながら、アルバート アイラーを聴く。当時は、結構、私のような暗い若者が、沢山居りました。たぶん、今でも、読んでいる本と聴いている曲は違っても、絶対に同じような連中が沢山いるはず。暗い若者。全然、悪くないし、大体、若者が明るい方が変だと、今でも思っています。

ジョン コルトレーン。後、ジャズの渋い方々を浴びるように聴きました。
後で気が付いたのですが、阿部薫が、まだ、生きていた。阿部さんのことを知るのは、ずっと、後でした。残念。でも、二十歳の私が、聴きに行ったかどうかは疑問。阿部薫は、世界のジャズの歴史。即興音楽。現代音楽も含めて、たぶん、もっとも重要な音楽家だと思っています。諸々の要素が複合し過ぎていて、本人が壊滅した。こういう天才が、時々、現れる。日本は、あまり天才が育たない国(と、私自身は考えています)。彗星というやつでしょう。

下落合から高田の馬場の高校の親友のアパートへ通いました(お風呂に入りに)。婦人用の自転車で。なんかいい感じです。ジャズしている。で、その親友と、暗い若者なのに、ディスコが好きで、ちゃかちゃか通いました。渋谷だったと思う。アース ウインド アンド ファイヤーの宇宙のファンタジーが「新曲として」掛かっていた。

下落合の暗い若者が、目黒通りの古レコード屋で見付けた、ハービー ハンコック「プリズナー」。ジャズフュージョンの先駆け。すべて、アコースティック。深夜のニューヨークのイメージを、下落合のアパートで、ひとり、思って居りました。暗い若者へ、ちょっと、おしゃれな世界を垣間見せてくれました。いい感じ(ローラの音域で)。

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突然、追記しますが、阿部薫。インサイダーには超有名ですが、知らない人の方が多いと思います。聴くのに相当体力が要りますが、一度、是非、聴いてみて下さい。随分前に高名な日本のジャズ評論家がパリにいらした時、パリの小さなジャズクラブで、日本のフリージャズの歴史という貴重な講演をしてくれました。有名無名のミュージッシャンが多数集まりました。その中で阿部さんのサックスが講演の真ん中辺りで掛かりましたが、その時の会場のざわめきを良く覚えています。フランス人のミュージッシャン仲間から、「阿部? だれ? この音?」。日本にこんなすげーのいるんだぁと。皆、圧倒された。世界最高峰のジャズサックス奏者のひとりであることは間違いありません。

2012年9月20日木曜日

ピアノの録音

何度も同じことを書くようですが、老いの繰言? コンピューター音痴の私の最初の原始人のような疑問は、「ピアノの音を録音してコンピューターに保存する」方法は? コンピューターに詳しい方からすれば、はぁーーーというぐらい初歩的な疑問なのでしょうけれど、私には簡単に理解出来ませんでした。で、詳しい人に聞いたり、インターネットで調べても、結局、これだぁーという解決が見付からなかった。これは、私にもちょっと意外でした。もっと簡単にご教示頂けると思っていたので。私の「笑いと涙のオジサン物語」は、多少、ピアノ狂の録音に役に立ちそうなので、以下、まとめて見ます。大体、ちょっと前まで、「カセットに録音」して居ったのです。その後、ミニディスクへ。ここで、私のキャリアはストップ。ここまでは、コンピューターが現れていないのです。「裕さん、資料として何曲か送って」と言われて、「はい、じゃ、近日中にカセット持って来ます」と返事をしたら、ぽかーんとされたのだ。近所のスーパーに「カセットテープを買いに行ったら」、ないと言われて、その時の店員さんの表情も、笑い泣きしながら怒っているような感じだった。

大別すると、
1) 特殊な録音機材を使う
  かなりお金が掛かりそうなのと、これまた難しそう
2) 電子ピアノに限定されるが、シーケンサという機材を接続する
3)    ボイスレコーダーで直取りする
  インターネットの質問回答欄で見付けましたが、コードを電子ピアノに接続し、
  録音する方法 この考えは、後々、大変に役立った

アコースティックピアノのケースは、1+3しか不可能。ただし、ボイスレコーダーの録音のクオリティーが大いに疑問。で、「コンピューターに接続出来る音楽専用の録音機」はないのかということになり、調べる。ありました。ここまでたどり着くのに一ヶ月。この間に、割愛しますが、笑いと涙の諸々の格闘がありました。電子ピアノに、直接、コンピューターを繋いで見たりとか.....。
そして、とうとう悟りの境地が訪れる。「コンピューターに接続出来る音楽専用のビデオカメラ」はないのかと。インターネットで調べまくったら、あったのです、これが。Zoom HDQ3という「音楽専用のデジカメ」というのが。200ユーロちょっとで。これは、コンピューター音痴のオジサンへは神の啓示に近い発見でした。ビデオも撮れる。録音のクオリティーは十分。直接コード接続による録音も出来るし、ライブ録音も出来る。突然、ユーチューブが、地球の反対側から我が家の隣に近付いたのでした。詳しい方にすれば、なぁーーーにをしとるんだぁーーー。となるでしょうが、半べそかきながら一ヶ月以上を費やしたのでした。お役に立てれば幸甚です。

こないだも、パリのジャズクラブに、二三曲送ってと言われ、私の動画を三つ、ちゃちゃとメールしました。やれば出来るのだ。カセットよ、さようなら。どうしよう家に何百本もカセットテープあんだけど?

追伸
あんまり、こういうお宅系のエッセイのようなもの、部外者には面白くないと思うのですが、すいません、ピアノ中毒仲間には、多少は役に立つと思うので、今回、まとめて見ました。因みに、私の動画は、イギリス製のヤマハの中級サイレントピアノおよびローランドRD-700GXからの直取りです。以前の私のようにお困りのピアノ中毒仲間がいらしたら、どうぞ、ご遠慮なく。詳しくご説明致します。お宅系のブログは、一応、これだけにします。面白いブログ、一応、元物書きの端くれですので、ご期待の程。

2012年9月19日水曜日

ラストシーン

この動画が、そんなに大袈裟な話ではないけれど、私の動画第一作になりました。なぜか、アップロードは二番目(なぜなのか思い出せない)。コンピューター音痴の第一作としては、まずまずの出来。

映画のシーンを文章化しても仕方がないのですが、デッド オア アライブ1のラストは、素晴らしい。三池崇史監督のお名前は、クローズゼロで初めて知りました。はまりにはまり、十回ぐらいDVDで見ました。そして2も、むさぼり見ました。三ヶ月ぐらい、心はゲンジになっていた。

いつものように、いつものスーパーに買出し。DVD特売コーナー。テレビで三十回は見ただろうコメディー映画だの、ウエスタン、アメリカのB級アクションもの。で、この中に、なぜか時々、日本映画が混ざっている。デッド オア アライブ2 三池崇史というのが、一番手前にあった。当然、うぁちゃーと購入。むさぼり見る。当然、2なんだから1があるはずと、そこいら中を探すも、見付からず。そうこうしている内に、またまた、スーパーの特売コーナーで3を見付けた。むさぼり見た。DVDの予告編を見ていると、どうも1のラストシーンが凄まじいらしいという感じ。とうとう、インターネットで注文、購入。なんかの手違いで、DVDが二枚到着。むさぼり見た。ラストシーンで、気絶した。

哀川翔さん、竹内力さん、この映画(シリーズ)で初めて知りました。で、このラスト。もちろん、文章化しませんが、哀川翔の千切れかけた左腕。左のわき腹に刺さったドス。ピストルを握った右手で、低くちょえーと言いながらドスを抜く(この声が音として、私の脳髄に刺さります)。千切れかけた左腕を自分で毟り取ると、投げ捨てる。低くちょえーと言いながら、残った右手のピストルを相手にかざす。もう目がうるうるしてくる。男たるもの、これぐらいの気迫がいるなぁーと思いながら涙してしまう。ほとんど、お笑いとアクション映画しか見ないのですが、このシーンは脳髄に焼き付きました。動画のコメントにも書きましたが、このシーンを思い出すと、元気になる。逆癒しになるのです、私にとっては。変かなぁー?

ところで、この曲は、私のオリジナルですが、実に単純な構成。ほとんど、左手は繰り返し。右手に感情を乗せて弾くというパターン。技術がないからこうなっているのか、意図的にやっているのか、一応、謎にしておきます。そんなにもったいぶる必要もないか? はい、意図的にペダルというやつをやっています。右のコードが変わっても、左の低音を変えないという技法。ひとつには、音がおしゃれになることと、なにせ、左手の動きがシンプルなので右手に感情移入がしやすいのです。後、隠し味と同じ、隠し音を入れました。気が付いた方もいらっしゃるかもしれません。かごめかごめの「かごのなーかのとおりいは、いついつでぇやぁーる」のメロディーを一音上に移調して、ラの音をカット。ここに、私のエモーションを封じ込めました。こうやって書くと、すごい高等技術のようですが、譜面に書いて、それを見ながら弾かれると、なんだよぉー、単純単純となるはずです。

2012年9月13日木曜日

裕イサオ 筆トークについて

皆さん、今日は。裕イサオです。
ブログを開設(というのかしら)致しました。二分前まで、ブログというのがなんなのか知らなかったのですが。一応、ご説明致します。ユーチューブへ26本の動画を投函したのですが、いつもコメント欄が足らず、「この続きを書きたいのだが」と思い、コンピューター音痴なので、例によってインターネットで検索。ユーチューブに連動云々とやっていたら、Bloggerが出て来ました。これは、丁度いいとなり、開設。で、要は、ユーチューブの動画を御覧頂いた方への追伸のような感じを想定しています。動画ともども、よろしくお願い致します。

「コンピューター音痴」
私の世代には大変に多いです。長々書くと、若者たちの眉間がしわしわ状態になるので割愛。
良くあるオジサン談義になってしまうので。とはいえ、二分前までブログは風呂具としか聞こえなかったし、二ヶ月前まで、ユーチューブ、動画、投函、これもなんのことか分からなかったとだけ書いておきます。一挙に投函狂と化した「笑いと涙のオジサン物語」は、割愛。音痴、高血圧とか、これが始まるとオジサン自慢が止まらなくなります。こないだも、高血圧の話になったら、先輩に叱責。えっ、裕君、まだまだ、あんた、200超えないとぉーーーなんて(音痴はまだしも、高血圧は怖いですよ)。

「動画作成狂」
映画狂、コメント狂、ピアノ狂。このみっつが合体。動画作成狂と化し、コンピューター音痴なんぞなんのその、はまると止まらないジャズ屋体質。まあ、アップロードってなんですかぁー?泣き寝入り(サムネイル)?なんて言いながら、よくぞやりました26本。ジャズメンというのは、ハイになって突き抜けるととんでもない馬鹿力が出る種族。時々、自分の演奏を後で聴いて、自分で仰け反る時がある。すっすげぇーなんて、びっくりしたりして。

なぜに突然という疑問が沸いて来るのですが、要はコンピューター絡みは一切駄目ですねぇー状態だった訳です。しかし、負け惜しみで、ははは、ピアノはコンピューターより、もっと複雑。いや、ピアノはコンピューターですなんて言いふらしていたのですが、では、逆も出来るだろうという発想。で、やったら出来た。

いい年こいて、いきなりユーチューブへアホのように投函、そして、ブログ作成。この突然の自己顕示欲やいかに? しかも、コンピューター化、インターネット化へ豹変。で、自己顕示欲が盛り上がった訳ではなく、なんか、いつまでもアナログもなぁー(縁側で団扇をはたはたやり、夕焼けを見ながら)っていう程度の話で、オジサンの自己啓発が動画とブログになりました。

ただ、自己顕示だ名声欲とは違うと言いつつ、「無名の芸術家」、「無名のミュージッシャン」これは矛盾している。他人が介在しない芸術芸能なんてものは矛盾している。炭焼き小屋の脇で、わたくしは一人静かに、ピアノを奏でている。サハラ砂漠の真ん中で、グランドピアノを弾いています。わたくし、それで満足でございます。こういう素晴らしい悟りの方もいるが、私は、単なる三流ピアニスト。悟りの境地なんぞ程遠い。やはり、人に聴いて貰わないと「存在の意味」がなくなってしまう。そうなると、恥ずかしがり屋の内気なピアニスト(戦略としてはいい。栗原類君だけど、イケメンでないといかんなぁー、駄目だこりゃ)なんてものも矛盾しているので、そうなると、露出するしかないとなる。

急に、ひとりでクスクス笑いをしてしまった。炭焼き小屋の脇のお笑い芸人とか、サハラ砂漠で漫才やってます。これは、悟りの境地ではなく、狂人だっ。