2012年12月31日月曜日

2012

昨晩、書いた記事を、今、読み返したら、なんだか物凄く重々しい内容なので、ばつっと、削除してしまった。分からないのだけれども、私の中にブログというものに対する考えがあって、私の判断で相応しくないとした。明確な説明はできない。

ブログに書かないことが沢山ある。いや、逆に言うと、本当に書きたいこと。書かなければいけないと思っていること。そういうものは書かないのである。なんか別の土俵でと考えてしまう。
これも明確な説明はできない。

と、もやもや、もじもじしながら、まぁーーー良くも毎日、書きまくっとる!
3ヵ月半で、126編。この吹き零れる馬鹿力! なんなんだっ!
もぉー、やはり、以前書いたこの台詞。「そこに山があるから登るのだ」に近い。

ジャズメンの脳内構造は、十分にばれてしまった。
ぎょ。やはり、このネジレ構造あってのジャズなのだろう、ね。
これも、以前に書いたけれど、時々、私のところに、クラッシックのピアニストが、教えて欲しいといらっしゃることがある。で、教えられないのである。大体、私自身がジャズは独学。手探りで、「自分の出したい音」を発掘してきただけなので、教えるような技量はない。もちろん、理論的な説明はできる。それから、このブログのタイトルでもある「シンコペーション」。リズムの強弱の位置を変える、いわゆる、こぶし回し。このイサオ節と良く言われるこれに関しては、もう、私の内奥のエモーションから発生しているから、教えようがない。で、一部の方から、これが、やかましいというご批判も受ける。たぶん、一理あると思う。

ピアノの饒舌体。このブログの文体に、当然ながら共通している。
やたらと音数が多いのだ。へらへらなのである。これは、もう絶対に根暗の裏返しで、明るくへらへらやっていないと、私自身のバランスが取れなくなる。アルキヘンデスのメンデルスゾーンの論理である。嘘。

年が開けると、諸々のプロジェクトが始動する。
ニュートリオの結成。デュオ。ピアノソロ。
舞踏との再共演。それからアーティストによる動画の撮影。

うひゃーーー、忙しいなあ、もう。

でね、超絶技巧「ドラゴンへの道」。これは、かなり身に付いた。今、消化中という感じ。
さり気なくでる訓練をしている。これはこれで難しいのだ。

はい、私の読者様方。改めてお辞儀です。ありがとうございます。
読者様の脳内の方を心配して居ります。だめだぁーこりゃ、とお感じになられましたら、
早急に、アクセス中止、お願い申し上げます。でも、脳内ジャズ菌感染してしまった方は、むははははは、お読み続ける以外には、方途はございませんこと、ここに明記させて頂きます。嘘。

では、皆様、良いお年を! 心から!



2012年12月30日日曜日

年の瀬

今朝、起きて、なんとなく年末の挨拶ブログみたいの書いて、よぉーーーーーし、ブログは、ぼさろぉー、と、さっきまで思っていた。で、結局、これを書き出している。これは、もう、絶対に、明子姉さんと小股兄貴のせいである。団扇じゃない、内輪にしか分からんっ! その通り、です。

で、「年の瀬」。実は、意味が分からないのです、おっさんなのに。恥ずかしい限り。後で調べる。しくしくしく。と言うのは、本当の嘘で、翻訳すると、「年の淵」。だから、当然、年末。日本語って粋な言語なのである。

1日=24時間
1年=365日

このリズムは、我々が決めたのである。と言いたいけど、これは、宇宙様と地球様との力関係で、このようになった。地球の上司、ね。宇宙は広いどぉーーー。駄目駄目、しょうもないことに、くよくよしてちゃ!

などど、書いて居るが、俺だって、自己中だぜって!

ところで、これがだ、1日が3時間とか、1年が3000日とか、こういう風に考えると、おわぁーーーとなる。前者は、超忙しいし、後者は、なんだか、「はい、僕、今、5歳です」なんてことになる。で、インカ帝国の人、マヤの人たちが、たぶん、こういう計算式を立てたのだろう。

でね、今日、俺の家の庭のど真ん中の菩提樹の枝切りをしたわけ。
当然、樹齢、112年。でね、絶対に、俺の家は、この菩提樹の上に建っていると、踏んでいる。この木と、俺の家と、たぶん、ありゃ、俺もだよ、合体ロボなのである。

そうなんだけど、主旨が違う。

この区切りってのは、気分的にいいのである。
四季。これない国も多い。やはり、気持ちの区切りである。
年。あった方が分かりやすい。ないと、どうなるのかしら、ね。

と、うだうだ、書いてるけど、俺には、ありゃりゃ、年末の大掃除なんてないし、
新年の抱負なんてもんもないのね。でね、前者は、日頃の積み重ね、と言うか、あまりに、きったねぇーと思ったら、徹底的に掃除する。以上なのだ。で、後者、ふふふふふ、毎日が、抱負の連続だから、とりわけ、いらんのだ。という、これ、一応、元気ブログなんだけど。

はい、体と心の元気は、みんな、いるのだ。


2012年12月29日土曜日

ジャズ菌さんの詩(うた)

豚のようにと 安易な比喩が 最も相応しく
今 私は 布団の中で豚のようになっている
豚の形になってみると そりゃ ふて豚しい

はなもげら語を発明したのは もりはなえ ではない
洋ナシを ジャズメンが食べると 当然 字が違う
そんな 話はなし と東シナ海で考える

よしなさぃっ そんな 派無しっ 

拳銃を持った爺さんが 東シナ海で ずどぉーんと 拳銃撃ったら
厳重になって 蛸が引き攣った で カオスのタコス ね
で 酢蛸にして 食い散らかして 悔いが残った残ったの 大相撲 

おー 烏賊は墨に おけないわ などと ナドの実(えっ、なにそれ?)を 食べた
わらびを ころびながら 取ったら 扉の取っ手 だった
なにとってんだって はい 取っ手です なんて 取って 付けた

もぉー 毛布はやめてっ て おまえが言うから 羽毛に変えたら
うん もぉー って言うから 手羽先 手間が 省けた
ような 木の下(だれなの?)

えー 本日も まあ なに ちょいと なにを ね(なんなんだって!)
まあまあ そう怒んなさんなの三男坊 棒を担いで ぼー

蛇頭野 菌次郎作


とっとととっ、まさか、読者様、読んでないよね? これ?

公開 先に 立たず

お粗末でした。


2012年12月28日金曜日

紙上コンサート書き散らし

今、フランス国は、午後5時半でございます。

俺の展望台サロンの右の窓は、クリスマスツリーのため雨戸を閉めてあるわけ。

で、俺の正面の縦長の大きな窓。薄いグレーと雨雲。かなり強い風で左側へ凄い勢いで流れている。雨、雨。なんかブルタァーニュ地方とか、ノルマンディーの海岸。

冬の海岸に立っている感じ。俺、昔から好きなのだよ、冬の海。根暗なのだ。

本当は、ブログ書かずに、赤ワインを飲みながら、じぃーーーと、見ていたい、けど、ブロガー魂なのか中毒なのか、しくしく、これを書いてしまっている。綺麗だ、本当に。宇宙船の中にいるみたいなのね。見晴らしがいいってのは、心にも、たぶん、いいんだろう。はい、お仕舞い。だめ? あっ、そ。

でね、今年のフランス国は、雨、快晴、雨、快晴、雨と、すでに書いたけど、今日は、1日の中で、地球様は、ご演奏されて居る。凄い気迫。とはいえ、年末なのに、日中の気温は、15℃ぐらいという暖冬です。高血圧には、暖冬は、助かるのである。懐が寂しいけど、心は錦になり易い。俺は東北人だから、寒いのは構わん、でも、高血圧だから寒暖の差は痺れる。どっちかにしてもらわんと、やはり、心臓に悪い。でもね、南国に住みたいとか行きたいとか、全然ない。急に、また、博学。セリーヌの代表作のひとつに「北」というのがある。で、ミラーのそれも「北」回帰線。やはり、俺には、なんかの極北。ありゃ、この単語も「北」だったよ、すでに。だから、南国には、興味がない。

でね、庭の木々の剪定を始めた。
ぶどう、なし、りんご.....。心が休まる。
毎年、毎年、心が痺れている時に、俺の庭、および、木々が救ってくれた。

彼らが、いつも、後ろに付いて来ている。
助かる、本当に。

剪定、散髪と一緒で、すっきりするのである。
俺も、彼らも。


2012年12月27日木曜日

食べ物と飲み物

17h30 ぺルフォートビール(赤茶色)
18h15 シャンパン シャンパン シャンパン
 クラッカー、チップス、ミニソーセージ、ブッダン(豚の血を凝縮したソーセージ)、白ブッダン(白 身魚の練り物ソーセージ)、鰯のテリーヌ(自家製)
21h00 生牡蠣 レモンないし、ニンニクビネェガー 白ワイン
 その前に、トースト、バター、フォァグラ シャンパン
22h15 鴨腿肉のクリームソース、インゲン添え
 赤ワイン 赤ワイン 赤ワイン............................。ブルゴーニュ、ボルドー、ボルドーメドッ
 ク、サンテミリオン.............。カルバドス
24h00 クリームケーキのパイ包み
01h00 ノエル用のアイスクリーム


12h00 シャンパン シャンパン
13h00 フォァグラとトースト 生牡蠣
14h00 エスカルゴ、パセリニンニクソース(エスカルゴ、自分で捕獲、ソース自家製)
15h00 羊腿肉丸焼き 肉汁ジャガイモ 自家製ニンジンのピュレ
16h30 クリームケーキ アイスクリーム
17h30 コーヒー


はい、隊長。
フランス人は、何を食っとるのだ?
えー、裕の報告ですと、このように.....。

そうじゃなくて、一般家庭は?
えっ、裕の報告ですけど.....。
えっ? ボウ貧なのに.....。はい、だから、富裕層は、何食べてんですかねぇー?

ちょっと、裕を出せっ!
「いぇーーー、隊長、体調はいかが? るっせぇーーー、リポート書いたから、今、とろろ汁。
こっちの身にもなって頂戴って! ジェームズ」。


作者注 一般家庭です。これが標準なの、フランス国は。食料自給率200%だよって!
    痺れました。

2012年12月24日月曜日

ぼさりノバ

えー、本日は、ノエルイブの前夜。
(爺様ではなく、時差の関係。日本国は、すでに、24日です)
俺なりの「一年総括」。で、俺のアトリエである台所掃除(素敵なモダーンライフに超変身)。俺の地球様表面である庭掃除(ブロ中のため、やや放置)。で、俺を支えている支柱であるピアノ(これは、これは)。と、軽く書いて居るが、しっぶぅーい、1日。

あれれ、日本国のおやじ。俺と同い年ぐらいのって、今日、何やってんだろな?
分からんなぁー。まあ、いいや。大体、想像は付いてるよ。ぎょ、金魚っ!

とりわけ、ピアノ総括は、次の年への第一歩だから、念入りにやった。
で、メローなベクトルと、ハードリズミックス、このふたつの精神ラインがもぞもぞしていることが分かった。たぶん、ではなくて、近々のブログの文体に、良く出ている。

んで、お庭のぱりぱり焦げ茶色、小雨でぱりぱりがちょっとべとべと落ち葉を軍手で掻き集めていて、ふと、思ったんだけど、例年、この時期は、うっくんとの蜜月だった。のに、ブログ様のお陰で、うっくんの登場が実に少なかった。んで、年明けると、よっしゃーーーと、いつも、なっている。から、いい感じっ。

この、うっくんの登場が少なかったこと。これは、俺には意外だったよ。
どう考えても、ブログ執筆以外には、考えられない。で、やはり、愛読者様へ、お辞儀です。
メルシー 僕ぅー。です。

こういうブログの効用は、確かにある。
書くことで、自分の位置を確かめる。
羅針盤だね。でも、書くこと、辛気臭い。篭ると、やばい。
篭り系は、篭りのおば様になっちゃうから、詩とか小説、やばい。
病的だ。ある意味。でね、詩が一番やばい。ある意味、自己中を越えちゃう。
自己陶酔。これは、ね、やばい。
小説、これ、辛気臭い。ねちねちしていて、暗い。筒井大師匠は別です、けど。
でね、自己中、自己陶酔、ねちねち、だよ、やっぱ、止めた方がいいと思う。こういうことは。

でね、むふふ、そうではない詩、小説、エッセイもあるのであるのだのアディダスなのだっ!



2012年12月23日日曜日

外から割れない卵

うす曇の夕暮れ

うすいグレーと 黒に近いグレーが まだら模様に 空に広がる

まだら模様の手前に 常緑樹と落葉樹の影のような形がみえる


ある番組で 卵は外から割れないことを知った

手のひらに卵を乗せる 力一杯手のひらを結んでみる 割れない

球体 力学の説明をつけることは もちろん できる

でも それは 人の心に とても似ている

内側からしか 割れない


むむむ諸々

えー、赤ワインを飲む。えー、タバコを吸う。健康にご注意くださいね。でも、一番、健康に悪いのは、会社です。各会社、入社前に、入り口に張ってくださいね。よろしく。えー、また、赤ワインを飲む。

でね、忘れてしまった、なに書きたいのか。

では、ボンソワァー。

ちょ、ちょっと、あのねぇー、俺の出番、なんとかなんないの?
あっ、ジェームズ裕さん、じゃん。
じゃんじゃねぇーって、ちらちら登場、以上。なんだてめぇー。芸人、舐めんじゃねぇーって!
おぉーーー、すっぱいっ!
ぎょ、キモ。そうじゃ、ねぇーって!

そう、俺の本名は、ジェームズ裕。フランス国、重宝部員007.5である。
大工仕事、車の運転、料理、諸々、セミプロなのだ。優秀な重宝部員。

でね、顔なんだけど、これね、ユニバーサルワールドワイドハンサム、なのだ。

シリアス系 グラサンすると、あっち系 取ると、可憐な純文メロ
お笑い系 そのままで十分
パパ系 そのままで十分 ホームドラマ そのまま 好々爺 そのまま 助平爺 そのまま 

ほれ、すべてのニーズに対応して居るのじゃよ。
俳優としたら、息の長ぁーーーーーーーい、それだ。
俺の顔ってさぁーーー、皆に似ているのだっ!


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と、ここまで書いて放置。師走で、やはり、ちょっと、忙しい。
間もなくクリスマス。フランス語だと、ノエル。
で、このノエルが日本の年越しの感じに近いのです。

下宿している学生さんを例に取ると、ノエルの前々日に、実家に帰省。
親族で、ノエルの前日、当日と過ごす。で、その翌々日ぐらいに下宿に戻り、
大晦日は、友達と飲んで踊って騒ぐ。新年会という感じです。

粗食日本異邦人の胃袋には、辛い日々。
ノエル前日(クリスマスイブ)、午前11時半辺りからアペェリティフ。前菜、前菜、メイン(普通は巨大な七面鳥の丸焼き)、サラダ、チーズ、こってりしたクリームケーキとアイスクリーム、コーヒー、食後酒。午後4時ぐらいまで続く。この間、ずっと、近況報告、フレンチエスプリアイロニージョークとへらへらやらなければならない。こっちは、元々、へらへら坊ちゃんだからいいとしても、この私の感覚だと五人前ぐらいの量を、笑顔でお腹に入れないといけない。赤ワインはばしばし出てくるし、結構、シビア。

大晦日は、友達とのパーティーっていう感じなので、ちびちび摘んで、ワイン飲んで、マイケルの物まねとかやっていればいいので、お腹は楽。ただし、飲み過ぎ注意です。と、皆で言っているだけで、絶対に二日酔い。

で、ノエル前日(クリスマスイブ)、午後5時半ぐらいから、またまた、同じ行程を行う。メインが巨大ローストビーフに変わるけど。書いているだけで、仰け反りそう。フランス、パーティーとかで寝るの超顰蹙なので、辛いぞぉーーー!

もう、毎年、ノエルの翌日は、ざるそば、とろろいも、お新香、なぁーーーんていう感じ。
ざるそば食べてるサンタさん。やっぱ、変かしら?

皆さん、ジョアイユ ノエル(良いクリスマスを)!
年始まで、ちょこちょこブログさぼりまぁーす(伸ばさなくてもいいと、オジサンは思うんだけど.....。ぶりっこしてる、よ)。

2012年12月22日土曜日

フランスの日常

本日、再度、食洗機を取りに行く。
さすがに、お店の方々、私=ターミネーターのことを覚えていた。
あっ、タミネさん。うんうん。私は笑顔。あっ、はっ、はい、直ぐに、お餅を突きますから。

レジのねぇーちゃん、振り返り、あっ、ムッシューーー、今日は、小切手、わなわな、だっ、い、じょう、ぶ、です。私は好々爺。

俺、そんなに怖いのかな? お店の人たち、なんとなく、膝がくがく。

ここまで書いて、今度は洗濯機の水漏れ。中断。パイプを繋ぐ。また、目がタミネさん。

でね、俺は全然、強面ではないし、超絶的に温厚な人間なのである。
けど、草食系とかいうアンちゃんではないのである。小食系ではあるんだけど、草食ではない。
あっ、粗食っていうやつね。伝統的な日本料理が一番いいのである。
わらび、とか、ぜんまい、とか、ひじき、とか、納豆、塩辛、豆腐、なめこの味噌汁とか、とにかく、昔から日本人が食べていたもの、これが一番なのである。

で、この粗食、温厚の日本異邦人が、フランスで生きていくと、ちょっと、どこかで、暴力的になる時がある。たぶん、中田選手が一番分かってるかも。そんなことはしたくはない、けど、仕方がない時もある。弱肉強食。肉弾戦。向こうが掛かってくる。そんな気は、ないことは分かっているけど、我々日本人には、「掛かってくる」という感じが、いつも、する。

で、東洋系の良いとこでも、悪いとこでもある、「最後に炸裂する怒りのエネルギー」。
ブルース リーである。でも、現代風の「切れる」は、拙い。

フランス人の、かねがね良いとこと思っているのは、「口論する」こと。「手は出さない」。
これは、絶対に良い。けど、俺、怒ると、目が据わる。

たぶん、フランス人には超絶的に怖いのだと思う。この無言。静寂。目力。
俺だって、こんな俺、怖いっ!

でも、今日は、店員さんたちに、「ボンジョーネ」って、笑顔で出てきたよ。



2012年12月21日金曜日

シニアベースボール

食洗機を買いに行ったら、レジにすごい人、と言っても十人程度。
約三十分待たされる。注文時に、20%を支払い済みなので、残りを支払わなければならない。
注文品は届いてますよね、と念を押したら、出した小切手を押し返されて、それでは、あちらのカウンターで確認願います。あっ、そ。十分待たされて、箱に入った食洗機が出てきた。では、レジに戻りお支払いを済ませて下さい。戻る。なんとなくイラ付いているレジのお姉さん。小切手を渡す。何やら同僚およびスーパーバイザーのお兄さんとごじょごじょ。その間に、他のお客さんがどんどん支払いを済ませる。三十分待たされ、

「すいません、コンピュータープロブレムのため、本日は、小切手は受付できません」

一時間十分後にご通達。
温厚な私、であるが、このフランスで頻繁に起こる「こういう事態」。

「えっ、今突然なのですか?」「いいえ、2日前からです」「では、なぜ、最初のレジで小切手を出した時に言ってくれないのですか?」「ご迷惑を掛けたくないので、いろいろとトライしてみましたが、駄目だったのです」「事情は、分かりますが、一時間以上立ったまま待たされているのですけど.....」と、その時、お姉さんの目に「るっせぇーーー、客」という光が見えた。

温厚な私、から、松田優作へ、0.2秒で変身。

「おい、ねぇーちゃん。事情は分かる。最初のレジで、なぜに言わん」「いや、私が担当ではありませんでしたから」「スーパーバイザー、呼んでくれる?」「いや、コンピューターの問題で」「それは分かっている。段取りの問題を言っている。悪いけどよぉー、金は払うから、そちらで俺の家まで運んでくれる。よろしく。不愉快なんだよ」「申し訳ございません、コンピューターの.....」「だから、そっちで持って来いって!」「有料ですが.....」

その時、松田優作からターミネーターへ表情が変わった瞬間、手伝いに来てくれていた友人に腕を掴まれた。「裕さん、出直しましょう」「いや、あなたに何度も.....」「いいですよ、いいですよ」。

と、たまにこういうこともある。結局、お姉さんの態度が気に入らなかっただけなんだけど。
で、なんか一晩中、珍しくイラ付いて、まっ、YouTubeで野球でもみっかぁーと、突然なった。

引退後の選手のオールスターみたいな動画が出てきた。

江夏、田淵、六十九歳。あれれ、そんなに上だったかなぁー。
村田、六十二歳。なぜか、これは、しっくり。そんなもんだろうなぁー。なんと、直球130km。痺れた。
バース、五十五、定岡、五十四、掛布、五十三、岡田、五十一。あれれれれぇー、そんな行ってたっけぇー。
桑田、四十一。そんなもんだろう。

見終って炭酸水を飲んでいた。飲み終わり、あれ、俺って桑田と同世代のはずなんだけど.....。
何時の間にか、脳内が一世代ワープしていた。なんだよぉー、俺って掛布と同い年かよぉー。自分でびっくりしたりする。

ところで、皆さん、もうにこやかで、エラーしても、三振しても、みんな、ドンマイドンマイ。にこにこ手を振って、お客さんの声援に答えて、127kmの直球に、自分ではしゃいで、一塁まで全力疾走って言っても、ベースと一塁の中間辺りでアウトになって、ベンチに引き返して、お客さんに手を振って.....。

皆さんの年齢を考えたら、凄いレベルだけれど、なんとも、このオジサンの余裕と、なにより、楽しそうなこと。いいなぁー、オジサンって! 音楽も、こんな感じでいいんじゃなぁーーーい、と、思ったよ。ミストーンだの、メロディー忘れちゃって、皆に笑顔で手振ったり.....、ね。



2012年12月20日木曜日

one day is a one day

毎日 空の様相が違う
当然である
自然は 毎日 静かに動いて 同じ形を示すことはない

その形は 一度だけである

私たちも その自然の一部 同じ顔は二度とこない

生まれてから死ぬまで 同じ日 同じ顔は二度とこない

地球に生物が発生してから 
私たちは まだ いる

地球の表面に 蔓延った

そして 知能を持ってしまった

破壊と感傷が繋がってしまった

だから 泣きながら 破壊を続ける 

私たちに似た 以前の人間が 同じことをしてきた

私たちは 続ける以外に 方途がない

私たち? そもそもの始まりから そんなものは ない



2012年12月19日水曜日

お台所

モダーンなキッチンユニットを設置してみると、諸々のバランスが変わった。
壁にコの字に張られた白いタイルとのバランスが悪い。流しの幅が20cm増えたので、調理台のスペースがなくなってしまった。ガスオーブンを小さいものと取替え、調理台として、小さな食洗機を購入することにした。白いタイルは、タイル専用のペンキで、茶色っぽいワインカラー(ボルドー色)に変更予定。今、下地を作っているのです。

元々、この家を購入した時、お台所に、鉄のかたまりのオーブンがあった。鉄のかまどです。
いくらなんでも、毎日、蒔き拾い、調理ともいかないので、さすがに、ガスオーブンに取り替えた。通りに古いオーブンを出したら、多分、アンティックショップに転売するのだろう、あっと言う間になくなっていた。いらないものを処分する時、たとえば、くつ、食器、家具なんて、通りに出すと、いつの間にか消えてしまう。自転車は、出して扉を閉めた途端に、もう、ない。捨てた衣類が、翌日の蚤の市で売られていたりする。お金はフランス国はあまり循環しないけど、ものは、ぐるぐると回る。悪いことではない。取っ手の割れた急須なんてもんも、蚤の市で売っている。50サンチームとかで。アーティストが作品用に購入したりするのだ。

私は、ものを集める趣味はないけれど、物持ちは世界トップレベルである。
二十歳の時に、クアラルンプールで購入した自転車の絵柄のTシャツは、十五年ぐらい着ていたし、自動車運転歴二十一年。愛車は、まだ、二台目。ピアノ、アップライト、電子、共に二台目。これは、私のレベルアップのせいで、道具の方が、付いて来れなくなった。安物楽器の限界はある。

フランス人のお金の使い方は、当然にしてベースがケチだから、消費系にはあまりお金を使わない。自動車なんかに、あまり散財しない。お金持ちが、リッターカーに乗っていたりするから、車から、地位だの収入を推定するのは至難である。考えたら、有料のテーマパークみたいなところにも、あまり、行かない。森とか湖とか川岸。昼食は、サンドイッチを持参。

で、お金を使うところは、家、庭、家具とバカンス。こんな感じ。
これに関しては、私も該当する。プラス、これに楽器が入る。
やはり、どう転んでも経済の活性化はない。

で、家電は一番安いもの主義なのであるが、
ガスオーブン、これは料理狂の私には道具である。安物は避けたい。で、いいものを購入。
白とはいえ、やや、象牙色。このガスオーブンの横に、真っ白な安物食洗機は、やはり、その安物感があまりにあまりなので、やはり、多少の散財要。

なんか、元々、美術やってたから、こういうところはうるさいのである。
でも、衣類は、すべて安物で固める主義。なんで?
もじもじ、どうしようかなぁー、書いちゃおうかなぁー.....。

ブランドは私だっ!

書いちゃったっ!


2012年12月18日火曜日

新旧交代

いよいよ、流しの撤去、開始。左側のテーブルにカートンを敷く。流しの重みで腰を痛めないように、水平移動を試みる。古代エジプトの知恵である。

ぐらっ、めりっ、むむっ。少しずつテーブルへ流しを移動。一瞬、アントニオ猪木のような、明日のジョー。流し様の重量に耐える。元OOO一中、野球部キャプテン、キャッチャー、四番が、二秒ぐらい蘇り、無事に流し様、台座から外れた。懐かしい、あの頃、坊主刈りの頃が。一級上の先輩は甲子園に行って居るのである。二回戦で敗退。仕方がない。むふふ、俺の行ってた男子高校。たった一度だけ、準優勝をして居る。小さな大投手。全試合を失点、わずか1。で、決勝で敗れた。俺が小六の時に。町中から人がいなくなったと後で聞いた。粋でしょ、失点1でって。

おわぁーーーーー!
初めて、流しの裏側、台座の中を上から見た。まさに、鳥瞰図である。
昔のガス管、多分、一等最初の水道管、排水口、諸々の蛇口、右側の壁からコンクリート、床との段差、等々。大体、壁自体が推定93度。直角ではない。このラビリントスの空間に、長方立方体を「壁際に」設置しようというのだから、飛び上がる。簡単に描写すると、古代のジェットコースターのミニチュアを上から見た図ってな感じです。

とにかく、要らないものを除去。なるべく凹凸のない空間を作る。算数上は、そうなります。
除去できない突起物。キッチンユニットの裏板を切らないといけない。これも、道理。
現代美術家(元)の面目躍如である。なんか、作業自体が、人間社会の縮図的、です。

その日の夕方。キッチンユニットの設置を終了。ぴたっ、と納まる。
お見事っ! ぱちぱちぱち。

テスト開始。

1) 床、水浸し
2) メインの排水システムから、小雨

むむむむむぅー。

1) は、キッチンユニット移動の際に、パイプの接続部分が外れた。すぐに解決
2) もう、はっきり言って原因不明。とはいえ、毎度御馴染み。フランスのプラスティック製品の精度に問題ありと解釈するしかない。これだけ厳重な作業にも関わらず小雨。再度、解体。シリコンと、水漏れ用の薄いナイロンテープで再構成。小雨、止む。快晴

すっ、素敵だ。薄いグレーのキッチンユニットっ!
これで、更に炊事マン、パワーアップっ!
(翌朝、削ったタイル二枚が浮き上がっているのを発見。二枚を剥がし、タイル専用の接着剤で修復を試みる。けど、すべてのタイルが、びしっと手を繋いで成立していたのだ。二枚を嵌め込もうとしたら、その横のタイルが剥離。で、それを.....。次が剥離.....。次から次へと、剥離。結局、六枚が剥離。剥離を回避しつつ、修復。これも、人間社会の縮図そのまま。タイルとタイルのせめぎあいが、壁を成り立たせていたのである)


ところで、

ちょっと、ちょっと、俺、昨日ブログ書いてないんだけど.....。なんで、更新されているの?
だれだっ? 詩神様がサロンのソファーでにやにやしている。あっ、詩神様だなぁー、勝手に更新! むふふふふふ(今日も、注釈入れちゃったよぉーーーん)。なんだよぉー、駄目だよ、俺のブログなんだから.....。えっ、さすが? いつもより、どおりで格調が.....。ありゃ。

どどどどどどどどどどどどどっ、出てきたぁーーー、俺の脳内住人っ!
ジャズ神様、ジャズ菌軍団、うっくん、酒神様は常駐、おわぁーーー、シニアーマン、ジェームズ裕、ハイランダー(未執筆)、キャサリン、イザベル、直子、俺のプール付きの豪邸.....。
ありゃ? すいません、あのぉーーー? 馬鹿タレっ! わしは哲学者の球体爺じゃ!
すいませぇーーーん、目鼻ないと、どっちが前=顔なんだか、分からんのですが.....。
ばぁーーーかかぁーーー、お前っ! わしは、旧態人間。あっ、漢字が違う、球体人間じゃ、哲学者って、こと、ね、若造。

もう、みな、不平たらたら。登場回数が少な過ぎる。シリーズもんは放置。ちょい役のまま放置された云々。がやがやがやがやがやややややっ。

だまらっしゃいっ!
わたくし、キッチン格闘家。忙しいのだっ!
文句言ってねぇーで、手伝いなさいっ!



2012年12月17日月曜日

「詩」のようなもの

それぞれの詩があるから
押し付けても意味がないことを まず 知らないといけない

球体に表裏がないように 私たちの関係にも それはない
私たちは みな 無関係

関係? 血の繋がり それ以外のものはない

表裏がないから 私たちは 楽しく無関係

「詩」を強要することは詩的ではない まず これを知ってから書かなければいけない

でも 私たちは「詩」に強要 強制されたい そういう動物なのだ

だから それぞれの中に「詩」がある



2012年12月16日日曜日

近代的生活

流しの撤去の目途が付いた2日後、近所の大工道具店から、ご注文のキッチンユニット到着との電話。

フランスの巨大大工道具店の代表は、「ルロワメルラン」と「カストラマ」。
日本にあったかなぁー、こういう大型店? 大工道具店というより、ほとんど、家を自分で建てる人のためのお店という感じ。すべての工具、材料が手に入る。実際、私のニース在住の知人は、自分でプール作ってしまったし(南仏は日差しが強いため芝は枯れてしまうので、庭にプールを設置する人が多いのである)、最近知り合った三十代の夫婦は、あまりの不動産の高騰に、これではマイホームは無理、よぉーーーし、自分で建ててしまえと、現在進行中。

早速、取りに行く。
翌日、キッチンユニットの組み立てに着手。私はセミプロなので、お茶の子サイサイ(これ意味分かんないんだけど、書いてるくせに)。キッチンユニットの上に、ステンレスの流しを設置。問題は、排水システムの構築。まず、洗濯機と食洗機の排水口がいる。新しい流しは、水槽が二つおよび、水槽上部に水切り口。家本体の排水パイプに接続、および、沈殿物を除去する円筒球形のプラスティックを付けねばならん。もろもろの難題を抱えつつも、アクセスが楽なので、大したことはない。快晴の日、サロンのど真ん中でこの作業をやった。丸1日。夕方には、後は設置、扉の取り付けを待つばかりの、キッチンユニットが完成。排水システムがポンピィドーセンターみたいで美しい。ビールを飲みながら、しばし、見惚れた。大理石の暖炉、金箔のアンティックの半円形の鏡。赤と黒のソファー。茶色い中国風の家具。黒いピアノに囲まれたど真ん中のキッチンユニット。痺れた。この場違い感が素晴らしいし、等々、近代的生活が始まるっ!といった打ち震え感。今度は、赤ワインを飲みながら見惚れた。とりわけ排水システムの美しいことっ!

ところで、「どうして裕イサオは十日間、ブログを書きたくなかったのか?」という、読者様には、まったくもってもってのほかでどうでもいい問い。おもむろに裕先生、舞台に登場。マイクの位置を決める。ちょっと、ごほんごほん。

「えーーー、本日ご愛読の皆々様へ。えーーー、わたくし、幼少期より、詩だピアノだ小説だと諸々に手を染めて参りました。器用貧乏、多芸は無芸の極北を極めて参りました。すべて、三流、贔屓目で見ても2.7流止まり。最近、ピアノの進歩目覚しく、三流の上から二流の下へ昇格致しました。えーーー、ついでに三ヶ月前よりブログに手を染め、このように皆々様とネット海海上にてお目に掛かる機会を持てましたこと、誠に持って、嬉しく思う次第でございます。手漕ぎ船でひいこらひいこらお買い物。ひいこらひいこらキッチンユニットの運搬中に、こうして擦れ違う。あっ、ど、どうもと会釈をし、皆、住み家へ。なかなか粋でございますな。で、先のご質問でございますが、わたくしめ、元を正せば現代美術家なのでございます。しかも、一流の。現代のクラフトマンなのでございます。この手仕事。物体。こちらへ世界観を圧縮するプロなのでございます。最後の展覧会から、早や十五年。このキッチンユニットの新旧交代劇は、わたくしの中の、現代美術家、伝説の巨人を揺り起こす超絶的作用を脳内にもたらし.....。という次第でございます」

どうでもいい? あっそ。

しつこく、つづく。



2012年12月15日土曜日

連載流し

ところで、第一の関門は、この壁にのめり込んだ「流しの撤去」が可能かどうか、である。
可能でなければ、当然、不可能であり、単なる「台所の破壊」。炊事はどうなるのだ?
俺は、日曜大工のセミプロだからこそ、112年前のクラフトマンとの対峙を躊躇するのだ。

ところで、この連載小説「流し」は、推理小説なのである。
犯人? 「なぜに、裕イサオは十日間、ブログを書きたくなかったのか?」、この犯人探し小説なのである。でも、犯人のいない推理小説とか、裕先生は考えておるから、要注意のこと。

で、その流し様は、長方形である。でも、右側上部辺りから壁にのめり込み、しかも、その上にタイル。しかも、丹精込めた仕上げ。今時の若者には、絶対にでけんという風情なのであるが、今時ではない若者なら、でける。

で、撤去自体の失敗。これを恐れておったのである、セミプロは。

で、モダンキッチンを注文してしまう。
で、まず、女の子を引っ掛ける。じゃ、ねぇーって、とにかく、前に書いたけど、目的を、まず、始めてしまうっていう裕先生お得意の、ドS、強行突破ね。本当に、俺、Sなのだろうか?
当然、こういうことをやると、ドMが自分に逆噴射。とはいえ、この新旧交代劇は1日でやらないと、炊事停止状態を招くのである。度重なる外食。余計な出費.....。1日2日はいいとしても、1週間、長期は痺れる。

必勝鉢巻、ライト付きヘルメット(嘘)をし、流し様の撤去に着手。

恐る恐る、流しとタイル部分の接続部分へ鑿。金槌で、軽くこんこんしてみる。
びくともしない。大き目の鑿と金槌に変える。ちょっと、アントニオ猪木の顔で、強く叩く。
タイルが割れた。

ここから、発掘調査隊の試練が始まる。流しに密着している部分のタイルを鑿で、1cm程度割る。中のセメントを3cm程度、鑿で削っていく。あまりに固い部分はドリルで小刻みに割っていく。半日での進行、約30cm。3日間、延々とこれをやった。当時のクラフトマンの仕事への心意気を、改めて思い知らされた。もう、ほとんど、半永久的な設置。何度か挫け掛ける。注文してしまったモダーンキッチン。この撤去に失敗すると、モダーンキッチンがパー、しかも、もともとの流しの周りのタイルはぎざぎざ、と最悪の事態となる。向かって右側奥の部分が5cm程度、壁にのめり込んでいる。鑿では不可と判断。小刻みにドリル、鑿、ドリル、鑿、ドリル.....。びくともしない。挫けそうになる。やはり、挑戦自体が無謀だったっ! 目が寄り目になってきた。その時、左目にタイルの破片。ぎょ、やっやばぁー、危うく失明である。昔掛けていた近眼鏡を掛ける。無精髭、髪、ベートーベン。サラリーマン眼鏡、ジョッキングパンツ、庭仕事用の軍手と、まったく、職業不明のいでたちで発掘調査隊。少しずつ、流しと壁の密着部分が見えてきた。次の疑問。流し全体が壁にセメント等で固定されていたら? 撤去は、自力では不可。壁自体を壊さないといけない。寄り目のバスター キートンという複雑な表情。泣きそうになってくる。

3日目の夕方。

壁と流しの隙間に鑿。ちょっと、不思議な感触。微かにキッという音。
むむむむむぅーーー、再度、鑿。クラッ、流しが5mm手前に移動したっ!
床にへたり込み、ビールで乾杯。流しに頬摺り。ちょっと、寂しくて泣いた。

しつこく、つづく。


2012年12月14日金曜日

返礼/テイクイットイー爺

俺は、お新香屋「かけおばぁ」の店主である。
古びた藍染の暖簾が掛けてある。「かけおばぁ、新香都市」
いつものように、カウンターの後ろで、魚の仕込みをしていた。鋼の包丁、指まで切れそうで、ちと、怖い。実は、俺の本当の仕事は、英国諜報部員コード007.5なのだ。指がないと、ワルサーPPKがもてなくなってしまう。それから趣味のピアニカ。これで、象さんを演奏するのだ。

がらがらがら。俺の店は、築112年だから、やや、立て付けが悪い。

前に、役場の若造が、道路を拡張するから立ち退いてくれと頼みに来た。
俺は、魚の仕込みをしながら、ダニエル クレイグそっくりの笑顔。無言。
若造、根負け。退散。大体、俺は自転車しか乗らないから、道路の拡張なんざ必要がないし、
第一、ガキどもが通りで遊べなくなる。狭いぐらいで丁度いいのだ。竹とんぼ、竹馬、ベーゴマ、シャボン玉、紙風船。通りで出来なくなってしまう。で、その若造、役場の上司を連れてきた。その上司、「何卒、何卒、町の発展のために」となんども頭を下げた。ちょっと、その切羽詰り具合が気の毒になったが、俺は、相変わらず無言。ダニエル クレイグ。

がらがらがら。
「ヘェーーーイ、メェーーーン」
最近馴染みになったイー爺が入ってきた。ブルック シールズ似のかみさんと。
「らっしゃぃ、ボンジュール!」
イー爺とブルックがカウンターへ。
俺は、「サバ?」と聞いた。

「うん、それにしてくれっ、ボンジュール鯖ふたつ。あと、いつもの脳内新香付けて」

「ウイ、ムッシュー」俺
「ケスク ブブレ アボォアァー?」俺

「テイクイットイージー、メェーーーンっ! モヒカンの水割り!」イー爺

がらがらがら。

俺はカウンターを軽快な身のこなしで飛び越え、イー爺とブルックを床に突き飛ばす。背広の懐に右手を入れた男に体当たり。男が通りへふっとぶ。その勢いで横転する。素早く立ち上がる。ベージュ色の腹巻から、ワルサーPPK。その男が懐から右手を出す前に、その男の眉間のど真ん中に風穴が開いた。役場の回し者。スペクトラムの一員だ。俺はステテコの埃を払うと何事もなかったかのように、かけおばぁへ戻る。

敷居で、ちょっと、躓いた。「アッ、マンスゥ!」(ありゃまぁー)
やっぱ、フランス語ってゆるい感じ。


2012年12月13日木曜日

モダーンキッチン

とうとう、現代風モダーンキッチンの取り付けを完了。後は、細部を詰めるのみ。
私は、日曜大工セミプロなのである。

ところで、今日で、ブログ開始、丁度、3ヶ月。この記事で109篇目。原稿用紙換算推定、350枚。11年前の筆力が戻ってきた。自分に、お辞儀する。ご苦労さんっ!

さて、本日、112年前の流し、瀬戸物のカタマリ、30kgが玄関の廊下に立て掛けてある。
ちょっと、寂しい。こっちも、ご苦労さんでした。私が3人目のオーナーだから、3世代の生活を彼、彼女は見てきた。

遡ること1年前。真鋳の水切りが半分に割れた。新しいステンレスのものとの交換を試みる。
錆付いたネジ、びくともしない。ペンチで、強行撤去を試みる。ふたつにへし折る。その途端、流しの排水溝の下のUの字の鉄のカタマリチューブが、10cm落下。ぶらぁーん。ぎょえーーー、鉄パイプと水切りは一体であったのである。強行撤去=壊してしまった。こんなもの、今時、購入不可。途方にクレルモンフェランのそんなのムルーズ、とってもコルマールと、フランス地名オジギャグを発しつつ、へなへなと座り込み、そうはいっても、顔はバスター キートン(超マジ)。家事、炊事がでけん。痺れた。1世紀前の鉄パイプの留め金を「破壊」してしまったのである。

とにかく、今、手に入るプラスティック部品で、キュービズムをせんといかん。痺れた。サイズはないし、鉄パイプの代わり、ある訳ないのである。それからの3日間、巨大大工道具店を行ったり来たり。112年の排水の歴史を破壊してしまった私。この逆噴射は、もう、芸術家として勝負するしかない。

で、その前に、あんなぁー、なんで業者、よばへんの? と日本の方は思うはず。
フランス国、基本的にサービス業がない。専門業者、3ヵ月後まで、予約一杯。
人件費が超高い。いくら取られるか分かったもんではない。等々の理由にて、結局、皆、自分でやるのである。

で、ありったけの芸術センスで、排水システムを作り上げた。ただ、アクセスが超シビア。限界もある。とはいえ、ピカソの彫刻を確実に凌駕している排水システム。私は、ジェームズ ボンドの笑いを笑い、テスト。水を流す。

四方八方から、ジャァーーー。流しの下が、台風。
おわぁーーー、サイズが、節々、微妙に違うのだ。再度、作品解体。シリコン注入。再テスト、四方八方から、小雨。超シビアなアクセスにもメゲズ、小雨出口をシリコン。小雨が止んだ。

いずれ、この流し自体を変えねばならん、でも、寂しいなぁー、俺。と1年間、ぐずぐず。

大体、壁に、半分のめり込み、当時のクラフトマンが手塩に掛けて設置。これにセミプロとしては、挑戦する勇気が湧かんかったのである。

で、設置後、ピアノに這って行く。花形満状態で蓋を開ける。
手を鍵盤に乗せる。両手、10本の指。マジンガ-Zと化していた。
練習を諦め、これを書いている。

ありがとう、俺の最愛なる流し。

しつこく、つづく。連載小説「流し」、および、フランス文化史なのである。



2012年12月12日水曜日

112年前の流し

今日は、ちょっと、執筆体勢。モヒカン兄貴とも連絡が取れた。丁寧なご返信まで頂いた。ありがとうございます。で、なぜに、ここ十日間ぐらいブログを書きたくなかったのか、今、やっと気が付いた。もちろん、たらたらブログへのシフト変更は、致し方ない。おっさんだからよぉー。

はい、十日前から.....。
俺、私生活は、書きたくないの。一杯書いてる? はい、芸人の部分だけね。
でも、ちょっと勇気を奮って、書いてしまう。愛おしい流し様のために。記録に残したい。

でね、急にさっぱりして書くんだけど、112年前の台所の瀬戸物のカタマリ、および、当時のクラフトマンが、壁にのめり込ませ、その上に、丹精込めて張られたタイル。流しです。これを、取り替えようとして居るのだ。

「その理由」
俺は、中背なんだけど、当時の人は、背が小さかったらしく、軽い「くの字」でないと、皿洗いが出来ない。結構、主夫には、毎日だからきつい。しかも、人生二度目のぎっくり腰。さらに、つらい。あと、瀬戸物のカタマリ状の流し、俺は、大変に、気に入って居るのであるが、その支え部分の木というのか、家具というのか、これが、俺と一緒で、よれよれへれへれたらたら。はっきり、どう見ても、貧乏人が諸だしである。実際そうだから、いいのでは?と、読者様は、おっしゃるかも知れんが、やはり、貧は、あまり見せたくはない。でね、俺の師匠の現代彫刻家のお宅。俺より、収益はないはずなのに、とんでもなく、おしゃれな内装。家具、蚤の市で二束三文の値段。すげぇー、しゃれた椅子と思っていたら、プラスティックのガーデンチャアーに、ベージュ色の布が被せてあった。本当に、素敵なお家で、貧なんて、どこにもない。

ひっひぃーーー貧。

つづく。

なんか、お笑い推理小説みたいね。
なんかさぁー、顔まで、さまぁーずの大竹さんに、似てきてんだけど.....。
やぁだぁーーー、こんなブログぅーーー。

2012年12月11日火曜日

Db7sus4

ラbシレbソb  左手 シファシb  右手
その前に、AbDorian ラbレbミbラb 左手 レbソbシ 右手
これは、サブドミナントからルートに行く、4---1音の動き

で、この動きを一音ずつ下がる。4---1 4---1 4---1と。
で、最後に、ドミナントモーションで、最後の1=音階の5---1と決める。
これを、マッハ3でやる。

と、分かったかしら、わたくしの日常および非日常が?
とりわけ、手の小さい俺(フランク リストと較べたら)には、この一行目のDb7sus4、これ押さえ難いのである。ドMじゃないと、しんどいけど、俺は、ドSだ。つらい。このドS、「えぇーーー」と、よく言われるが、文体に良く出て居るわい、お若いの。見る目がないのぉー。俺は、フェミニストのサディストという両性具有者。アンドロジィヌスなのである。おかまじゃ、ねぇーけど。

「さまぁーず」の動画も見ないといけないし、この「ドラゴンへの道」も、やらにゃーいかんし、忙しいのである。と言っても、サラリーマンではないので、自分で、忙しさを決めているだけなのである。禁治産者すれすれと言っても、よろしかろう。でも、自分でね、これコントロールすんのって、逆に、サラリーマンはでけんと思う。嫌味かしら? 逆恨みだっ。

「どう、これで? いいよね? 今日の分、ね?」
哀川翔だって、この台詞。

もう、たらブロ(たらたらブログ)にシフト変えたんで、ごめんちゃい。
でもね、マイルス デイビスの奏法の真似なんだけど、ワンフレーズだけ決めるっていうのがある訳ね。たらたらに、一行だけ、含み音、みてぇーなやつ。

ブログぼさりたいよぉー(さぼる)。
でも、先輩方の健筆。ぼさると、叱られんだろうなぁー。
いやいや、読者様方のために、ぼさり症候群と、戦って居ります、わたくし。



2012年12月10日月曜日

素敵なブログ発見法

今日こそ、ブログをさぼろうと思っていた。もう、シカトー。えっ、更新していない? 私から、よぉーく言っときますから、などと、ゲルに(逃げる)予定で、ピアノの超絶技巧への道に邁進して居ったのでありますが、なっ、ナント。練習を「三十分早めに切り上げる」という、私の師匠にバレたらお尻ぺんぺんという愚挙をしでかし、パソコンを開くと、なっ、ナント。私のお気に入りブロガーさんから、コメント。うるうる。さぼれねぇーって、こうなるとよぉー。いつも、しょぼくれた私の脳内へ元気を注入して頂いているブロガーさんからである。うるうる。返礼せんと、義理人情ブログ。

えー、そんでなんだけど、素敵なブログ発見法ね。

1) ブログのタイトル、サムネイル、腰帯文から、むむっと開いてみる
2) お気に入りブロガーさんのリンクとコメント欄からにじり寄って行く
3) 注目記事のランクインが頻繁

等々、皆さんが、通常なさっているプロセス。
で、こっからも、当然、皆さんが、通常なさっているのだろうと、最近気が付いた方法。
私、頭良過ぎて、一番抜いてしまったり、「さまぁーず」という芸人さんを、今頃発見して、くくくくくっ、とかやっている。浦島太呂男と申します。

で、このINとOUTポイントがなんなのか、一応は理解している(つもり)。

たとえば、私のアホブログにGoogleからアクセスする。裕イサオと叩くと、YouTube動画、その他諸々および、アホブログがどばっーーーーーーーーーーーーーーと出てくる。で、たとえば、ひとつの記事を開く。で、読む。で、リンクバナーを押すとブログサイトへ。これで、IN。そして、もう一度、アホブログを開くとOUTのポイントとなる。算数上は、分かる。

逆パターンだと、ブログサイト開き、私のお見合い写真のようなサムネイルおよび、フランスより、なんちゅう商人根性剥き出しのプレゼンで、つい、開いてしまう。で、OUT。で、ぎゃぁーーーははははっ。となって、よぉーーーし、もう一度リンクバナー。で、INポイント。

と理解している。それはいいんだけど、俺の仲間は、リンクバナーの意味を知らない。読む。以上。Bloggerの閲覧者数にカウントされる。たとえ、私が、仮に懇願したとしても、「うん、分かった、イサオのために(なんのためか、私も含めてだれも?)」と言うけれど、だれも実行しない。

で、だから、そんなことではなくて、私の計算上は、INとOUTポイントは、ほぼ、同数になる。
はずが、色々なブロガーさんのポイントを見ていたら、バランスがちぐはぐ。INが物凄く多い方。
INして、一回閉めて、もう一回開くとOUTになるのかなぁー?

逆に、OUTポイントが、物凄く多い人。これは、なんか分かる。ブログサイトから、お気に入りの方、当然、開く。ついでに、私は、INの方もクリックする。私はだけど、イコールではない。で、最近登録させて頂いた男性ブロガーさん。私が、せっせとリンクバナーをクリックしていたら、突然、順位が、ぎょぉーーーんと上がった。もちろん、私だけではないにしても。

で、算数の教科書みたいになっちゃったけど、良く分からんのは、INポイントの入り方。これが、良く分からない。なんでか? 私にとって興味の対象は、昔のサハラ砂漠文士(読者皆無状態)のトラウマで、「読者様の数」。知りたいのはこれだけなのである。ということは、要は、OUTポイントの方に興味がある。となる。順位は、どうでもいいのだ。
(読み返すと、裏セールスになってるけど、もう一回、裏にして下さいね。これは、本当なのだ。おかまを二回極めると、男になる計算。おかまじゃねぇーけど、算数上は、ね)。

おわぁーーー、ここまでが、前置きなのだ、よ。
で、考えたら、OUTポイントを見て、開いて読んだ。
もちろん、好みは別として、私がお気に入り登録させて頂いたブロガーさんたち、OUTポイントがダントツなのである。で、ついでに、私のアホブログも、「その傾向がある」。これは、むふふ、なのである。

で、ここまでが、前書きで、結論は、私が一番最初にお気に入り登録をさせて頂いた、脳内通称、明子姉さんと、最近、登録させて頂いた、男性ブロガーさん、通称、モヒカン兄貴。
私の稚拙な文章とは、比較にならないのだけれど、文章=人生レベルの差を差し置いて、私は、同じDNAを感じています。脳内乾物化回避シニアブログ。素敵だ。あれっ? だから、OUTポイントから発見したってこと。説明、なげぇーーー、三村さんの口調で。



2012年12月9日日曜日

ほころびの歌

えー、毎度馬鹿馬鹿しいオジギャグでございます。
ベートーベン交響曲第九番、ほころびの歌。ぎゃーーーはははははっ。
つまらん。

で、えーと、もじもじ、へのへのもじもじ。
ブログ書くの、飽きちゃった。以上、お粗末でした。

飛馬っ!という声が聞こえる。
どっからだ?

はい、今年のフランスの初冬は、雨日、快晴、雨日、快晴、雨日.....。
詩神様、うっくん(鬱君)、ジャズ神様、ジャズ菌軍団が、日替わりで出たり入ったり。
常駐しているのは、酒神様のみ。

分かり難いなぁー、地球様のご機嫌も。本当、基本、機嫌わりぃーよ、ここ十年ぐらい。
メローになったり、はちゃめちゃやったり、ハードになったり、どんどん、地球様が、フリージャズになってきて、こちとらの演奏のスタンスが、分からなくなってしまう。まっ、我々が、おかしくしてしまった。これは間違いない。フリージャズ屋は人畜無害の、すれすれ禁治産者だからいいとしても、地球様は、そうはいかんぜって! 俺のマイガーデンは、俺の所有物だけど、地球様の表面なのだ。毎日、頬キッスせんといかんなぁー、こうなると。

いや、なかなか、このたらたらブログも、なかなか。
気合入らなくなっちゃたので、更新だけしている僕。
なかなか。まっ、短めで、ちょっと、オジサンらしい含みなんちゅう、自然体ね。

あっ、「さまぁーず」という芸人さんを見付けた。YouTubeで。浦島太呂男はわかっとるけん。
大竹さんは、「ゆるい芸と言われるのは、問題だ」とおっしゃって居られるが、いいのだ、このゆるい感じが。老体に快いのである。

「おぉーーーい、家老はどうした?」
「あっ、はい、臥せって居ります、過労で」

チャオー!

すいません、ブログのタイトルと腰帯変えないとね、このノリじゃぁーね。
おーーー、この記事のタイトル、そのまんまで行けるっ!



2012年12月8日土曜日

へろへろもへジー

皆さん、今晩は。こっちは、夜の始まり。綺麗な夕焼け。
やっと、溜まった下書きを、すべて、放出。貯金は溜まらんのに、ブログの下書きばっかり。大体、貯金なんかねぇーよって。文体分裂ブログ発見版は、一度、お読み頂いた方は、パスして下さいね。本当に、脳分裂しない内に。

で、ここ一週間、新規には何も書いていない。忙しいのだ。
次から次へと、仲間の公演、自分のコンサート、超絶技巧の習得、次の動画の準備、作曲と、芸術し過ぎでよれている。若作りもいいけれど、年齢相当のお茶漬けライフが恋しいのである。
もう、諸々のアーティストとお会いして、へろへろである。皆、本当に元気だ。空元気かも?

で、なんのお断りもなく、ブログさぼっちゃえ、と五分前まで思って、まっ、ワイン飲んで、くつろぎの一時と思って飲んだら、これを書き出した。おー、そんなことはどうでもいいけん。はい、こちら、フランス、パリ郊外、今朝起きたら、初雪でした。いいなぁー、雪化粧。もう、うるうる。綺麗綺麗。薄化粧も、なんか、エッチで綺麗。厚化粧は、げっ。美人はすっぴんでも綺麗だけど、富岡(多恵子)さんは、女は、そもそもoooooooooooooだから、化粧をした方が良いのであるって、エッセイに出てくる。

んで、一週間振りに、これ回転だけど、じゃない、書いてんだけど、なんか、疲れちゃったから、へろへろブログにしてしまう。いいよね、読み捨てなんじゃから、こんなもんでな。

で、昨日、初めて男性のブロガーさんをお気に入りに登録。
しばしば、注目記事でお目に掛かり、ひとつのブログ記事のタイトルに、アル中ル ランボーの手がひたと止まった。読んだ。私より一世代先輩のブログ。うるうるした。文体の素晴らしいこと。ゆぅーーーたりした文体、ユーモア、明るい。痺れた。実にしゃれている。俺、ずっと、おっさんブログかと思ってた。すいません。愛読愛読。

と、こっちもへろへろもへジーちゃんブログに、文体変更ね。

はぁーーーい、文体、揃えぇーーー。



2012年12月7日金曜日

文体分裂ブログ発見版

私は、詩神様と、うっくん(鬱君)と、一緒に、落ち葉掻きをしていた。
皆で、落ち葉に語り掛ける。うーん、ありがとうねぇー、綺麗だよね、この色、黄土色?とも違うし、元々の緑と黄色と橙色と茶色と焦げ茶色。で、葉によって、全部違う。

うっくんが、しんみり。
「人の一生と同じ。辛い。見ているのが」
詩神様。
「それを、凝視することが、詩なのである」
「でもね、来春には、芽吹く。若々しい葉の子供たち。めそめそする必要はない」
うっくん。
「でも、儚過ぎます。花も自然も」
詩神様。
「花は性器であり精気。葉は日光を受け止める植物の器官。自然は、科学であり、感傷の必要はない。自分なりの干渉、感傷、観賞が詩というものである」

私は、もくもくと、落ち葉掻き。

どやどやどやっ。
「イサオちゃんいるぅーーー?」
しんみりモードの私たちの前に、おぎゃーーー、ジャズ神様と、その取り巻き。ジャズ菌さんたち。ところで、このジャズ菌さんたち、お笑い芸人に、良く似ている。なんでかしら?

「またまた、しみったれ℃も。マタマタ股間のマタマタ。落ち葉掻き。地味ですなぁー、ジミー辺土リックス。ちみたち、まだ、わからへんの、どあほぉー、イサオちゃんは、いそがしぃー、ゆうとるねんな。そっと、しときぃー、ゆうてんねん、われわれ」

寺山修司
「いや、その世界の位相は、複雑怪奇でありまして、それは、ひとつの世界観のパラドックスであり、土方巽の踊りに、すべては、集約されている」

哀川翔
「毎日、ね、続ける、休まない。まっ、休まないことかなぁーーー」

桃井かおり
「ねぇ、イサオぉーは、あたしのもの。横槍、ね、入れないでちょぅだぁぃー。タバコくれるぅー」

筒井康隆そっくりと、今、始めて風貌を描写したジャズ神様。そっくりどころか、どう見ても、筒井康隆x1000000000..............回、師匠にしか見えない。

つづく、かも。


作者 注 

このブログの登場人物は、裕イサオ以外は、フィクションです。
裕イサオ自体も、フィクションかも。「はぁぁぁぁぁーーー、フィックショォぉーーーん」。
お邪魔致しました。ちょっと、明日、俺、忙しいんだよ、明日の分、今日、アップアップね。


コメント
じゃずっこ 12/11/26
うっくんと詩神様、ジャズ神様、ジャズ菌さんたち、・・・・ なかなか、しんみり賑やかで、楽しい組み合わせですね。
裕イサオ 12/11/26  じゃずっこ様 コメント、ありがとうございます。 私の馬鹿頭の内部の葛藤を、ちょっと、可愛い感じに擬人化してみました。 なんか変なんですが、自分で書いてて、親近感が湧いて来ました。

2012年12月6日木曜日

吉岡実2

吉岡さん。私には、言葉という素材で、プラモデルを作る子供に見える。
諸々の語彙の収集から始まり、彼の目に見える世界を、その収集した語彙を使って構築する。
生き生きと、きらきらと、見た、その世界を、彼は、紙の上に焼き付けた。

吉岡実。1990年に他界されている。
徴兵、戦地で馬の世話をしていた。日本へ帰国後、筑摩書房へ勤める傍ら、日本詩の歴史を変えるほどの詩業を成し遂げた。

偉人である。でも、そんなところは、少しもなかった。だからこそ、偉人なのである。
偉ぶった人。この真ん中の平仮名を取ると、偉人になるが、そんなことは、絶対にないのである。

問(高橋睦朗)「偉大な人物は?」
答(吉岡実)「好きではありませんね」

吉岡実「わたしの作詩法?」より、抜粋。

冷静な意識と構図がしずかに張り、リアリティーの確立が終わると、やがて白熱状態がくる。或る絵画が見える、女体が想像される、亀の甲の固い物質にふれる。坂の上を歩いている男が去る。つぎに「乳母車」の形態と「野菜」という文字が浮び出る。キャベツや玉ネギ、ぶどう、とにかく球形体の実相のみが喚起される。そんな連想をつなげる。どうして女中や赤ん坊が不在なのか? わたしの中の乳母車は沼へ沈むべき運搬用に必要なのだ。そのつぎに愛が来てもいいと考える。それはヘッドライトに照らされた、雨傘の二人の愛を永遠なものだと断定すればよいのだ。しかし意識のながれは誰の中にでも豊かに流れる。それを停止することが困難だ、すなわち文字の一行一行に定着させることが。発生したイメージをそのままいけどることが大切である。

わたしは自己のなかで一応出来た詩篇はできるだけ手を入れないことにしている。


吉岡さんの詩が、ひとつの即興詩であることが、これで分かる。

吉岡さんの、すべての詩集が絶版であることが分かった。とても残念である。
現在、入手可能なのは、私が所持している「吉岡実詩集」思潮社1968(上記抜粋、すべて、本書より)、および「続 吉岡実詩集」思潮社1995と、私がインターネットで調べた限りでは、明記されていた。



2012年12月5日水曜日

文体分裂ブログ脳内レプリカ

私は、詩神様とうっくん(鬱君)と一緒に、落ち葉掻きをしていた。
皆で、落ち葉に話し掛ける。うーん、ありがとうねぇー、綺麗だね、この色。
黄土色?とも違うし、元々の緑と黄色と橙色と茶色と焦げ茶色。
で、葉によって、全然違う。うっくんが、しんみり、
「人の一生と同じ。辛い。見ているのが」
詩神様。
「それを、凝視することが詩なのである」
「でもね、来春には芽吹く。若々しい葉の子供たち。めそめそする必要はない」
うっくん。
「あまりに儚過ぎる。花も葉も」
詩神様。
「花は性器であり精気。葉は、日光を吸収するための植物の器官。自然は科学であり、感傷的になる必要はない。それぞれの観賞、干渉、感傷が詩なのである」

私は、黙々と落ち葉掻き。

どやどやどやっ。

「ヘェーーーイ、メェーーーン!」
ジャズ神様とお笑い芸人そっくりのジャズ菌さんたち。

「ッツ、ゴーィングオン(冒頭部分、シンコペーション)?ヘェーーーイ、落ち葉掻きぃー。オチバァカキィー」軽いステップ。「相変わらず地味でんな、あんたら。ジミー辺土リックス。ジョン肩コルトレーン。マイルス デブス。あんなぁー、イサオちゃん、忙しいんやから、そっとしときぃー、ゆうとるねんな、われわれ。詩では腹がふくれんゆうとるんや、われわれ。しぃー作るなら田ぁー作れ、富岡多恵子はんとおまっとさん(だれ?)がゆぅーとる。しぃーたぁーの論理ゆうんやて。あんたら、一理おまっせ。詩人さんが、自分でゆぅーとるから、それ、ほんまやで。ねぇー、寺山はん」
寺山修司。
「それは、ひとづの世界観の位相であっで、パラドッグスの更なるトポロジー。二重のパラドッグス。ホモの男性とレズの女性の恋に、似でいるがもすれない。ただ、田んぼでは、す(詩)はづぐれないというもうひどづの見地もひどづのすんずつ(真実)ともいえるがもすれない」
「なんや分からへんがなぁー、まあ、ええわ、ほれ、寺山はんも、そうゆうとるねんな。分からへんの?あんたら?俺も、よぉー分からんなってしもうたやんか、℃アホ」
(作者注 東北人の耳に聞こえる関西弁です)。

と、ジャズ神様のお一言。それから、赤ワイン片手のジャズ神様とジャズ菌さんたち、せっかく掻き集めた落ち葉を掻き散らしながら、シンギングインザレインを歌い出した。

「アム Cィーーーーーギン愚ザレン アム Cぃーーーーーいいいん愚ザレン......」

両足と赤ワインのボトルで落ち葉を掻き散らす。

「わっははははは、みてみぃーーー、この自然の壮大なるフリージャズを!葉っぱ、みなで好きかってにほざいとるわい。あぁーりらりん。我々と一緒やぁーーー」

と、今始めて、その風貌を描写するジャズ神様。もっ、諸、筒井康隆超大師匠そっくりというより、本人そのものである。じゃじゃあーーーん、ついでに、酒神様登場!

哀川翔
「まっ、毎日、ね、続ける。まっ、休まない。で、最高の、ね、俺が、今いるってな訳」
桃井かおり
「うんもぉーーー、イサオぉはあたしのもの。横槍ぃ、入れないでぇ、頂戴ぃ。ねぇ、イサオぉ、タバコくれるぅー」


作者注
このブログの登場人物は、裕イサオ以外は、すべてフィクションです。
もしかすると、裕イサオ自体もフィクションかも。「へぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、フィクショォーーーーーーーーーーン」お粗末でした。またのご来店を。



2012年12月4日火曜日

文通妾

国木田は、パリ在住の、人気作家である。
多分、去年の秋口だったと思う。パリ在住のファンの女性から、一通の手紙が届いた。
国木田の小説の愛読者であること。国木田自身の大ファンであることが、連綿と綴られていた。

その手紙の中に、国木田は、いつものファンレターとは違う、なにか、切実なものを感じた。
本来、返信等は書かない国木田が、珍しく、手紙を書いた。書いている内に、国木田自身が吃驚する程の愛おしさが込み上げて来た。

初老の国木田には、新鮮な感覚だった。

封書の裏に、とても綺麗な字で、名前と住所が書かれていた。
直子。

連綿と綴られた国木田への賛辞が、なにか、迫ってくる。
国木田自身が、この不思議なパラドックスを良く知っていた。

国木田は、自分が作家であることを、ほとんど忘れ掛けていた。
延々と返信を書いた。愛おしさが込み上げて来る。
直子と言う女性。なにかが琴線に触れた。

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その後、手紙のやり取りが続き、その内容が、どんどんエロス(ポルノグラフィック)になっていく。
そうはいっても、お互いに逢おうとはしないという短編小説を、十二年前ぐらいに書いた。

逢えないエロティシズムは、三島由紀夫の「春の雪」を、じっくりお読み下さい。
成就しない愛というより、性欲。こういう形もある。いや、この形が、一番、高揚感が高いのである。

ところで、フランス、パリゆかりの外国人の作家、詩人といえば、私の貧しい読書暦の中では、永井荷風、金子光春、ヘンリ ミラー。現代作家では、青野聰さん、辻仁成さん。もちろん、他にも沢山の作家、詩人がいらっしゃる。

その中でも、もっとも、フランス、パリの内奥に迫っている作品は(私にとって)、何度か、書かせて頂いた、金子光春「ねむれ巴里」。ヘンリ ミラー「北回帰線」「クリシーの静かな日々」。私は、フランス関係のガイドブックを、ほとんど読んだことがない。どうしてなのか、自分でも良く分からない。

もしかすると、フランス、パリは、文通妾状態の方が、いいのかも知れないと、今、ふと、思った。

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この原稿も、随分前に書いたもの。
昔昔、芝刈りに行かずに、各原稿用紙五枚ぐらいの、短編小説集と、お笑いショートショートを書いていた時期のもの。お笑いショートショートのタイトルは「コスミックヒステリー」だった。意外といいなぁー、このタイトル。ネタなくなったら、これ、アップという手もあるな。自分で、ゲラゲラ笑っちゃうから、いいかもね。二十秒ぐらい熟考します。

今日は、コンサート。
音音音。演奏演奏演奏。これしか頭の中になくなってしまうのであるのである。
ライフ オブ ミューじっちゃん。



2012年12月3日月曜日

インサイドパワー

この記事も四五日前に、晩酌しながら書いた。
今週は、下書き在庫放出週間。明日、コンサートだし、整理するのに丁度いいのです。音に集中しているのであります。で、段々、酒神様とルンバ状態になってきて、ジャズメン用語のガイキチ(きちがい)。スイングし過ぎて、しまいには、ほとんど、有吉さんと化していた。
毒舌ブログは、私の柄じゃないので、すべて、削除。えっ?そっちを読みたい?
だめだめ、心のスイス人を自称している温厚なわたくし。イメチェンはしません。
大体、疲れる。本当。毒舌、悪口、これって、やはり、相当、根がヒューマンで体力ないと出来ないよ。もしかすると、私の演奏って、毒舌ピアノかもしれん。なに言ってっかわかんねぇーけど。音は便利である。本音が出ているけど、特定化出来ないのだ。文字は、ちょっと、ねぇー。
そういう意味、不便で怖い。

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「インサイドパワー」(これ曲名に使えるな)

なんか横文字にすると、すっと、入る。
日本語にすると、単語自体が、詩神様になる。
フランス語だと、フォースアンテリヤァー。
(結局、何語でも詩神様。綺麗な言葉である)

でも、英語っていい感じだ、なんか、変な情緒がない。って、我々、日本人は感じるのである。外国語だから、それを話している人々の実生活はゼロのまま、「日本語化」する。で、外国、異国は、なんかドライで、格好いいようなイリュージョンが起きる。
(でも、もちろん、そのイリュージョンも旅の楽しみのひとつ。私が、日本一周したい、なんて思っているのと同じである。確実に、私が外人になってしまった。車で一時間ぐらいのところに、日本の鳥居と参道と日本庭園があるのをガイドブックで発見。すぐ見に行った。本物だったけど、なんか、昔のジェームズ ボンド映画の中の日本そっくりだった。でも、変な外人の私は、うるうる。金持ちの保養所のお庭の一角に、どなたかが設置したらしい。母国が、遠い憧れの国みたいになっているのである。エキゾチックになっちゃったのだ、ラーメン屋の看板とかが。もう、そうなると日本の人たちのフランスとか、パリのイメージ。こっちが、逆にまったく分からなくなってしまった)

詩神様。
「人の暮らしは、どこの国も同じである。ねっ、うっくん」
(まあ、そうだけど、この仮にイリュージョンであっても、だからこそ、素敵なんだけど。なんで、自分に反論して居るのだ、私は)

ところで、日本に居る外人さんたち、こっちでは、私がそうだけど、理解、応援とかあるのかしら?フランスでは、皆無。当たり前だ、異邦人、ないし、違法人なのである。

ところで、これを書き出すとかなり仰々しい内容になってしまうので、ゲルに(逃げる)する。
(日本と西洋とか、もう、おちゃらけブログでは消化不能なので、止めた。論文みたいになってしまう。ないしは、おーーー、文学になってしまう。はい、ゲルにする)

ところで(二回目)、面白いことを思い付いて、で、削除してしまった「文体分裂ブログ」の脳内レプリカっていうものを作成してみた。えっ、なんで?となる。

はい、私は即興ピアニストなのである。
即興で弾いた曲、頭にインプット。って、ことは、私の馬鹿頭検索エンジンの中に、じゃ、あるだろーと。で、四分の三、あったよ。真ん中の関西弁の部分が欠落してたけど、ほぼ、縄文時代の遺跡の発掘調査としては、つぎはぎながら、完成。ついでに加筆してしまった。
(原文も、すでに書いた通り、ある読者様のご助力で発見。うるうるしています。こちらもアップしますので、間違い探しゲームにお使い下さいませ)

むむむむむ、この記事、実は、裕先生の「最高傑作」「ノーベル賞(アホ)ブログノミネート」のラムネートのシンジゲート。ご愛読致さなかった読者様方が、一生の落ち度として、苦悶しなければならない程の、大ブログ記事。もう、読み捨ては許しませんっ!という迫力(大袈裟だって)、および、やはり、脳内で発掘されたのである。文部省認定脳内発掘ブログ。よやい時代なのである。(まあ、頭の体操ってな感じです。外見の朽ち果て振りは、致し方ないにしても、せめて、脳機能だけでも、食い止めたい)

はい、読みたい人、手、上げて。
しーん。

この二行、明らかに、パクリでした。


小雨日記

この原稿、日付を見たら11月27日。この日は、小雨、肌寒い、うっくん(鬱君)がもっともしっくりする日だった。で、本日、12月2日は、私の脳内投影そのものの超快晴。午後、湖辺りにお散歩しよう、という気分だから、気持ちと内容が乖離。でもね、わたくし、お金に関しては、元々ないからケチではないのですが、書いた原稿は、内容不適切で削除はありえるけれど、なんか勿体無いせっかく書いたのに、賞味期間切れ?なんとか、アップできないか、と、急にケチ、書いた原稿は、使い切る、廃棄は致しませんっ、と、いきなり戦中派になってしまうわけ。で、いい方法を思い付いた。元々の文章に、括弧で今日の注釈を入れる。

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昨日から、また、詩神に取り付かれてしまった。
(詩神様とうっくん。超快晴なので、二人でお出掛け。いるのは、ジャズ神様とジャズ菌軍団と、泥酔している酒神様)
時々、昔の文学青年が戻ってくる。おちゃらけの逆噴射作用なのだろう。
で、一回逆噴射して、また、おちゃらけオヤジに返って来る。
やはり、私なりのバランスがあるのだろうね。

今朝も、起きる、コーヒーを沸かす。その間に、パソコンを立ち上げる。
コーヒーを飲み、タバコに火を付け、愛読が日課になったブロガーさんのサイトを開く。
私のブログのコメントに、「本人の声が聞こえてくるようです」と書いて下さった方がいらっしゃる。この表現は、そのまま、このブロガーさんへも当て嵌まる。時々、なんか私に向けて、お話しされている錯覚が起きる。くすくす笑ったり、そうだそうだ、と頷いたり、時には、えっ、まさか、俺のことじゃねぇーだろうなぁー、なんて思ったりもする。もちろん、そんな訳はないんだけれど、その筆力が、そういう錯覚を起こさせる。

それからもう一人のブロガーさん(私とほぼ、同時デビューの元ご近所さん。現在は、超大差。私が、見上げているのです)へ、それから、最近、再登録させて頂いたブロガーさん(行方が分からなかったのだ)と、新規に登録させて頂いた二人のブロガーさんへと行く。
(皆さん、女性。三人のブロガーさんは、私と同じ50代。お二人は、遥か彼方ぐらい若い方と、たぶん、私よりは、ずっと若い方)

それから、マイページを見た。仰け反った!
私が開いた時、注目記事の欄。仰け反った!(はい、11月27日時点。こっち時間の朝)
私の三つのブログの順位が、1、2、4位と表示されていた。
ありがたい話ではあるけれど、これは、いくらなんでも行き過ぎです。
私の分析では、どうも「一定時間内の閲覧数の凝縮度」のために、こういう結果がコンピューターの計算式の中で、弾き出されているように思えるから、たまたま、そのようになったと解釈。
私の仮説は、たぶん、正しいはずだ。なぜなら、きちんと書かれたブロガーさんの記事は、順位があまり動かない。私のものは、あっという間に、順位が彼方の方へ。
(この仮説は当たってると思うのですが、でもなぁー、一篇だけ、なんか凄く長い期間順位が変わらなかった。あっ、確かに閲覧数、ダントツだったけど。じゃ、やっぱ当たりかしら?)

順当である。が、この瞬間的にも、この上記の状況は、やはり、仰け反る。
仮に、表示が出ているから閲覧される訳ではないにしても、きちんと書いているブロガーさんからすれば、なんだこいつぅーとなってしまう。いやぁー、本人が一番呆れてしまうのだ。
(いやぁー、マジで怒っている方がいらっしゃる気がする。すいません、本当)

と、突然、今日は小雨。昨日は、とんでもない秋の美しい一日。
サングラスをしないと眩し過ぎる。ヨーロッパの快晴は、湿気が少ないせいなのだろう、日差しが透明で、老眼に直撃である。サングラスをしないと、涙が止まらなくなってしまう。

とぼとぼとタバコ屋まで、公園を横切る。庭師が細道の両脇に掻き集めた落ち葉が、とても綺麗である。緑と黄色とオレンジ色と焦げ茶色の落ち葉の山。黄色い雪が積もったような錯覚を覚える。考えてみたら、新緑で癒してくれて、力強い深緑色の時があって、複雑な黄色のハーモニーを奏で、落下して、焦げ茶色になって、乾燥してぱりぱりになって、粉々になって土に返る。もちろん、人間の一生をそこに投影しても一向に構わない。春から冬への自然の壮大なシンフォニー。常緑樹がすっくと立ち、間もなく、葉の無くなった落葉樹の幹たちがすっくと冬空の下に現れる。(なんだか、落ち葉の話ばっかりだな。今は、雨に濡れちゃって、焦げ茶色のぐにゃっとしたカタマリみたいになっちゃって、あんま綺麗じゃない。腐葉土ってな感じになってます)

だから、賞味期限切れブログは、困る。筆者も読者様も、8月に落ち葉のお話。今日は、零下3℃の凍て付く寒さである、なんて記事、だれが、読むかって!


2012年12月2日日曜日

近況諸だし

「下書きが六つも溜まっている」
いいんだけれど、季節感のある記事とか、あんまり寝かせると、春先に落ち葉の記事。拙いよね。ところで、やはり、ブログの特性として、新しい記事、更新された記事と、次、はい、次と読もうとする。うーむ、行く行く書籍化という手もあるなぁー、皆さん。電子書籍じゃなくて、本。こっちは、前から読む。あっ、あとがきを読んでからね。ちょっと、考えてみる、けど、出版社ねぇー、昔の虎馬がもぞもぞ。まあ、追々ないし、老い老い、考える。で、下書き溜まってると言いながら、もう、これを書いている。おーし、これ入れて七編、まとめてアップぅーーー。金魚迷惑だって。読むかって、七編も。駄文の山なんか、読むかいなって、ね。

「石頭(ジャーマネ)のやろうが、俺のトーク動画をアップ」
おかげさまで、いわんこっちゃない。読者様、激減(嘘。大体、もともと少ないから、そんな現象は起こらないのだ)。俺の馬鹿面、ばれちゃったから、読者様、辟易。あぁーーー、やっぱ、こいつ℃アホ。ばれちゃったよぉー。というのは、これもまったくの嘘で、大体、YouTubeに自分でアップしてんだから、見られたって、別にまったく構わない。当たり前だ。で、俺の豪邸の小さなサロンで、メイドが撮ったのである。なんか矛盾した描写。向かって右側に、茶色い大理石の暖炉があんだけど、豪邸振りがばればれなので割愛。これも、まったくの嘘で、暖炉は確かにあるけど、別に、俺が買って付けたわけではない。もともとのもの。古い家だから、それ相当の立派な暖炉は、普通、ある。俺の経済力とはなぁーんの関わりもない。向かって左側。この日は、もう、俺の脳内を投影したような快晴。日除けの布ブラインドを下ろしてある。真南の展望台みたいなサロンだから、そうしないとサンルームなのね。縦長の大きな窓が二つあるから、サロンで日光浴状態になっちゃうわけね。その暖炉の反対側に、俺のピアノが置いてあり、その右手前に、これを書いている、書斎みたいなテーブル。という感じ。俺は、新築の家は駄目なの。古い家。もう、職人さん魂のカタマリのような、こういう家がいいのだよ。壁の厚さ、58cmだよ。この安心感。いいんだよね。築112年。

「カテゴリーの変更」
なんか、エッセイ、随筆部門にいるのは、金魚迷惑なような気がしてきた。で、ジャズを見た。ふたつの系列。ミュージッシャン。綺麗な女性シンガーが多い。それと、ジャズの名盤案内。と、本当に大雑把に分けると、こんな感じ。綺麗な女性シンガーのブログの合間に俺。これも、金魚迷惑甚だしい。で、名盤案内。これは、書けなくはないんだけど、大体、俺は、ほとんど音楽聴かなくなっちゃったから、これも、なんだか変。で、本業のジャズのカテゴリーでさえ、俺のブログは場違いなのだ。やはり、すいません、置いといてもらえますか?エッセイ、随筆部門。居場所がないよぉーーー。はい、ひっそりしてますので、よろしくお願い致します。動画のアップは?えっ、反則?えっ?

「処女航海」
ジャズファンの方は、絶対に知っている名曲を、俺が変曲。どうしても、静かな海にしたかった。このタイトル、痺れる。言い換えると船出。うるうるする。いいよねぇー、ぴっかぴかの船が、海に出航。荒海だよ。いいよなぁー、船出。でも、俺はチャンジー(じーちゃん)だけどよぉー、いつも、船出してんだぜって。ここ三週間の猛練習で、2ミリ、マッコイ タイナーに近付いたのだ。こうやって、ちまちまと処女航海しているのである。本体は、よれよれでも、出来るのである。何度でも。あっ、詩神様、いらしたのですね。


「俺の読者様」
俺の数少ないファンの方々。はっきり、書いてしまう。素敵な方ばかりである。芸術系および、脳内乾物化から逃れた方々ばかり。センスがいいのである。逆説的自己自慢。ずばりである。
別に芸術家である必要なんか、ない。俺たち全員、観客がいる。それを分かってくれる方々。同じセンス。結局、やる側見る側、乾物ではない。脳内自由人のスイス人の方々なのである。そういうことなのである。


「全然関係ないけど」
Bloggerのコメントの管理画面に、公開、削除、スパム、この三つしかないんだけど、非公開ってのがないんだけど、良く分からん。YouTubeと連動しているのでBloggerにしたんだけど、たとえば、記事の並べ替え、これ本当に出来ないの。俺がパソコン音痴だとばかり思っていたら、本当に出来ないのだ。やっぱFC2とかに変えようかしらねぇー。もし、やばそうなメッセージございましたら、メルアド頂いたら、俺のメルアドからご返信致しまする、ぜ。


2012年12月1日土曜日

俺のマネージャー

マネージャー、正しくは、ジャーマネ。嘘。
自己訳。お釜に、沢山のマネーを持ってくる人。嘘。

俺は餃子を、手塩に掛けて作っていたのである。ワンタンの皮でも、焼き方次第では、美味いの作れるのである。本当。だって、日本の餃子皮、売ってないのだ、俺の田舎じゃ。

ピンポォーーーン、俺の家(豪邸)のチャイムがなる。
「ありゃ、ファンからの贈り物かしら?」
豪邸にしては、リアクションが、ちと、早過ぎ、だ。三百回ぐらい鳴らして、メイドが出てくるし、大体、玄関に、入れねぇーって。

「裕イサオさんですね?」と聞いたことは聞いたけど、こやつ、ずかずかと俺の家に入ってきた。返事する前に、「おっと、餃子作ってんだ、あんたぁ、で、ヤノピっ(ピアノ)は?」「えっ?餃子作ってからですけど」「駄目駄目、だから、売れないのって、主夫し過ぎ」むむむむむ。
「大体ねぇー、あんたのログブ(ブログ)読んだけど、駄目駄目、芸人が、こんなんじゃ。露出露出のマネーマネーのマネー、ね。俺が、面倒、見るわい」「いや、わたくし、これで、十分でございますが」「駄目駄目、露出露出の露出、ね」「はっ、はい。あの、お名前は?」「石頭勝男だっ」

ジャズ神様とジャズ菌連。「おわぁーーー、すげぇー、すげぇー。イサオちゃんに、ジャーマネ」
詩神様とうっくん(鬱君)、点目。酒神様、相変わらず、ハワイヤン。


はい、わたくし、石頭と申します。この裕君の管理は、わたくしめが、今後行いますので、よろしくお願い申し上げまする。大体、こやつは、ほっとくと、すぐに、家事、買い物、草毟り方面へと、去ってしまうのでございまする。

はい、まずは、裕君のトークショウから.....。





筆者、追伸。
えー、まず、専用スピーカーないし、ステレオヘッドホーンで聴いて下さいね。
全然、音、違うよ。あと、これ、シンセなんで、ベースも俺ね、ソロなのです。
でも、エッセイ部門、反則だよね、こういうブログ。二十秒ぐらい考えて、ジャンル蛙かもしれません。金魚迷惑だっ。
あと、この出だしの映像、はっきり馬鹿面。でも、おわぁーーー、真実が映っているのであった。

2012年11月30日金曜日

コマーシャル

はい、夜分遅く、お邪魔虫。
なんだか、ばたばたと仲間の宣伝に追われ、
俺って、しみじみ「いい奴だ」よな?なっなっ。

すっーーーかり、忘れていたのだ、自分のコンサート。
忘れん内に、書いときますですの、アディダスですだす。

12月4日(火曜日) 20h30 とはいえ、開始は21h00ぐらいかしらね
2セットやるから、終了は、たぶん、23h00ぐらい

裕イサオ 超絶暴力的ピアノ理性付き
佐藤真 ドラムス 俺の師匠 パリでナンバーワンのフリーフォームのドラムスだぜって

入場料 しくしく、はっく 5euro寂しいねぇー でも、飲み代は別だよ そんな高くないから、大丈夫 まっ、3euroからね

おーーー、場所場所、冬場所

BABILO
9 RUE DU BAIGNEUR 75018 PARIS
TEL 01 42 23 99 19
地下鉄の駅 JULES JOFFRIN  12号線だったかな?

こぞって、来て頂戴ね。遠慮なく、サイン攻めも、よたくしね。違う、よろくしね。


追伸
もう、俺、痺れてんの。
ある方のお陰で、あの駄文「文体分裂ブログ」が、蘇りました。
もう、再会して、うるうる。コンサート、ご招待したい、本当。
だって、これノーベル文学賞へ、2ミリぐらい迫ったのだ、この駄文。
で、実は、脳内レプリカっての書いたのね。その後、発見。
ふたつ、もったいぶってアップするから、間違い探し、楽しんで、くれ玉枝さん(だれ、これ?)。

ほな、また。ライブで、お会い致しましょう。

注 ピアノは、野蛮ですが、本人は、大変な紳士ですので、怖がらないように


2012年11月29日木曜日

芸人ブログ

毎回、書いたものを読み返し、Bloggerの「公開」をクリックするたびに、得体の知れない不安に襲われる。そんなに仰々しい書き物ではないにしても、全世界に向けて公開される。少し、眩暈と恐怖に襲われる。やはり、非常に怖い。

何度も書いている。私のブログは、「芸人の自己宣伝ブログ」である。
自己顕示、露出することが、やはり、根底にある。不純な動機の元に構成されている。
ただ、ブログを書くこと自体が、すでに「宣伝」であるので、それ以上の営業、宣伝は、逆に必要がない。

ブログを開始して二ヶ月強。
当初、とても素敵な散文を書かれるブロガーさんへ、二度程、コメントをお送りしたことがある。
もちろん、愛読させて頂いていること、応援させて頂いていること。余計なお世話なのかも知れないが、やはり、お伝えしたかったのである。二度のコメントへ、大変丁寧なご返信を頂いた。それから、二日後、ブログサイトを開き、マイページのお気に入り一覧を開いた。そのブロガーさんのサムネイルが消えていた。この一件は、ずっと頭の中に残っている。もちろん、なんらかのご事情があるはずで、私のコメントが原因ではないとは思うが、なにかが気に掛かる。

一ヵ月後、別のサイトに参加。私の大好きなブロガーさんへコメントをお送りした。大変、丁寧なご返信を頂いた。現在も、愛読させて頂いている。でも、コメントは以後自制した。まったく、当初、なんの他意もなくファンであることをお知らせしたい。それ以上の意図はなにもなかった。ただ、少しして気が付いた。ひとつは、結果として自分のブログの宣伝に間接的になってしまっていること。それ自身が問題なのではなく、問題は、私のブログの性質、立ち位置が芸人のものであること。こんな不純ブログの宣伝に、結果、巻き込んでしまっている。これは大変に拙いと自覚したのである。

以後、すべてのコメントを自制している。
ただ、どうしてもエールを送りたい。一言、ファンであることをお知らせしたい。
切羽詰まった欲求が抑えきれない時がある。
非公開コメントとしてお送りすることに決めた。
少しでも、この不純ブログの巻き添えを回避したいのである。

当然、すべてのブログは、公のものではあるが、各ブロガーさんたちの立ち位置は違う。
鈍い私も、理解しなければいけない。





2012年11月28日水曜日

パリの仲間たち

ここ近々、なんだか凄く忙しい。
私の仲間たちの公演が、ほとんど毎日のように行われている。
例年、10月、11月と、確かに、我々の繁忙期。

「財津暁平」
財津さんの舞踏公演が、先週の木曜日。大入り満員。
ステージの上は、白布が波のようにふんわりふんわり。ステージの周りも白布が垂れ下がり、諸々の映像。一部のお客様たちは、ステージふわふわ白布の上の、折り畳みリクライニングチャアーに座り、その他は、ステージの周りの長椅子へ。

黒いビニールのゴミ袋の塊がステージ中央へ現れ、その塊がぐにゃぐにゃと踊る。
その塊が、踊りながら、少しずつゴミ袋を毟り取っていく。その中から、白塗り、つるつる頭、眉なし、細ふんどしの宇宙人、財津暁平が現れてくる。

初めて見た友人。仰け反り。
久しぶりに財津さんにお会いした。健在振りを確認。また、やろうぜっ、一緒によぉー、となった。で、私は友人連と夕飯。夕飯後、地下鉄へ。ぎょ、「白塗りの」財津さんが、地下鉄のホームに立っていた。「ありゃ、暁平さん、もっ、もしかして、家からその格好だったの?」「はい」 ぎょぎょぎょ。一緒に地下鉄に乗る。「白塗り、頭に手拭いの財津さん」が地下鉄のワゴン中央の棒に両手で掴まり立っていた。もう、彼の立っているところ、すべて、ステージなってしまう。凄い人だ、まったく。

今回の公演の最後の方に、財津さん、体にちょっとだけ残ったゴミ袋。後は、白塗り。床に寝そべりぐにゃぐにゃ踊りながら、「皆さん、ココア、お好きですか?僕は、大好き」「皆さん、バナナ、お好きですか?僕は、大好き」「ココア、バナナ、ココア、バナナ」「僕は、公演の終わりが大好き」「ココア、バナナ、公演の終わり、ココア、バナナ、公演の終わり」「僕は、公演が終わった後の、夜の静寂が大好き」「ココア、バナナ、公演の終わり、公演の終わった後の夜の静寂、ココア...........」と、不思議な呪文。凄い人だ、まったく。

急に思い出した。確か、1999年か2000年の我々のパリ公演。
シアターのステージ左側に、ヤマハのグランドピアノ。財津さんが右側。
財津さん、白塗りでぬおぉーと立っていた。公演の間、ほとんど、動かなかった。
で、当時、暴力ピアニストとして一部のインサイダーに知られていた裕イサオが登場。
無茶苦茶弾き捲くる。動き捲くり、立ったり座ったり、右足上げたり、仰け反ったり......。
十分後、とんでもなく喉が渇き、裕イサオ、突然、ステージを下り、楽屋へ。
ミネラルウオーター片手に再登場。
「あれあれ、暁平さん、なにしてんの、こんなとこで?」「イッツ マイ ダンス」「えっ、踊ってんだ?」「イッツ マイ ダンス」「あっそ」「イッツ マイ ダンス」。それから、裕イサオ、弾き捲くり、動き捲くり。

公演後、お客さんたち。「ダンサーが全然動かないのに、あのピアニストはなんなんだっ!」
と、大変に衝撃的大反響で、この公演は、「伝説の公演」として我々のファンの間に焼き付いたらしい。

うへぇー、なんか長くなっちゃった。
土曜日、佐藤真(ドラムス)師匠クインテット編成。日曜日、真師匠と、マルセイユのスーパーギタリスト、レイモン ボニのデュオ。二曲だけ、アルトサックスのナカノマキがゲスト。マキさんも久しぶりに会った。とても綺麗な音色、健在だった。このトリオも強烈。レイモンの超絶技巧に仰け反り。

昨日は、昨年、秋から冬に掛けて、パリのサンルイ島のパリ最古らしいシアターで、十回公演のお相手をさせて頂いたマリカズエ「東京からバルバラへ」を見に行った。昨年と、基本的なシナリオは同じだったが、今回は、ピアノは近藤マサハルさん。野蛮人ピアニストとは違い、素晴らしいピアニストのバックアップ。私との公演とは全然違う。伴奏部分、ピアノソロと、私の怪しげなピアノとはまったく違う。ブラボーの一言です。

私は、歌の伴奏は、技術的に出来ない。
で、どうしたのか?私のファン連が、いつも、「えっ、バルバラ、シャンソンと共演?イサオさんが?」で、カズエさんと相談し、苦肉の策。

バルバラの歌の譜面を分析。音および歌詞を元に、わたくしが、すべて、曲を再構成。
カズエさんの歌の後、わたくしめが再構成した曲を弾くという、超絶へんてこりん伴奏という離れ業をシンセサイザーでやった。名付けて、空気波動伴奏という前代未聞のジャンルを作ってしまった。不思議なことに、なんか伴奏以上に、もっと伴奏に聴こえるという、ご意見を頂戴した。
元々のピアニストが、公演間際に事情がありキャンセル。参ったなぁーーー状態のマリカズエが、おーーー、ひとり、暇なピアノがいたわってなって、私のところにSOS。で、こういう結果になった。こういうことも面白いけど、やはり、きちんとしたピアニストの方が、ベターと自己判断。で、今年はご辞退とあいなった。正解でした。

はい、このブログの仲間たち、みんなYouTubeでご覧頂けます(すいません、みんなの名前、漢字が分からない)。仲間ともども、ご愛顧、ご贔屓、よろしくお願い申し上げますですのアディダス。のアンデス山脈とイーデスハンソンですます。よろくし。おーーー、この言語障害は、ジャズ菌さんたちが、お近くに.....。このせんべい、パリパリ。途方にクレルモンフェラン。なっ、ナントっ!
えっ、それはムルーズ。とってもコルマール。リィヨォーーーン。心はとってもマルセイユ。

2012年11月27日火曜日

記事文体分裂ブログ

昨晩、おでんの仕込みを終え、よぉーーーし、くつくつやっている間に、下書きの整理でもするか、となった。まず、結果から書きます。下書きと間違えて、11月25日にアップした「文体分裂ブログ」削除してしまった。すいません、せっかくコメントまで頂いていたのに.....。

昨晩から、詩神様とうっくん(鬱君)、ジャズ神様、ジャズ菌軍団の捜索を開始したのですが、Blogger、なんか操作が複雑で、たぶん、サキュリティーチェックが厳しく、色々とネットで調べた方法にて復元を試みましたが、駄目だった。しかも、超PC音痴。力尽きた。

さて、公開した記事「文体分裂ブログ」。下書きとして残っていた記事「分裂ブログ」。
紛らわしいから、整理整理とやっていたら、ほらっ、いわんこっちゃない、横目で天気予報を見ながらやった。紛らわしいからと、やったのに、紛らわしいから、公開した方を削除してしまった。記事が白紙になってしまいました。もう、本当に分裂。コメント頂いたじゃずっこ様、お許し下さい。ごめんなさい。

で、当然、今日、こんな記事を書く予定はなかった。けど、人間心理は面白いもので、いざ削除してしまった後の、私の脳内リアクション.....。

1) 自分で大変に気に入っていた。なんか擬人化が可愛らしく、私には珍しい愛すべき記事であっ た
2) もう二度と、あんな「素晴らしい」記事は、書けないだろう
3) 私のブログ史上の最高傑作であった

と、現金そのもの。ちゃかちゃかっと書いて、ちらっと、推敲して、ぱっと公開。以上という、通常以上に、おちゃらけちゃんちゃんの記事だったのに、掏られた財布とおんなじで、いざ、銀河系の彼方に消えてしまうと、すぐ、こうなる。

ところで、おでんと書いたが、

里芋、ゆで卵、揚げ豆腐、中華食材店で購入できる練り物各種、椎茸、うどん。

日本食難民の知恵のような感じのおでんのことです。
こちらは、大変大変美味しかったが、えーんえーん、私の最高傑作よぉーと、一晩中、うじうじ。
でもね、ほれっ、わたくし、へらへらとフランス語をしゃべり、へらへらとピアノを弾き捲くる。この身に付いたもの、技術は、だれも盗めないし、あっ、削除っ、なんてこともない。やれやれ。

などと、自分で納得するための結論を書いても.....。
あの、だれか、プリントしてません?悔しいよぉーーー、「最高傑作」!

追伸
メールだったら、ゴミ箱に残っているのに、ブログは、いきなり銀河系の彼方。
Bloggerが特別なんだろうけど、ちょっと、こういう過ちもあるのにねぇー。厳しいねぇー、世の中は。



2012年11月26日月曜日

有吉さん

全然、知らなかった。こんな芸人さんがいること。
御年は、三十八歳とYouTubeの動画には書いてあった。
「毒舌芸人」。おもしろい。

ところで、と、三行しか書いていないのに、もう、すでに、話題を変えてしまう。

はっきり、書いちゃう。

「お笑い芸人が、テレビに、あまりに多過ぎる」

結局、専門職がなくなってしまう。司会業とか、これは、もともと、専門職だった。
とはいえ、タモリさんも、たけしさんも、さんまさんも、お笑い芸人でした。
もう、日本は、随分前から、そうなっちゃったのね。まあ、いいや。

はい、次。有吉さんの毒舌じゃないんだけど、

「お笑い芸人は、知能指数が、相当レベルでない限りは無理。突っ込みもボケも含めて」

この辺、なんか誤解してませんか?

「俺、勉強できねぇーしよぉー、会社勤めも駄目だしよぉー、頭、そもそも、悪りぃーしよぉー」
「しゃぁーない、芸人でもなるかぁーーー」

外れです。

ある意味、芸術家以上の能力が必要である。
芸術家は、いいのだよ、それに、特化すれば。「研究者」なのである。
芸人は、そうはいかん。庶民相手に、どこまで、行けるか。超絶巨人の星の世界だって!

いやぁーーー、頭良くないと、駄目だよ、有吉さんみたいに。
芸人、舐めちゃいかんぜって!結構、マジで怒っている。

で、有吉さん。頭の切れ味は、素晴らしい。
で、有吉さん、マツコさん、たけしさん。代表毒舌系ね、どこかが、優しい。
本当に、どっかが優しいし、金金が、どこか欠落している。どうしてかな?
凄い金持ちになっちゃったんだろうけど、実生活は、以外と皆、地味な気がする。

有吉さんの毒舌。注意深く見て、聞いていると、矛先が芸人とか、テレビに出ている連中に限定されている。彼なりに、相当、ターゲットは気を付けているのだろう。鋭い人だ。ついでに、私の大好きな桃井かおりさんと哀川翔さんのモノマネが出てきた。これは、贔屓の人のモノマネだけど、手放しで、超面白かった。昔、タモリさんがやった寺山修司の「思想のモノマネ」に肉薄している。大したもんだ、本当。

しかし、お笑い芸人。仕事としたら、相当にしんどいだろう。
不安定な位置。いつもディレクターと視聴者と人気をちらちら。先輩後輩、たぶん、相当、きつい内部の苛めと嫉妬、足の引っ張り合い。世間からのパッシング。この泥沼から突出する。いやはや、凄いパワー。脱帽です。でも、稼ぎ半端じゃないみたいですね。いいことです。お笑い芸人が億万長者。庶民の代表だから、やはり、素敵な話である。

そして、こちら、ジャズ屋。全然、こんなことはない。
まあ、大金が絡んでないこともあるかも知れない。でも、大金を稼ぐために、ジャズメンになるやつなんて、いない。別のことしてるよ。なんか、俺たち、一種の楽器フェティッシュなんだろう。頭の中は、演奏のクオリティーで一杯である。苛めはないけど、どつきあい、足の引っ張りあいは、「演奏で」やっているから、ステージ降りると、単なる好々爺、または、助平じじー。以上なのだ。平和なんだよ、俺たち。演奏第一主義者の集団。それ以外、頭にない。まあ、禁治産者にならないスレスレのところに、音楽と楽器があるのである。

あっ、今、気が付いた。タモリさん。元ジャズメン。
ずばり、他のお笑い芸人さんとスタンスが違う。無理感がないし、ニヒルでシニックだ。
ジャズ菌のせいである。



2012年11月24日土曜日

お茶の間実況中継

今、これを書く私の右側に、詩神様とうっくん(鬱君)が座っている。
私の展望台のようなサロンから見える階下の庭。積もる落ち葉が、私の来庭を待っている。
で、私の左側の黒いピアノの譜面台に、「超絶技巧への道」という自分で作った表が乗っている。ピアノの後ろの壁に、「否阿野一筋」と書かれた掛け軸(嘘)。ソファーの上のピアノシューズと演奏着が、幾分、寂しげである(嘘、そんなもん、あるかって!)。
この状況下での文体統一は、不可である。以上。

下書きばっかり落ち葉のようにパソコンの中に溜まっている。
この状況下で、公開をクリックする判断は、不可である。
昨晩の詩神様とうっくんとの協議では、「ちみも、53歳だろって!ブログ自体を、それ相応のものに変えるべきである」というお二人のご意見。

仮題として、裕イサオをタイトルから削除する。ブログタイトルを「人の居ない風景」とする。
文体は、詩体に統一する。編集、監修は、詩神様とうっくんが担当する。

「あのぉー、お言葉なんですが、ブログタイトルをそのようにするとですねぇー、下の腰帯の紹介文も変えんといかんのですよ。あと、テンプレートも。で、でね、わたくしの右のプロフィール。これは嘘は書いていない。職業、フリージャズピアニスト。これとの離反をどうするかぁっつー、大問題が起きるし、ジャズ菌軍団、ジャズ神様の欠席裁判は、ちと、いかんのでは?」
「いや、ジャズ神様とは、我々が話を付けるから、あなたは、我々の管理下でお書き頂ければ結構」
階下の庭の落ち葉様たちの不満のざわめき。
「もうぉー、ブログに嵌っちゃってよぉー、俺たち放置。ひでぇー、主人だぜって!」
ピアノ様が点目で私を見ている。無言の圧力。なぜか、掛け軸が傾いている(嘘)。

とんとんとん。「へェイ、メェーーーン。イサオちゃんいる?」
わちゃー、ジャズ神様だっ!
さすがおフランスのジャズ神様。赤ワインのボトルを持っている。後ろにジャズ菌連中を引き連れている。
「ありゃ、詩神君とうっちゃんじゃん。だめだめ、イサオちゃんは忙しいんだから、辛気臭い話は、よして頂戴」「もう、内の子なの、そっとしといて頂戴」

「あのぉーーー、わたくし、どうしたらいいんだべ?」
「まあまあ飲んで。大体、イサオちゃん、ちょっと、噂でね、最近、(素面で)原稿書いてるって、本当?」
ぎくっ。
「だめよぉー、ジャズメンが、そんなんじゃぁーーー、分かるでしょ!えっ?わたすの書いてやった、腰帯、腰帯。スイングスイング空振りでもスイング!百振りゃ、当たるって!(なんちゅう、アドバイス。筆者)」

「いや、社会的な責任がございましてですねぇー、やはり、拙い。読者の方々へ」

「あんた、何様?イサオちゃん。ジャズ屋のおちゃらけブログ。ちみのブログの唯一のチャームポイントよ。お分かり?」

と、このような状況下で、これを書いて居ります。
でも、段々、私を除いた皆さんで、酒盛り。盛り上がって来ました。
実況中継を、この辺で、打ち切らせて頂きます。

2012年11月23日金曜日

鬱というもの/返礼

私は、元引き篭もり、元自閉症、現在でも、慢性鬱病である。
この原因は、私自身が一番知っている。

マルセル デュシャンのピエール カバンヌとのインタビューの最後の方に、
「人は、存在しているだけで疲れているのです」という一行が出てくる。
そうであるならば、その上に諸々の社会生活が圧し掛かって来る。
この疲労度は、大変なものである。

私のブログには、スタンスが当然ある。
芸人、裕イサオという人物以外は出てこない。

インターネットの海の一角であるブログ。
巨大な海の中に、我々個人がいる。
そして、個々人の中に、もう一つの巨大な海がある。
社会、家族、感情、怒り、感傷、友情、諸々の巨大なものがある。

この巨大なものと対峙出来るもの。内的な力しかない。
たぶん、それを支えるために、私はピアノを弾き続けている。
生きていることは、生きている人間にしか認識出来ない。



2012年11月22日木曜日

ブログ記事のタイトル

今、ぼやぁーとBloggerの閲覧数というのを見ていた。
五日前ぐらいに、実に素朴な疑問が浮かんできて、あれ、これって自分で開いた分もカウントされてんの?この辺が、PC音痴らしい。何ヶ月もしてから気が付く。で、試しに開いて閉じた。カウントされている。なんだよぉー、自分の分まで入ってんじゃ、マーケッティングにならねぇーじゃん。で、設定を開いたら、あった。カウントしないように設定変更。で、やっと、読者の方の実数が把握できるようになった。

それで、なんとなく閲覧数が多い記事の共通点が浮かんで来た。
やはり、記事のタイトルの影響も相当あるように読める。たとえば、今回の記事タイトル。わざとそうした訳ではないのだが、閲覧数が多い方に分類される。

当然、書いている側とすれば、興味は湧く。
そうは言っても、その日その日の思い付きしか書かないから、なんか、戦略を練って、なにかをするという訳でもない。単に、ふぅーーん、と言っているだけ。そもそも、このブログに戦略だのマーケッティングなんて、なにもないのである。あっ、違うな。YouTubeの動画の再生回数は、ブログ始める前より増えている。初期の目的を達成している。めでたしめでたし。あっ、それから、ブログに添付した動画。ブログの影響なのか定かではないが、あっと言う間に、100回ぐらい再生された。芸人の自己PR=YouTube動画のプロモート。本来の趣旨が軌道に乗りつつある訳です。改めて、ご愛顧、ご愛読、ありがとうございます。

なんか、急に思い付いて、他のブログをいくつか覗いてみた。
まず、テンプレートを見てみる。もちろん、本文を読む。
いくつか開いてみたブログ。とても良く書かれていた。文章、内容共に、きちんと書かれていた。とても、重い内容をきちんとした文章で綴られていらっしゃるブロガーさん。心に沁みた。
私は、散文詩系のブログが大変好きである。本当に、きちんと書かれている。

で、この、自分のブログ。

「テンプレートのデザイン」ほとんど、昭和初期
「文体」ぴょんぴょんぴょん。私、俺、わたくし、ごった混ぜ
「内容」ちゃらちゃらちゃら、ひらひらひら

ちょっと、自分で呆れている。
本当に、落語の「欲耳」風に、贔屓目で見て、なんとか良い方に取ろうとすれば、オリジナルではあるかもしれないが、なんか、やはり、すみませんという感じです。近所迷惑な気もしてしまう。

おかしいな、俺、元々、純文学の担い手、ないし、現代詩の書き手とか言うことになってたんだけどなぁー。やはり、三十五歳の時に、ピアノを再開、しかも、ジャズの習得開始。ジャズ菌に脳が侵されてしまったのである。世界全体が、ハナモゲラと転回形になってしまった。でも、一回、ジャズ菌に侵されてしまった脳の回復は絶望的なのである。ピアノの上達と反比例して、脳機能は、どんどん絶望的な方向に行くのである。ここ近々、かなり、ピアノが良くなった。おわぁーーー、その分、脳がぁーーー.....。

おぉーーー、脳サンキュー!


2012年11月21日水曜日

ピアノの練習

おっさんになると、新しい技術の習得といったものが、超面倒になってくる。
とりあえず、あるものでなんとかお茶を濁したい。もういいや、こんなもんで、と、すぐ、なる。
で、あんまり周りから、進歩がない、マンネリだと言われると、臍を曲げて、自室じゃなく、自庭に引き篭もり、不貞腐れて、草毟りをする。なんだか、スーパーのお惣菜、および、冷凍食品、簡単クッキングに似ている。うん、今日のコンサート、これでいいや。冷凍蟹クリームコロッケ。早めに解凍しとこっと。なんてやっていると、お客様にいずれ見放されてしまうのである。

二週間前に、私の師匠、沖至(トランペット)から、愛情溢れるシビアなメールが届いた。
イサオのいいところと悪いところ。

「いいところ」
とにかく、指が良く動く。低音の響きが美しい。音の構成が大変に美しい

「悪いところ」
どうして、曲の合間におちゃらけメロディーを入れるのか。いかさない
 時々、超マジな演奏中に、なんとなく照れ隠しで、猫踏んじゃったとかを入れてしまうのだ
早弾き、イサオ節シンコペーションが多過ぎる。十六分音符をきちんと弾け
左手、低音の動きが貧しい
最後に、せっかくの芸術を、自分で壊そうとする。これは理解に苦しむ
お前の本来の持ち味は、実に芸術的な演奏をすること。おちゃらけピアニストではない
初心に帰れ

沖師匠のアドバイス。
どきり、どころではなく、ずばりなのである。そして、このブログにも、「それ」は当てはまっている。私の脳欠陥。図星である。やはり、師匠は恐ろしい。

昔、某出版社の編集の方に、半分いい意味、半分辟易という意味で、「しっかし、裕さんの私私私私私、このオンパレードのパワーと筆力は、凄過ぎて、辟易しますね」って、言われた。当時、三十代だったから、結構、むっとして、「えっ、私って、私個人ではなく、私という一人称で呼んでいる、なにか普遍的な人物なんですけど」と答えた。「えーーー、分かりますけど、やはり、私私私。これは、いずれの意味でも凄いです」。

話が、股ずれ。

で、沖師匠のアドバイスは、もちろん、素直に入る。ジャズジャイアントからの直々のアドバイス。三文ピアニストの私としては、反論のしようがないのである。

和音の再分析を始めた。皆さん、ご存知だと思うのですが、ジョン コルトレーン クインテットのピアニスト、マッコイ タイナーの奏法分析を始めた。ちょっと、専門的になるけど、

左手 1 4 5 1音 右手 4 7 3音 のドリアン 
左手 5 7 1 4音 右手 7 3 6音 の7th sus4 コード

ご覧の通り、両手で七音を押さえる。これを、淀みなく、凄まじいスピードで半音ずつ降りてくる練習というのをやっている。まず、分析。表を作る。まぁ、格闘技の形の一覧を作り、今度は、体に覚え込ませる。

正直、しんどい。上半身、筋肉痛でへろへろである。が、すでに、師匠から言われた悪いところが、相当、改善されている。師匠のアドバイス、さすがである。

「裕さんみたいに、ピアノ弾ければなぁーーー」と良く言われる。
でも、努力して居るのだよ、こっちも。たとえ、人前で謙遜して、ひょうきんで、おちゃらけで、気さくな偉ぶらない、ピアニストなんて振舞ってるけど、内実は、星飛馬なんだ。辛いわ、芸人って。

しかし、自分の悪いところを指摘してくれる人物。これは大変に貴重である。そして、悪口とはまったく根底から違う。本当にありがたい。深謝。



2012年11月20日火曜日

芸術家

なんか、大変に重々しいタイトル。

私のブログの右側のプロフィールをご覧頂くと、「所謂、芸術家」である。
ただし、三文芸人、三文芸術家である。今更、否定のしようがない。
で、まだ、三文芸人は、味わいという逃げ場があるが、三文芸術家、こっちは、粗大ごみ。

では、芸人はさておき、芸術家とはなんぞや、という話をしよう。

「私にとっての芸術家」

きっぱりと、自由であること。以上。

ありゃ、終わっちゃった、よ。これじゃ、つまんねぇーよなって。
で、続けよう。

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1) 芸術家は、天才ないし、一流であること
だって、人間の歴史および視点、世界観を変えるのだよ。半端なことじゃないの
一番、分かり易いのは、マルセル デュシャンだろう。表史は、ピカソが有名だけど、このデュシャンという超知能は、美術の歴史を根底から変えた。その内、ちゃんと書くけど、ご興味ある方は、各自で嵌って下さい。難解だょー。と、芸術家ってのは、これぐらいの人間を指す
ちょっと、分かり難いから「遠近法」。これは、ダビィンチが発明したんだけど、我々の視覚にこれがインプットされてしまったから、風景が、そういう風に見えるようになった。全人類の視覚のメカニズムを変えてしまったのである。こっちの方が、分かり易いはず

2) 芸術家は、自由人である。というより、自由であるがために、芸術しているから、派閥争いだの、嫉妬だの、ぐちゃぐちゃやっている芸術家というのは、存在し過ぎているけれど、だから、芸術家ではない。ふざけているし、本末転倒。芸人の世界と一緒にしないで欲しい。こっちは、いいんだよ、それで。芸人は庶民の代表だ。でも、芸術家は、論外。崇高な人間を指す

3) 分かり難い説明。たとえば、いいですか、ピアノを弾いていることが芸術じゃないのね。分かります?たとえば、ありゃ、また、おフランス、ごめんなさい、エクリバン(作家)とロマンシィエール(小説家)、これは、きっぱり分かれている。日本はロマンシィエールの巣窟。芸術家とは、前者を指す

因みに、日本の小説家で、じゃ、だれが芸術家なの?ってなる。たとえば、三島由紀夫は、私見では、世界最高峰のロマンシィエールのひとり。むしろ、人生自体が芸術になってしまった特異な人物である。

深沢七郎。脱帽である。芸術家だし、一切の後続がいない。唯一、富岡多恵子さんが、その知力で迫った。以上なのだ。大体、生きている人間が、人間自体を風景として見る。人間主体の世界観と、真っ向から対立している。これは、もう、上から目線、なんちゅう流行語を越えている。おちゃらけが、あまりに多過ぎる。ぎょ、俺もだ。すいません。自分に謝る。

芸術を舐めてはいけませんよ、取り分け、自称する覚悟は、途轍もなく重い。

自由であるということは、社会的な位置がそうであることではない。そんなものは、ない。
気持ち、内面、心、なんでもいいんだけど、こっちが自由であればいいから、安上がりだよ。
すべて、否定しない。嫌いなものは、それでいいんだけど、たとえば、ラップは音楽じゃない。
何様だって、人間じゃないっていっているのと同じことだ。好き嫌いはいい。ただ、音楽じゃない。そういう定義をする人間は.....。

なんだか、偉そうだよな、俺よぉー。

と、昨日、ここまで書いて、今、再読。論理矛盾している。

芸術家=歴史を変える人
芸術家=心の自由人

算数上は、この二つがないと駄目となる。で、前者は、途轍もない作業だし、学問の世界と同じで、生物学的には、二十代で、その芸術論は確立していないといけない。で、まったく新しいものを作り出すには、心の自由人でないと不可能であるから、当然、前者は後者を兼ね備えている。おえぇーーー、じゃ、たとえばだ、後者だけだとなんなんだ?前者を、自動的には兼ね備えていない。分からない。けど、これだけでも本人自体の人生は、相当、変わる。

そうか、また、自分に戻ってくる。心の自由な三文芸人。おぉーーー、庶民の代表だっ!

なんだか長くなるけど、たとえば、俺のピアノ。山下洋輔さんを超えてなんかいないから、諸、二番煎じx10みたいな程度である。だから、ピアノ弾きだけど、山下さんみたいな芸術家ではない。でも、それを知ってやっているから、まぁ、心は自由だ。その方が、楽しいのである。

なんか良く分からん結論。

2012年11月19日月曜日

ブログの順位

実を言うと、私が読むブログ、ふたつしかない。大変に、気に入っている。
私は、そんなに偏屈な人間ではない。私のブログをお読み頂ければ、諸、分かると思う。
心のスイス人。すべてに中立。

大体、私は、まったく本を読まない人間になってしまった。ブログも含めて、活字を読まない。唯一、地図見るのは好きだ。後は、風景見ている感じ。音楽も聴かない。静寂も含めて、私の周りの音を聞いているだけ。

ちょっと、はっきり、若い時に読み過ぎて、若老人、栗原類君だったから、逆噴射で、おっさんになってから元気、ポジィーちゃんになったわけね。

博識博識、ばらしちゃう(大したことないけど)。若い頃=アホになる前の読書遍歴と女(こっちは、有料です)。

アンリ ピィエール ドゥ マンディアルグ 究極のエロティシズム小説
ガストン バシュラール 哲学者 構造主義
ロラン バルト 哲学者 構造主義
ビィドゲン シュタイン 哲学者 二十世紀哲学の祖
レイモン ルッセル 言語実験をした、たぶん、世界初の作家
アルフレッド ジャリ 現代小説の祖
マルキ ド サド ご存知の通り、サディズムという言葉は彼の名前から
ザッヘル マゾッホ これは意外と知られていない、マゾヒィズムというのは彼の名前から

これ以上書くと、インテリばればなので、止めます。

日本人では、

富岡多恵子(大ファン。詩人、観念小説の大家と思う)深沢七郎(虚無の深遠を小説化した、世界唯一の作家)沼昭三(マゾヒィズム小説の世界最高峰)澁澤龍彦(博識というのは、彼のことで、フランス文学案内は、すべて彼の書物から)三島由紀夫(私には、その生き様が、なんとも切ない。世界最高峰の小説家のひとり。私の未完の美術作品に「金閣寺のための金閣寺」というのがある)吉岡実(なんどか書いた通りです)田村隆一(私のエッセイの師匠に当たる。詩人以上に、素晴らしい、スイングエッセストです)金子光春(敬愛してやまない大詩人)大岡信(日本文学の良心であり、司令塔)入沢康夫(日本語での言語実験の先駆者)伊藤比呂美(現代詩に新しい形を構築)井坂洋子(伊藤さんと同じく、現代詩に新しいスタイルを導入した方です)

すいません、ぱっと、思い付く範囲だと、こんな感じです。

毎日、三冊ぐらい本を読んでいたから、たぶん、何千冊と読んでしまった、若い頃に。
で、十九歳ぐらいで、精神年齢が、百二十歳ぐらいになってしまったわけ。で、なんだっけ、アメリカ映画のブラッド ピットの出ているやつ。じーちゃんとして生まれて、段々、若返る映画。

はっきり、そのまんまじゃん。

で、この何千冊の読書。役に立ったのか?
まず、ブログ書くのに役には立っている。
その前に、やはり、この精神の中立国の形成に、大変大変、役に立った。

でも、商売には、全然だったよ、マジで。

ありゃ、タイトルとずれ過ぎ。
んで、このブログの順位ね。

まず、俺のは、ちょっと、行き過ぎだね、村の方は。もうひとつの方ぐらいが、順当。
目標!百位っ!こういう人には、ちょっと、勿体無い。栗原類だ、こういう言い方。
でも、裏不満じゃなくて、本当にいいのだよ、「熱狂的なファン」。俺は、こっちの方が好きなんだよな。数じゃないわけ。商売人としては、まぁー、どうしようもないけど、こういう性格。

で、俺の好きな二人のブロガーさん。
意外と、俺は、文章には煩いし、はっきり、超偏屈。大体、先に書いたとおり、活字を読まない。その俺が読んでいる。

で、その俺が気に入っているブログ。人気ブログなのである。

めでたし、めでたし。やはり、なんか、嬉しいの。
なんか人の自慢して、俺は、盛り上がる傾向があるのだ。
応援に向いているのかもしれん。

2012年11月18日日曜日

エビィリーヌおば様

エビィリーヌおば様。フランス民放テレビTF1の、超人気天気予報キャスター。
おば様なんぞと書くと、本当におばさん臭いが、エビィリーヌさん。たぶん、フランスで、もっともセクシーな方。御年は六十歳ないし、もう少し。

もともと、大変な美女で、現在のプロポーション、完璧である。
絶対に、毎日、切磋琢磨しているはずである。
タイトスカートから伸びる御足、大変に美しい。

彼女、下手をすると、私より十歳ぐらい上の方である。
あまりの美女、および、脚線美。
問題は、毎晩、天気予報。天気の方は、それこそノー天気で、彼女の脚線美ばかりを見てしまう。結局、「ありゃ、明日、雨だっけか?」となり、なにを見るためにテレビを付けているのか、まったく分からない。そういう意味では、ミスキャストではあるが、視聴率はダントツ。

その十歳近く若い私の方は、

これ全身、ぷよぷよ状態である。
一応、人様にお見せできる部分は、顔。輪郭が怪しげだ。
それと、唯一の私のセックスシンボル。肘から下の腕の部分。
これは、ピアノで鍛え抜かれている。ここだけ、筋肉むくむくなのである。
結局、ピアノを選んで良かったよ。

顔と、手、と、腕。これ以外は、意図がない限り、社会には見えない。
やったね。

顔は、隠しようがないけれど、この腕のセクシー。これは、計算外。
たまたま、見える部分を間接的に、私は鍛えていたのでした。やはり、ピアノ様様だ。
しかも、指先刺激でボケないのだよ。はっきり、腐れ頭がさらにボケ。ちょっと、アルプスの少女、廃人だよな。

そんなことは、どうでも、いいんだけど、エビィリーヌさんの、この超絶美形は素晴らしい。若い娘さん方も、溜息付いているはずである。

で、そうではなくて、わたくしが書きたいことは、ちょっと、ずれる。
「別に、私は、若い頃に戻りたいなんて思わない」ということ。じっちゃん、とっつぁん、おっさんになると、心が駱駝。

自意識がない、楽チンだよ。人からどう見えるか?見えるようにしか見えない。

社会的な野心がない。あるのは、極私的な向上心のみ。社会とは関係ない。こういうのは、野心とは呼ばない。

もう、すべてに中立。毒舌系のお笑い芸人さん、お疲れ様です。凄まじい体力と心力だ。人の悪口は、200%ぐらいの勢いで、自分に返って来る。しかも、テレビでだ。千倍返しだろう。偉いと思う。本当に。マツコさん始め、ちょっと、うるうるしています。大した人たちだと思う。

あと、一番肝心な性欲減退ね。本人が、一番、楽だ。生殖、繁殖欲がないからエロティシズムという文学的な性欲しかないのだよな。脳とOOOが、優しく直結したわけだ。喧嘩しないんだ、このお二人が。

ところで、例によって、ここまでが前置きなの。

私のお気に入りブロガーさんのひとり。って言ってもお二人の内のひとり。
私より遥か彼方ぐらい若い。私の人生の三分の一強の年齢である。
私と、ほとんど、同時期にブログデビュー。当初はご近所。面白そうなので読んで、病み付き。
二ヵ月後、私の目に狂いはなかった。人気ブロガーになってしまった。なんだか、本当に嬉しいのだ。贔屓がどんどん偉くなるのは、取り巻きの醍醐味だよね。

で、晩酌しながら、毎日じゃないけど、時々、コメント。おっさん目線というより、父ちゃん目線。こんな鬱陶しいコメントにも、毎々、律儀にご返信を頂きました。しかも、ブログの中で、私の超無内容ブログを紹介までして頂いちゃった!ありがとなぁー。悪いなぁー、イメージ、崩れんじゃないの、こんなブログ、紹介して。本当に、深謝。でも、ちょっと、ごめん、ね。「シンコペーション」だよ。

で、私のブログへのコメントに、「辛口(そんなことないよ。でも、ちょっとは、そうかな)。ブログというより、ご本人の声が聞こえるようです(やったね、もともと、このブログのタイトルは、筆トークだから、お話ししているわけね。一応、文体設定は、成功したわけだ)」。

でも、そのブロガーさんのは、エッチで詩的で切羽詰まっていて、真摯で、真面目で、若い。諸々が、犇いている。しかも、とても文学的な犇き。絶対に、大成するはず。
ありがとう、本当に。毎日、アホのようにクリックしてんだ、わたくし。

2012年11月17日土曜日

ランダム

もう、思い付くことを、片っ端から書く。いきなり、ちょっと自慢してしまう。私の無内容ブログ。今、見てたら、一つだけ、良いとこがある。私にとってだけど。もう、アホなぐらいテンプレートがシンプル。字も大きいから、シニアに超優しい。ちょっと、逆にオリジナルな感じだ。レトロ、手焼きせんべいブログ。下町ブログ。で、ブログ比較というのを見てみたら、FC2だったかな、これが、一番のような記事が複数あった。私のブログも引越しして、もう少し、ミュージッシャンらしい派手な感じにしようかしらなどど、二秒ぐらい考えたが、用語が分からん。トラックバックだのRSS、なんのことか分からないので、やっぱ、現状維持。それより、そろそろ、YouTubeの動画更新始めようかしら、ね。ワールドオーダーの影響じゃないんだけど、次回の動画は、公の場で撮影予定なのです。まあ、ジャズクラブに頼めば、すぐ、作れるのではあるが、なんか、畑の中とか、どっかのお城の中とか、たぶん、ここからは、ワールドオーダーの影響なんだろう、私自身が気に入っているリズミックスシリーズ。この電子音楽を、多少、蔓延させてみたいのである。

今晩は、久しぶりに、旧知の舞踏家、財津暁平(ざいつぎょうへい)のパフォーマンスを見に行く。動画に、この天才舞踏家を登場させる手もあるな。彼に会った経緯は、もう、思い出せない。当時、私はリヨンに住んでいた。財津さんは、私と共演するたびに、パリから出向いてきた。そろそろ来るだろうと、私は3階のアパートの窓から通りを見ていた。つるつる頭、眉毛なしの財津さんが、遠くから歩いて来る。なんと、背中に縄で括り付けた布団を背負っていた。パリから、当然、その姿でいらしたのだ。仰け反った!この天才、夜道でばったりは、超怖い。どうみても、宇宙人にしか見えないし、たぶん、彼は、本当に宇宙人なのだと疑っている。そして、リヨンの大きなシアターでの共演。私がアップライトピアノと共に、ステージのど真ん中。スポットライト。財津さん、ステージ、右後方。布団の中で、裸で寝ていた。少しずつ、むくむくと、つるつる頭、眉毛なし、白ふんどし、全身白塗りの財津さんが、起き上がってきた。私は、演奏しながら、うるうるしていたのである。なんとも泣ける。後にも先にも、こんなでかいシアターで演奏したことはないのだけれど、客席が真っ暗で、お客様の顔がまったく見えない。夜の海の砂浜で演奏している感じで、気持ち良かった。

考えてみると、私の住んでいる小さな町。住み始めて、二十年近く経つのに、町並みがほとんど変わっていない。某有名な画家の作品の中に何度も描かれている。百年以上前の風景。通りが舗装されただけで、ほとんど変わっていない。だから、多分、百年後の風景も、容易に想像することができる。新興住宅地も、良く見ると、結構建ってはいるのだけれども、実にうまく、元の町並みに溶け込んでいて、注意していないと分からない。先日も、歯医者さんを探していて、裏庭みたいなところに迷い込んだ。びっくりした。いつの間にか、マンション郡が、本通りの裏側に建っていた。これだけ風景が変わらないと、田村(隆一)さんの以前に書いた詩の中の一行「時が過ぎるのではない。人が過ぎるのだ」。この一行が、日毎、実感として迫ってくる。日本の町並み、しょっちゅう変わっていて、たまに帰国して、東京のどこどこでなんて待ち合わせ。駅を出る。目印にするつもりのビルがなかったり、まったく、別の建物になっていたり、この町のダイナミズム、活力は素晴らしい。どちらが良いのか、私には分からない。ただ、半永久的に建っていられる石の建物の中に住んでいる、この安心感は、確かにある。私の小さな家も、堅牢な雨戸を閉めると、ひとつの城塞に変身する。この城塞感。やはり、ヨーロッパに住んでいることの、真相が、この建物の構造の中に、如実に出ている。


2012年11月16日金曜日

日本とフランス

日本とフランス。単純比較すると、

「面積」 フランス、日本の約1.67倍。平地が非常に多いから、宅地面積の比較は分からない
                 旧植民地、現在フランス領の国々を含めると、さらに大きくなる
「人口」   フランス、日本の約半分
「GDP」   フランス、日本の約半分

と、ここまで書いて、人口とGDPを見ると、「一人頭の生産量」は、算数上は同じとなる。週三十五時間勤務。残業なし。年間五週間のバカンス。それで、同じとなると、日本の働き蜂の方々には、大変に申し訳ない計算がなりたってしまう。フランス人の方が、効率がいいとなる。

インターネットを見ていたら、「フランス人と日本女性の違い」というのが出てきて、その中に、

「フランス人女性はぶりっこしない」
なんだか、もう、当たり前になっているので気が付かなかった。確かに、田中みな実さんみたいのはいない。ローラみたいのもいない。迂闊だった。本当にいない

「フランス人女性は気が強い」
これは人によるけど、ちょっと、ずれるけど、フランスに痴漢はいないのだ、本当に。たぶん、串刺しにされるから、出来ないのだろう。分からんけど、確かに、いない

「フランス人女性は自分の意見をはっきり言う」
これは、別に男女の問題ではなく、フランス人全員がそうだし、そうしないと、生きていけない。パリの超高度な縦列駐車のテクニックと同じで、それが出来ないと、敗者になってしまう。生きていけないのである

と、一見、フランス人女性の方が、日本人女性より進んでいるとか偉いみたいな印象。なんのなんの、絶対にそんなことはない。私の独断では、日本人女性の方が、「格段に上」を行っている。私は、フランス人女性と話したりしている方が、ずっと、楽である。はっきりしているし、男女同権が徹底しているから、変な遠慮もいらないし、レディーファーストは厳守だから、もうなにがなんでも、男性が下になる。分かりやすいのだ。

日本女性。細かく書くと、ちょっと、怖いので、一言。

なにせ、「女子アナを生む土壌」。半端じゃない。



2012年11月15日木曜日

フリージャズ

下書き在庫(しかも、推敲済みなのだ)が、あと、二篇。「文通妾」「吉岡実2」。
これを、放出してしまうと、私のブログもお仕舞いになってしまう。
だから、万が一、私の馬鹿頭の機能に、なんらかの問題が起きた時用に、とっておく。
などと、勿体ぶっている。突然、馬鹿頭が治ってしまったりしたら、ネタ切れになる。
しかし、毎日、および、定期的に更新なさっているブロガーさんたち、素晴らしいです。
気構え、前向き、やはり、実際に実行するのは、大変に、難しいので、脱帽です。

二日前に、佐藤真(ドラムス)師匠から、先日のライブ録音が送られてきた。真師匠のファンの方の録音。演奏前に、彼は、きちんと、我々の承諾を取りに来たので、二つ返事でOK。

で、バビロという老舗ジャズクラブ。ステージに向かって、左側にピアノがあるのだけれど、ヤマハU1。んで、ステージが、ピアノの向こう側になるから、座っているドラムスの真師匠が見えない。まったくの、座頭市状態となる。もちろん、息遣い、声、音は、聴こえて来るが、動きの間が見えない。やや、やり難い。

で、ステージの上で聴いた音と録音された音。毎回、大分、感じが違う。
弾きながら、自分の音、もちろん、聴いている。当然、パートナーの音も聴いている。ただし、当事者だから、ステージの外で、客観的に聴いている音とは違う。

で、今回、相当、余裕たっぷり、リラックスして弾いた。ほとんど、演奏中に、微笑みまで出ているのである。で、聴いた録音。仰け反った!真師匠の力量、煽りのせいも多分にある。それでも、この気迫、パワー、スピード。自分で自分にお辞儀してしまった。

私は、二重人格としか思えない。
スーパー、草むしり、皿洗いと、大変に地味な暮らしをしているのに、このライブの気迫は、別人としか思えない。ちょっと、自分でも怖い。

フリージャズ、たぶん、お聴かれになられている方は、皆無に近いと思う。
それでも、なんの打ち合わせもなく、楽器を仲介して、長時間、人様の前で、ほざいたり、ののしりあったり、優しくなったり、ムカついてどついたり、また、優しくなったり、褒めたり、罵倒したり、にゃろめぇー、んちきしょぅ、シンバルっ、マッハ3、どうだっ、なんのなんのぉー、にゃろにゃろぉー、受けて立ってやるぅー、バスドラ(バスドラム)、にゃろめぇーーー、いぇぇぇぇぇーーー、うぐぐっ、んちきしょうぉーー.....。卑猥な単語の羅列.....。

もう、ほとんど、人間社会の縮図である。

で、演奏終了。汗びしょびしょ。ビールを飲みながら、「いやぁーーーーー、気持ち、よかったね」。これほど、アホで爽やかな人種はいない。



2012年11月14日水曜日

フラフープ

もう、一文字たりとも書けなくなった。下書きの在庫も、後、二篇と迫ってきた。一時期は、無内容とはいえ、週間更新回数11.8回を誇っていた。当時の健筆が、今となっては懐かしい。このまま、伝説の(?!)超無内容ブロガーとして、消え行く運命なのかもしれない。あまりにも、紅葉の葉っぱに入れ込み過ぎた。私自身が、同化してしまったのである。と改行なしで五行も書いている。嘘吐きっ!

「最後のあがき」

もう、一文字たりとも書けなくなったので、つまらないブログ作成の練習を試みる。

「フラフープ」

フラフープは、丸い。(いい感じだ)。私はフラフープを腰にぶら下げて、回してみた。ふらふらした。(いい感じ)。回している内に、私は、ブラジル人のような、サンバ尻がないので、床に落ちた。(いい感じ)。もう一度、試みてみる。回している内に、フラフープの動きが止まり、私が、回り出した。

「背広」

須藤元気は、背広が似合う。
背広の似合う日本人男性は、稀である。体躯が貧弱な上に、大体、背広というものは、日本の正装ではないからである。彼のマーケッティング。「西欧人が見た日本人(男性)のイメージは、皆、背広姿。同じ格好。画一化したロボットみたいな動き。それを逆手に取りました」「格闘家の音楽。日本では相手にされないと思いました。最初から海外のマーケットで勝負しようと思いました」「今は、YouTubeの動画のようなメディアがあるので、まず、それでプロモートをやってみました」。

一昔前(三十年前ぐらい)。
海外、西欧世界の白人が見た、我々、日本人男性のイメージは、ちび、出っ歯、ニコンのカメラ。そして、鼠色のスーツと画一化した人格。本来は、そうではない。が、そのように映っていた。フランスのコメディー映画にも、しばしば、「この日本人」が出てきた。

皆、同じ服装。へこへこお辞儀。そういえば、私が、日本の新幹線(東京---大阪)の車内にて、見た光景。忘れられない。私は、ワゴンの一番前の席に座っていた。トイレは、ワゴンの後方である。立ち上り、後方を振り返り、少し、ぎょっとした。私以外、皆、鼠色の背広。ネクタイは、多少の好みが出ていた。白いシャツ。黒縁のメガネ。今から、丁度、二十五年前の光景である。

トイレから、自分の席に戻る間、ワールドオーダーそっくりの男達が読んでいるものを、さり気なく覗いてみた。週刊誌のグラビア。「アイドル水着特集」を、皆、読んでいた。

2012年。もちろん、そんなことはない。随分、変わった。
実際に、そうではあるけれど、須藤さんのお話を聞いていると、西欧人に映るイメージは、今以て同じということになってしまう。こちらの人々の意識は変わっていないということになる。

でも、須藤元気のこの背広姿。この世界元気。彼のような人物が、こちらの人々の意識に風穴を開けるだろう。


2012年11月13日火曜日

在庫整理

頭の中が、音だけになってしまっていることは、何度か書いた。
そして、物を書きたい気がしないことも、何度か書いた。
そして、書きたくないから、下書き状態の原稿の整理をしている。
少しずつ在庫整理をして、在庫が後、二篇のみ。
風前の灯(なんか、物凄く実感のこもった日本語)である。
その状態で、我が家の展望台のようなサロンの窓から、紅葉を楽しんでいる。

どうかな?つまらないでしょ?結構、難しいのだ。なんで、こういうことに気合入れているのか?
なんとしてでも、つまらないものを書くと決めたのである。やはり、難しいのだ。

どうです、ここまで?つまらないでしょ?つまらないと言ってくれっ!

ところで、他人に厳しい人というのは、やはり、いる。突然、話題が変わるのである。
で、私は、まったくの逆。たとえば、私は、比較的几帳面であるが、私以外の人のズボラだの、ダラシナサとか、まったく気にならないのである。非常にいい性格である。むしろ、周りが、多少ダラシナイぐらいでないと、私の「出番」がなくなってしまうので、逆に、喜んでいる節もある。要は、自分と同じような人ばかりでは、私自身が困るのである。

それと、人の悪いところ。自分の悪いところも含めて、あまり、興味がない。
もしかすると、自分も含めて、人間に興味がないのかもしれない。人間観察が楽しいだのと、嘘八百を書いてしまった。

どうかな?つまらなかったでしょ?

ところで、また、話が変わる。
例によってYouTubeで、ローラの番組を見捲くり、色々弄っていたら、World Orderというダンスユニットが出てきた。あまりに素晴らしく、目がうるうるしてしまった。なんか、久しぶりに世界目線の日本の若い世代を見て、熱くなった。もう、無闇とミューじっちゃんは応援するのみ。彼らの動画を見捲くり(なんと、総再生回数1300万回!だれかさん(えっ、俺?)のとは、格段に違う)、最後にリーダーの須藤元気さんのインタビューが出てきた。もう、あまりに素晴らしい人なので、またまた、うるうる。「モチベーション?そうですね、モテたいんです」「オリジナルなことをやっているのではなくて、すでに、存在しているものを、僕なりのマーケッティングで良いとこ取りして、組み合わせた。こんな感じです」。実に、面白い人だ。大変に謙虚でもある。ローラ、須藤さん、彼らのことは、また、改めて書こう。

それで、この「マーケッティング」。本来なら、芸人の端くれである私も、多少は、やらなければならないのではあるが、いかんせん、出不精、社会情勢に疎い、モチベーションは須藤さんと同じではあるが、才能とパワーがない。篭り症。金銭欲、名声欲、諸々の欲がない。粗食に強いので、ハングリー精神もない。だめだこりゃ、勝負にならん。やはり、勝ち組にならない、なれない原因は明白である。

で、今、思い付いた。自然体のマーケッティングがあったのである。

「イケメン(シニア)なのに、超つまらない人」 
 これは、栗原類君の、二番煎じを狙っている
「もう、病み付きになるぐらい、つまらないブログ」
 これは、駄目かしら?一日、一回、もう、読まないと気が済まない。で、読む。あぁーーー、 つまらない、と、納得する。そして、いつもいつもつまらない内容に、皆で安心する

よぉーーーし、マーケッティング、完了。

2012年11月12日月曜日

つまらない

つまらないブログの作成に、着手した。
で、すべてが、つまらなくなってしまった。
これが、行き着くと、おわぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー、分かるでしょ。

唯一、興味のあることを列記してみる。

ピアノ 
    仕事とはいえ、そんなに簡単に「飽きる」なんちゅう次元ではない、私の場合は
    深い深い意味があるのである。まっ、深いって言っても、大した深さじゃないよ
    地球の、直径ぐらい、ね

草むしりと皿洗い
    楽しくてしょうがない
    無我の境地で、素晴らしいのだ

スーパーの買い物
    もう、うるうるしてしまう。生き甲斐である

人間観察
    私も含めて、面白い。本当に、「我々が」、地球を破壊している
    馬鹿な動物。そして、やはり、ソクラテスという、私のお友達の言説は、しみじみ、正     解。「馬鹿であることを認識している方が、まだ、ましじゃん」と、ありゃ?何年前?     に、買取るじゃない、書いている。三千年、四千年掛かって(いい加減な年記)、なん     にも、我々は変わってないわけ。これって、超絶的、カタストロフィー的な馬鹿だ
    本当に?裕先生「だけ」じゃないの?うーん、分からない。そうかもしれない、すいま     せん。一括りにしてしまっていいの、あなたっ!分からない。大体、五十年以上生き     てきて、「後退」しているのである、私は

紅葉を見ていると、心が高揚するというオジギャクなんて言わせない。
本当だから。その意味は、バックナンバー、読んで頂戴。タイトル、忘れた、けど。

なんだょー、十分じゃん。これで。

ネタがないなんちゅうやつ、贅沢なんだって!

あらまっ、二日ぐらいの沈滞で、シンコペ、戻ってんじゃん。
しくしく、やっぱ、俺って馬鹿(優秀)だ。裏謙虚、裏謙虚。
その内、検挙。おーーー、怖っ。もう、読者数は、限定にしよっと。



つれづれ

考えてみたら、私のブログ、もともと大仰な文学的な意図なんてものがあるわけではない。

そして、換金するという意味の営利もない。ただし、芸人の自己PRだから、営利的下心は、当然ある(正直者は、馬鹿を見ないのだ。本当)。けど、高々知れている、私の思惑なんぞは。だってね、売れないのだ、なに、やってもよぉー。しくしく。でも、いいのですよ、「熱狂的な」ファンの方々に支えられているのです。吉岡(実)さんと、この部分では、堂々と、同じなのだ。本当に、ありがたい。めそめそ。だれか、絵文字、教えてくれって!

で、今、下書きを整理し、読み返してみたけれど、なんか、面白くない。やはり、脳が音に侵食されているから、言葉がスイングしていない。じゃ、書くの止めればいいんじゃないの?となるが、やはり、「巨人の星」を読みながら育った世代。安易に始めたことを放り出すのは、どこか抵抗がある。そういう世代なんだろうね。根性。俺は、好きだ。ありゃ、「俺」が出たよ。一人称、難しいのだ、日本語。なんとかしてくれっ、て、アメリカ人が言っていた。分かる、その気持ち。日本語も、日本人も、ちょぉーーーと、複雑過ぎかもね。深読みは、健康に良くないです。

でだ、「エッセイと随筆の違い」というのを、インターネットで調べてみた。
やはり、曖昧模糊としているが、ひとつだけ、あるブロガーさんの記事が参考になった。出展は明記しないが、簡単にまとめると、

エッセイ 自分の思ったことを書く
随筆  実際にあったことを書く

と書かれていた。ということは、大抵は、このふたつに跨っているから、どっちと分類するのは難しいということになる。

ついでに、出てきたデータ。
世界のブログ人口。総数は判然としないが、その内、日本語で書かれているものが37%。英語のそれが36%。もの凄いパーセンテージが出てきた。それから、日本語のブログで、月一回以上更新されているものが、推定300万。やはり、日本国、日本人の中に、枕草子の伝統が息衝いている。

物を書いて、自分の立ち位置。自分の中のもやっとしたものを、客観視して整理することは悪いことではない。たぶん、私は、随時、同じ作業を、ピアノでやっているのだろう。ただし、ピアノ、絵画とかは、多少の基礎知識と技術がいる。物を書くこと、当然、こちらも同じではあるけれど、読み書きというベース自体は、すでに、ほぼ全員が持っている。少し、ピアノ、絵画とは事情が違う。でも、逆に考えると、物を書く方が、高等技術がいるとも言える。皆、出来ることで、芸術するのだよ、半端じゃないよって。

あっ、それから大事なことを忘れていた。
エッセイ、随筆ともに、「自由な形式で」と書かれていた。
ということは、本当に、「つれづれ」で構わないということになる。

徒然。つれづれ。意味をきちんと調べてごらんなさいな、お若いの。
超いかした日本語だよ。こんな素晴らしい言葉は、フランス語にはないのである。
本当に、溜息。素晴らしい。日本語。

そうか、やはり、そんなに気張る必要はなかったのである。
たとえ、私のブログが「面白くなく」ても、一向に構わないのだ。
でも、またまた、私の馬鹿頭が作動し始める。

「よぉーーーし、究極的に面白くないブログ。やってみっかぁーーー!」

これはこれで、大変に難しい気がする。
だって、書き手自身が、まず、面白くない人生を送り、面白くない人物を体現せねばならない。
そんな人生、人物は存在しない。でも、なんか、気合入れて、やってみたいのです。馬鹿じゃないの?いゃー、五十半ばのおっさんらしい、ウンチクのあるさり気ないブログ。こっちにするかしら。そうなると、ブログのタイトルも、土鍋日記とか、蒲公英の葉についての考察とか、紅葉とは、こんな感じにしないといけない。ちょっと、考える。振りだけ。

でも、脳内シンコペーション停止。そうなると、このつれづれが一番いい。無理がないのだ。
その代わり、ピアノは、凄いのだよ、本当。数日で、相当、良くなった。

2012年11月11日日曜日

蛹/返礼

私が、毎朝、あさすすんぶん(朝日新聞)を読むように読む、ひとつのブログがある。

どうして発見したのか、今となっては記憶が定かではない(たぶん、注目記事の欄だったかも)。
ひとつの記事を読んだ。生き生きした「だらだら」(ご本人の弁)ブログだった(で、たぶん、皆さんは、それほど、やらないと思うバックナンバーを貪り読んだ)。

私の「だらだら」とは違い(裏表現)、その方の「だらだら」は、生き生きしていた。この技術は大変に難儀である。

うにゃ、そうでは、ねぇーべっ。
ブログの技術なのではなくて、
その方の、生きる様が、そのまま出ている。

私は、この「生き生き」が大好きだ。
感覚系即興ブログである(独断)。これは、ずばり、フリージャズである。

生きて、積み重ねているもの以外は、「本番」では、出てこないことを、私は知っている。
「努力」とは違うんだけど。「練習」は、多少はいるけど。

そうではなくて、その人そのものの「生きてきた、生きている、時間」なのだと思う。
「世界分析力」だ。

これは、老若男女、まったく関係がないインテリジェントなのである。
もう、堂々と、鳥瞰目線で書いてしまう。このインテリジェントを持っている人、あまり、いないのである(なんか、私が持っているといいたげ、だよな。ご判断は、お任せ、ね。るっせー、持ってんだって!俺)。

真面目といい加減。切羽詰まっていながら、どこか、おちゃらけ。泣きながら笑っている。
根性とへなへな。年齢不詳。ふたつのベクトルの振幅が素晴らしい。相反するもののバランス。これは、大変に難儀なんだけど、自由という言葉と同義である。

読者のハートを、がっつす(がっちり)押さえている。

やはり、とんでもなく陳腐な結論が出てくる。

どうせ、生きてんだったら、楽しく、やろうぜっ!

ありゃ、本当に、私たちって、生きているの?
錯覚なんじゃないの?
ありゃ、右腕で左腕触ったら、あったけど、これって、本当に、自分の腕なの?

おわぁーーー、また、詩神のお出ましだっ!

で、私はジュリエットに一目会いたくて、窓に梯子を掛けた。
ひいひいいいながら、高い梯子を上った。「ジュリエットっ!」と声を掛けた。
割烹着姿でたこ焼きを食べているおばちゃんが立っていた(フィクションです。ご容赦のほど)。

私は、蛙の格好で、梯子を滑り降りた。


追伸

すぐに、復活する執筆欲。
なんだか、一日、ピアノと格闘していると、肩こりが酷いというより、頭こりが酷く、うんだば、ブログでも(この、「でも」。すでに、上から目線)、書くかぁー、となる。とはいえ、頭の中の、言葉の犇き(ひしめき)は、すでに、ない。音のみ。

和音の分析を終わり、晩酌。安赤ワイン。
いやぁー、辛気臭い、物書きは、などといいながら、これを書いている。
いいじゃん、戯言で。生きてんだから、ね。

でも、言葉の犇きなしの言葉は、やはり、つまらないから、吉岡(実)さんの、「究極の犇きの分析」を、ピアノの合間にやろうと思ってます。で、つまらないから、このブロガーさんのブログをお読み下さい、ね。私は、日課になりました。



2012年11月10日土曜日

ミューじっちゃん

一日中、ピアノと格闘している。
新しいテンションコードとか、リズムのダイナミクスとか、左手の動きの改善とか.....。
世界情勢に、まったく、100%関わりのないことで、泣いたり笑ったりしている。

だから、芸術は、素晴らしいのである。
何の役にも立たないし、人様の迷惑にもならない。
社会の草食系である。

「草むしりと皿洗い」

とはいえ、ピアノを弾くことは、私の仕事なのである。
弾きたくない、コンサート、面倒、などど、いいながらも、仕事だから、やるしかない。
やることは、きちんとやるしかない。

ありゃ、だから、草むしりと皿洗い。
もう何もない無我の境地なのだ。
本当に、社会との接点はゼロ次元。

だから、芸術以上に、素晴らしいのだ。

ところで、タンポポ。
だんだん、私のシークレットガーデンに、可憐な姿をいいことに、蔓延って来た。
芝生なのか、タンポポなのか、判別が付かなくなって来る。むむむむむっ。
喋る、じゃない、ブルーのシャベルで、「根こそぎ」、抜いちゃったよ。




2012年11月9日金曜日

ネタ切れ

とうとうネタがなくなった。
さぁーて、草むしりに専念するか、と、清々して背伸びをしていたら、吉岡実詩集が目に飛び込んできた。また、一挙に執筆欲に点火してしまった。吉岡さんとマルセル デュシャンとヘンリ ミラー。各自、優に一冊の単行本が書ける。

実は、ネタ切れというのは、まったくの嘘。
私の優秀な腐れ頭にネタ切れという単語はない。

ただ、たとえば、「ピアニストは一日中、頭の中で音が響いている」。これは本当。
その論理で行けば、当然、ブロガーは「一日中、頭の中で言葉が犇いて」いなければならないとなる。犇いて(ひしめいて)、難しい漢字だ。

それで、ここ二ヶ月間、実際にそうだった。それが、ぴたりと停止した。
その理由は明白。昨日から、ピアノの新しい和音の習得を開始したからである。
頭の中は、音に占領されてしまったから、物を書きたいと思わなくなった。

でも、やはり、ちびちびは書こうと思っている。

私のブログ。

Bloggerの閲覧回数。記事によって、まちまちではあるけれど、20---40と表示されている。
この数字が多いのか少ないのか、私には良く分からない。世界人口から分析すると、極小。ただし、私のライブに足を運んでくれるファンの方々の数字に、ほぼ、近い。

そうなると、安易に休筆、断筆は出来ない数字である。
改めて、厚く御礼申し上げます。ご愛読、ありがとうございます。

ふたつのブログランキング経由の読者の方々。それから、Google=Blogger=YouTube検索エンジンからのアクセスの方々。このみっつの方向があることが分かりました。YouTube動画の総再生回数、今、見てみたら1871回でした。

本当に、三文芸人として、ありがたいことです。
深謝致します。

引き続きのご愛顧、何卒、よろしくお願い申し上げます。

2012年11月8日木曜日

吉岡実1

吉岡実詩集「静物(1955年)」より、詩「静物」抜粋。

夜はいっそう遠巻きにする
魚の中に
仮に置かれた
骨たちが
星のある海をぬけだし
皿のうえで
ひそかに解体する
灯りは
他の皿へ移る
そこに生の飢餓は享けつがれる
その皿のくぼみに
最初はかげを
次に卵を呼び入れる

吉岡さんは、私が師と仰ぐ人物のひとりである。
まず、吉岡さんの顔が好きだ。カフカ的な美男子である。
小柄で細身。厳しさと優しさが共存している。確実に、自分に厳しく、他人に寛容な人の顔である。人格者。ペダントリー、張ったり、こけおどし、こういったものを感じない。表自信も裏自信も感じない。普通にそこにいる。こういう人は、めったにいない。もうひとりの私の師、フランス人、マルセル デュシャンにも、同じ雰囲気を感じる。

余談になるが、吉岡さんとデュシャンのインタビューにいくつかの共通点がある。
回答が、実にシンプル。どちらも、超難解な詩人、および、超絶的に難解な現代美術家と世間では呼ばれている。たとえば、吉岡さん1)「読書量は?」「一月に一冊ぐらいかな」。デュシャン2)「昼間は何をなさっていますか」「何も。せかせか動きまわっています(後略)」。
このふたりの回答は、すべて、こうだ。この途轍もない自然体。

話を戻そう。
この「静物」という詩集の中に、同名の詩が四篇ある。
抜粋させて頂いたのは、二番目のもの。

吉岡さんの詩への、ほとんど代名詞と化した言説。
先記の超難解。暗黒、グロテスク、奇怪、凄惨、苦痛。

諸々の「吉岡実詩論」がある。

私の中の吉岡さん。純真、腕白、子供の目、愛情たっぷりのカメラアイ(矛盾していない)、驚き、きらきらした目etcetc

私には、まったく難解ではない。
視覚的な音楽として、内奥にすっと入って来る。
お化け屋敷に、迷い込んだ子供が、びっくりしたり、笑ったり、どきどきしたり、それが、そのまま活写されている。

お化け屋敷?
そう、我々が住んでいる「世界」と呼ばれるもの。
この腕白坊主の目には、そう、映った。

しゃらくさくない詩を書く、稀な人だ。


追記
吉岡さんとデュシャンについては、きちんと書きたいと思う。

出展
1)現代詩文庫14 「吉岡実詩集」思潮社1968
 吉岡実氏に76の質問 高橋睦朗
2)「デュシャンの世界」朝日出版社1978
    マルセル デュシャン+ピエール カバンヌ
 岩佐鉄男+小林康夫訳

2012年11月7日水曜日

必要なもの

よーーーく、考えると、洗濯機ないと、確かに、不便。
洗濯板で、ごしごしやっていると、ブログを書く時間は、ない。
シーツなんて、大変だった。水に濡れると、物凄く重いから、それをごしごし。重労働。
また、絞るのも一仕事だった。二人でやらないと出来ないのだ。
昔の主婦は、大変だった。

ところで、昔あった、洗濯機のゴムの絞り器。いかしていた。パンツとか、絞られて、にゅーーーと出て来たり、この、絞られていまぁーす、私。みたいな感じは、素敵だった。目に、諸、見え。乾燥機の無機質感とは違う。一度、試しにシーツを絞ってみた。重い、長い、畳むと厚い。難儀だった。

お若いのには、分からんだろ?
昔々、洗濯機の上部横に、ゴムのローラーがふたつ(ちょっと、深緑色掛かったグレー)、および、それを回すハンドルが付いていた。で、濡れたパンツを挟む。で、ローラーを回すと、反対側から、むにゅーーと絞られて、出てくる。とんでもなく、単純なテクノロジー!私だって、考えられる、これぐらいは。会社でちょんぼする。巨大なローラー。ちょっと、あいつを絞ってやるっ!課長とかが、反対側から、半ベソかきながら出てくる。嘘。

懐かしいなぁー。

全然、関係ないけど、一番最初のウルトラマンの「背中のチャック」と、「膝とか擦り切れていた粗悪なゴム感」。子供心に、暑いだろうな、中にいると、なんて、心配していたよ。それから、初期のウルトラマンは六頭身だった。頭がでかかった。ゴジラの衣装なんて、たぶん何十キロとあったのだろう。見るからに重そうで、暑そうだった。

たけしさんのお弟子さんが、なんかの番組で言っていた。たけしさんの友人のディスコの開店祝いに、たけし軍団全員、仮装してこいとの指示。それぞれ、ウルトラマン、ゴジラ、ブースカ等々の衣装を着用。ここまではいい。ただし、全員、車を持っていない。仕方がないので、電車でディスコまで行った。と、おっしゃっていた。本当に、馬鹿馬鹿しいけど、なんだか、山の手線の吊革に掴まっているウルトラマンとか、泣ける。で、たぶん、帰りは、皆、べろべろだった気がする。千鳥足のゴジラとかも、泣ける。

はい、でだ。洗濯機は、許しましょう。文明の利器です。異論なし。
でも、食洗機。こっちは、微妙だ。ちょっと、退化とか堕落系だ。これなくても、ブログは書ける。せんべい食う時間とか、昼メロを見る時間は、確かに、増えるだろうけど。
私の家の食洗機。扉のゴムのパッキンがいかれてしまい、お皿を濯ぐ熱湯が、辺りに飛び散る有様となった。結局、食器を自動で洗ったツケに、その周りのお掃除という便利なのか不便なのか判別が付かなくなってしまったので、廃棄。以後、私が人間食洗機である。

掃除機、これは、便利。トイレ掃除のブラシ。ふむ。便利。
歯ブラシ、コップ、包丁、皮むき器、おろし金、水切り、便利である。
電気、当然、便利以上のもの。暖房、おぉーーー。家、窓、屋根、すいません、必要です。

違うのだよ、必要ないもののことを、書こうとしていたわけ。

でも、結構、文明の利器として、役に立っているものは沢山ある。
冷蔵庫。これも、便利。まぁー、なきゃないで、いいけど。それで、もっと真剣に考えると、水洗トイレ。なくても、いいんだけど、あった方が、圧倒的にいい。ウォッシュレットも、あった方が、お尻がすっきり。昔は、バキュームカーが来て、定期的に、家の肥たごを空にしてくれた。

だから、主旨が違うのだ。いらんものが、多過ぎると言いたいのだ、私は。
でも、車。ふむ、ボロだけど、ないと、買い物行けないよ。パソコンないと、このブログ書けない。

違うのだって!
たとえば、あなたっ!形態じゃない、携帯電話、いる?私は、電話、大嫌いだから、いらない。
スマホ、論外。いらん、あんなもの。大体、道端で、どうしても話さないといけないこと、そんな重要なことは、まず、ほとんどないし、メールなんて、歩きながら読む必要もない。音楽も歩きながら聴く必要なし。道行く人々を観察したり、鳥の鳴き声聞いたりしている方が面白い。そういや、フランスのコマーシャル(もしかすると、日本の、だったかも)に、夕食時の一家団欒。家族全員、携帯でだれかと話しているというやつがあった。あれはあれで、面白かったけど、ちょっと、現実には怖い。

テレビのリモコン。こんなもん、いるの、本当に?私は、働き者だから、いらん。
テレビ、私は必要ない。見ないのだ。しかも、液晶である必要も、あまりない。
カーナビ、これもいらない。自分の地球上での位置を把握していれば、大体の方向は、我々は分かるように、もともと、出来ている。
インターネット。おぉーーー、いいじゃん、ブログが書ける。泣き泣き。相変わらず、絵文字ができない。これは、恐ろしくも、やはり、なかなかのものだ。ど田舎でもブログが書ける。

結局、なにを言いたかったのか、自分で不明。

お粗末でした。



一端のブロガー

今、「男らしい私」という、私の感覚では、「原稿」を書こうとしたら、私の初めてのコメントを発見した。しかも、二つも。発見?  頂戴致しました。本当に、ありがとうございます。なんだか、一端のブロガーになった気がします。深謝。

私もコメントのご返信に書いた通り、何人かのブロガーさんへ、恐々とコメントを送った。まったく見知らぬ方へのコメント。物凄く、怖い。

まず、本名、知らない。顔、知らない。職業、知らない。家庭環境、子供の出来、ご近所の評判、旦那、カミサンの評判。はい、勝ち組への第一歩、遺伝子の調査。なにも分からない。なにも分からないへコメントする。なんか、怖いし、私のような、「謎の芸能人」へのコメント。やはり、怖い。

まず、わたくしこと、裕先生に関しては、コメント、バンバカ頂いて構いませんよ。

「むしろ、コメントのやり取りだけで、ブログやってしまいたい誘惑に駆られている」。

で、コメントの非公開、公開、返信、という操作も、今、初めて分かりました。

私は、「勇気?」へ、拍手。
だって、私、逆の立場だったら、超怖い。裕イサオなんちゅう、得体の知れない三文芸人へ、コメント。勇気がいる。本当。

「コメント」

賞賛、同意、素敵etcetc
バンバン頂いて、もちろん、構いません。
ただ、「ご批判系」。これは、以前にも書きましたが、匿名は、お受け致しませんよ。
ご批判は、真っ向から、ご返信します。だから、素性は必要です。おフランス野郎と、相撲。
これは、半端じゃないので、心してお願いします。そんなに、私は偏屈ではありませんが。
いや、ご批判系。実は、面白くて、一緒に同意して、一緒に批判したりするから、はっきり、無益だわ。私には。でも、欲が出るなぁー、欲しい。ちょっと、辛いやつ。贅沢か?

だから、私は、大変に、男らしい人物なのである。
たとえ、趣味が草むしり、家事であっても。

急に、元気付いて、俺になるけど、俺のこと嫌いな奴と、俺は、仲良しになって、一緒に「俺の批判」して、盛り上がったりする。はっきり、ちょっと、アル中かな。でも、結構、楽しいのである。よーーーし、自分への批判コメント、書いてもいいんだよっ!次回ね。

よし、たまには、「自分のこと」を、書いてみよう。なんていうと、今までのブログってなんだったわけ?となるし、皆、ゲラゲラ。とはいえ、はっはははは、自分のことは、書いてないのだよ、このブログ。気を付けて下さいね。そう、「裕」と言うのは、郷里のお婆ちゃん占い師が付けてくれて、もし、苗字に使うなら、名前は三文字で平仮名かカタカナって言われたわけ。で、イサオってのは、俺の小説に出てくるジャズピアニストの名前なのね。だから、俺が、俺の小説の主人公に、自分でなっちゃったんだよ。だから、俺じゃないんだよ。なんだか分からんけど。この良く当たるお婆ちゃん占い師なんだけど、まったく、俺の素性を知らずに、第三者に「この男は、諸、芸術系。んで、超自己中のメガロマン。んだけんちょも、超男らしい反面、へんなんじゃけんども、なぁーーーんか、女々しい部分が、この男を救って居る」。ずばり、だ。でも、お婆ちゃん、一つだけ、外した。「この男は、シジューの時に、芸術家として大成するっ!」。
ねえ、お婆ちゃん。これだけ、確実に、外した、よ。

以下、略。

2012年11月5日月曜日

もやもや

また、分からなくなってきた。

まず、ブログという、この音に、どうしても馴染めない。
エッセー、エッセイ、随筆。こちらの方がしっくりする。
でも、この三つ(二つ)の音の違いが、やはり、今ひとつ、分からない。

そうして、分からなくなってくると、勢いがなくなる。
ピアノの演奏と同じで、「迷い」、音に出る。

何度も何度も何度も、嫌なぐらいに出てくる問い。
「なぜ、書くの?」
やはり、答えはない。

ブロガーという音も、あまり好きになれない。
濁点が多過ぎて、音として好きになれない。

時々、本当に、他のブロガーさん達に、お聞きしてみたい誘惑に駆られる。
どうしてなの?どうして、あなたは、書くのですか?

諸々の理由が、当然、あるだろう。

まず、勢いがなくなると、「俺」という一人称がしんどくなってくる。
私の年齢、体力とのズレが、本人の中に充満してくる。

それから、いつも気になるのは、このインターネット、ウェッブにログする。
プロ、アマチュア、セミプロ、全員、公の場にいる。
これは、本当に怖い。読者の数の問題ではなく、公になっている。
膨大な社会的な責任が、すでに、発生している。これは、私には、恐怖である。
公の場で、おちゃらけをしている。これは、大変に怖い。誤解も含めて。

エッセイと書くが、この上記の状況の中で、どこまで書いていいのか?
この線引きが、また、分からない。

たとえば、私のブログを例に取ると、
「フリージャズピアニスト、裕イサオ」、この、ある意味、私の一部である架空の人物。
いや、架空ではなく、確かに、存在はしている。ただし、私という人物の一面に過ぎない。
その彼の日常以外は、一切、書いていない。理由は、明白で、私という人間は、この立ち位置以外には、公の場にはいないし、責任が取れない。

私は、確かに、芸能人である。ランキングは、相当、低いにしても、立ち位置がそうだ。
だから、この芸能人の部分以外は、書けないし、逆に、一切、書かない。

うーーーん、やはり、分からない。諸々が。
でも、私のエッセイをお読み頂いて、気持ちが沈む方はいないと願う。

結局、良く分からないので、楽しくやろうぜっ!

こういう結論が算数的には、導かれるのである。





2012年11月4日日曜日

フランス人

「フランス人」と言っても、もちろん、諸々だ。
当然なんだけど。やはり、「一般論として」書くしかない。

大体、「意見をすること」自体が、「一般論」をベースにしないと、出来ない。
男は、とか、女は、とか、一括りにしないと出来ない。ジャズメンは、うーん、辛い。一括りは。私が、一番、損をしているような気がする(本当)。で、しまいには、日本人は、とか、国単位。で、最終、人類は、となるのである。

結局、「一般論=一括り」にしないと、話が、先に進まなくなる。
ただし、「人間は、すべて馬鹿である」と書いた時に、「その中に」、「書き手が含まれているのか」、ここが、重要なのだ。もし、私が、そう書くと、もちろん、含まれている。ある意味、一番の馬鹿だと思うけれど、この「一番の」ってのも、ちと、気掛かりである。裏自信が見えてしまう。だから、「そこいら辺の一般馬鹿のひとり」ってな感じである。馬鹿も、気合入ると、パラドックス現象が起きる。突然、また、女子アナの方々。いいではないか、こういう人たち。いた方が、人間が活性化する。いつもの、中立立場。いつからか、心のスイス人だ。

そりゃ、鋳型美人も、そりゃ、美人だよ。嫌いじゃ、ないよ、本当。もじもじ。
昨日の言説と矛盾していないの?えっ、裕先生っ!

で、フランス人。
なんていったらいいんだろなぁー。
たまに、悪口にするか。

成長、上昇しない(分相応主義だ)。過去の遺産の上にどっしり(観光大国。この収益だけで、食っていけるかも。国自体が、テーマパークだ。維持費は、凄いけど)。努力しない(食料自給率200%!こんな国、他にない)。自国が世界一(フランス人はフランスの悪口ばっかり言うが、内心は逆だ)。享楽的(飯、酒、女男。仕事する時間なんてない)。実に軽薄だっ、自分にかかわらない事には。ケチ。まぁー、お金を使わない。近所付き合い、手土産、盆暮れの贈答品、年賀状(ちょっと、違うけど)、こういったものが存在しないから、お金が循環しない。お店は大変だ。当然、慢性経済停滞。そして、そして、世界に悪名を轟かす、「車の運転」。これは、世界最悪(ないし、イタリアの次)。方向指示出す奴、ずっと、勘定していたら(しかし、暇もここまでくると、哲学的)、三人に一人ないし五人に一人。これを、個人主義と呼ぶ必要は、ないっ!危険だよ、ロータリーで。恐怖のパリ凱旋門のロータリー。気の小さい奴は、一日出られなくなるので有名。わたくし、サングラス、強面、眉間に皺。の状態で、窓から拳。ないし、「にゃろめぇー!どこ見て走ってんだ、このカッペ!右が優先だっ、ボケぇー!」と、育ちの良さ剥き出しで、さっさと脱出する。フランス人のトラック野郎にテクを聞いたら、「あっ、それ。前だけ見て、突っ込む。それだけ。あっちもさぁー、俺が見てないの見えるでしょ。怖くて止まるよ」。なんなんだっ、フランス人とは!

こっちは、ご存知の通り、右側走るけど、追い越し車線(左側)から、高速道路で、方向指示なしで、「いきなり」、右折。こんなんばっか。

個人主義の行き着くところ。運転に、良く出ている。

後ろのやつが、前の無謀を気を付ける。で、その後ろが同じこと。で、その後ろが.....。

---自分の危険以外のことは、まったく、考えていない---

弱肉強食だ。
自己中。他人、関係ない。もたもたしているレジに文句なんぞ言おうものなら、凄い逆切れ。
自己主張。自己保身。自分が一番正しい。絶対に譲らない。謝らない。しかし、良くこんなところで、私は生きて居るなぁー。そう、逆発想で、私は、すぐ譲ることにしている。大相撲は、危険なのだ。四つに組んだりしたら、個人主義初心者の私なんぞ、場外に飛ばされてしまう。

はい、これが、フランスの個人主義。だから、金子(光春)さんが、しみじみ、書いた。

---敗者が生き残れる公算はない(ねむれ巴里)---


注 フランス、世界一の座を奪われる(テレビのニュース)。なんのこと?スエーデンに初めて抜かれた。はい、精神安定剤、睡眠薬、効鬱剤の消費量。



2012年11月3日土曜日

女子アナ2

女子アナ。まぁー、勝ち組っていうやつなんだろう。
俺の見た番組の中の四名の方々。やはり、お淑やか、謙遜の中に「絶対的な自信」を感じた。司会役の方が、「えーーー、グランドピアノぉーーー、相当、家、広くないと」。女子アナの一名。「いえいえ、単にインテリアの一部として、置いてあっただけです」って。

ところで、好感度最下位らしい、田中みな実さん。
俺は、大好きなんだけど、皆さんは、どうなのかしらね?
田中さん、逆に、がむしゃらに勝ち組している感じが、いいんだけど。
謙遜の方が、気持ち悪い。なんでか、田中さんの方が、なんとなく庶民的な感じがする。
アメリカ生まれ、青山学院大学元準ミス、可愛い子ぶりっこ。本人が、前面に出していて、こっちの方が、なんかすっきりしている。陰に篭っていなくていい。自信の逆噴射形の謙遜姿勢。気持ち悪い。みな実ちゃん、自信満々。明るい。それと、俺が一番好きなとこは、会社員していないとこ。

「勝ち組」って、実は、なんのことなのか、まったく分からない。
勝ち組でない人というのは、皆、負け組になってしまうのかしら?

「勝ち組」
地位、名声、で、当然、お金。で、デカイ車、家、素敵な旦那、素敵な奥様。優秀なお子さん

たぶん、纏めるとこんな感じなんだろう。
まるっきり、俺の興味外。ということは、俺は負け組なわけね。どうでもいいや、そんなこと。
ただ、仕事柄、多少の名声はいるんだけど.....。

俺は、幼少期から、まるっきり「物欲」がない。当然、これがないから、「金銭欲」もない。むしろ、ない方がいいとさえ思っている。なんでも、欲しいものが買えてしまう。これは、地獄だ。今、これを書いているパソコン。近所のスーパーの型遅れ在庫放出299euro。なけなしの財布を叩いて買ってきた。喜びもひとしおなのだ。金額じゃなくて、ずっと、がまんして、貯金はしないけど、やっと、買ったわけね。このやっと感は、何物にも代えられない。貧乏人の醍醐味だぜ。感謝、感激の度合いが違うね、金持ちとはよぉー。高々知れた金額のパソコン買って、その喜びが何ヶ月も続いて居るのだ。俺、幸せモンだぁーと、打ちながら、何ヶ月も盛り上がって居るのだよ。

よーく、考えると、俺の興味は、
「美味しいものを食べたい」高級食品じゃないよ。庶民的なうまいもの。コロッケとか焼き鳥とか
「うまい酒」安い二級酒系でうまいやつ。高級系は駄目なのね。美味しく感じないのだ、金額のせいで
「ピアノをうまくなりたい」
これは、もう、三流だから、毎日進歩するのだ。本当に、少しだけど。で、当然、お姉さん方にもてる

なんだか、俺の「野心」。こじんまりしてる。
でも、これを負け組なんて、あんた達には言わせないわぁよ(マツコさんの声音で)。


---勝負とは、勝ち負けではない--- 坂田明
なんのこっちゃ!



2012年11月2日金曜日

女子アナ1

コンサートが無事に終わった。
久しぶりに、二人の師匠に挟まれて演奏した。
佐藤真、ドラムス。沖至、トランペット。

ダンディーで穏やかな沖師匠に、「イサオ、うーーーん、いいんだけど、さ。もう少し、リズムな、大きく取れよ。分かる?お前、しゃべり過ぎ(弾き過ぎ)」と、一部終了後に言われてしまった。この俺の饒舌体質。なんとかならんのかいね?

二部、ゆったりと弾いた。
「イサオは、素直だよな。一度言うと、すぐ分かっちゃうとこが凄い」と、褒められた。
結局、饒舌、傲慢、なのに、意外と素直なのだ、俺は。

厳しく楽しかった。
ほっとしたので、YouTubeで、マツコデラックス「不幸女子と女子アナ」というのを見た。

この「不幸女子」というネーミングが超面白い。
で、俺が見たやつは、不幸女子と女子アナの環境の違いというやつ。
親の職業、子供時代の習い事、学生時代のアルバイト、現在の趣味、その他の資格etcetc

女子アナ(四名) 親の職業 医者 俳優 商社x2
不幸女子(四名) 無職 もろもろの仕事を転々

以下、アナ、不幸と略。

「習い事」アナ ピアノと水泳(全員) 不幸 そろばん(全員)
「アルバイト」アナ お洒落、高級レストランのウエイトレス(全員) 不幸 シール張り、機械の部品の組み立て、洗い場etc
「現在の趣味」アナ ピアノ(全員) 不幸 諸々
「その他の資格」アナ アロマセラピスト(一名) 不幸 なまはげ伝道(一名)
話の流れを聞いていると、アナ組み、親の仕事で海外に在住=英語が堪能。四名とも、元ミス有名大学。

女子アナの方に、常に、ピアノが出てくる。家にグランドピアノがあった方が四名中二名。
不幸女子の方は、ピアノ自体が、全員なし。

「女子アナ」 温室、化学肥料、美貌、日本国でよしとされている教育の体現
「不幸女子」 野ざらし、肥、馬糞、腐葉土栽培。ご本人自身がブスと言っている。各自、自分の意見

段々、マツコさんの言っていることが分かってきた。
もちろん、表向きは女子アナ、および、女子アナ各人への個人攻撃。
ただし、これは、ひとつの演出。女子アナさんたちも、マツコさんにチクられる程、人気、格が上がるし、マツコさん自体の毒舌も、彼女の商売だから、お互いの利益は守られている。
そうじゃないと、無益ないじめ番組になってしまう。

で、マツコさんの毒舌の最終の矛先が分かった。

「日本国でよしとされている教育」
美貌なのに、謙虚でお淑やか。文化全般、とりわけ西洋文化に精通。高学歴。英語が堪能。親から見て完璧な娘、息子etc
「これを本人がよしとして体現しているひとつの人種が女子アナ」
「それから、優秀な会社員でもあること」
「女の、ではなく、勝ち組の人間のしたたかさ」
この辺りのようだ。

怒られちゃうの承知で、書いちゃうね。女子アナの方、皆さん、素晴らしい美形。
で、女性のクラッシックピアニスト(の一部)に非常に感じが似ている。一般的にという意味です、すいません。もちろん、女子アナ、女性のクラッシックピアニスト(ただ、こちらは会社員ではない)、皆、違うから、この一括りは無謀であることは、十分承知している。だから、各自個人への攻撃ではなくて、マツコさんの言っているのは「女子アナという単語に集約されているもの=上記」。誤解なきよう。

ところで、俺はピアノ弾きだから、ここだけ取ると、女子アナ組みに入る。家庭環境も、女子アナ組みに該当している。でも、ジャズ屋(不幸男子ミュージック)だ。これは不幸女子の方だ。両方に跨っている。

女子アナの美貌は、素晴らしいが、俺の中枢には入ってこなかった。
ご自身でブス集団とおっしゃっている不幸女子の方々、皆さん、実に味わい深い美女。
意見、目線が、不幸(作家)目線で、素晴らしい。あのね、女子アナさん(おフランス野郎)みたいな話し方、ごめん。不幸女子の方々の美しさは、フランス女性のそれに共通している。なんちゅうのかな、自美(こんな単語ねぇーけど)かな。鋳型に入れた美しさじゃないのね。

やはり、自然栽培の方が、俺は好きだ。
あっぶねんだ、俺。もともとが、女子アナ系なんだよ。
まっ、チャンジー(じいちゃん)になって、美貌がね、衰えたの。しくしく。

あとね、グローバリゼーションって、英語を話すこと(ピアノでショパンを弾くこと、とか)じゃないんだよ、お若いの。分かってないぜって、女子アナ。なまはげの伝道。こっちの方が、確実に、世界目線だっ。肥たご、こそ、世界目線なんだって!ちょっと、極論だけど。

女子アナ2へ、つづく。

2012年11月1日木曜日

鬱病

私のおちゃらけエッセイを、お読み頂いている方々の中には、しっかし、五十半ば近いおっさんが、よくもまぁー、こんだけ軽く、軽薄、ちゃらちゃら、無内容、ノー天気、でいられるもんだぁーと、感心以上に、呆れている方々がいらっしゃるかもしれない。

しかし、以前にも書いたが、私は慢性的な鬱病なのである。だから、重々しい人間だと言いたい訳ではないけれど、だれしもある二面性を、同じく持っている。

お笑い芸人が、舞台の外では仏頂面。これは良くあること。
たとえば、ヘンリ ミラー。彼の友人連の話を総合すると、明るく快活、よくしゃべる、よく食べて飲んで、セックスして.....。実際にこうだったのだと思う。ミラー本人は、「そのころぼくはたえず死を考えていた」(ネクサス)。「自殺も殺人も不可能のとき人は道化師となる」(梯子の下の微笑)、と書いている。注 抜粋 新潮文庫1969年「北回帰線」訳者、大久保康雄、解説より

北守夫さんが亡くなられた時に、初めて知ったことは、北さんが躁鬱病だったこと。諸々の薬を、いつも持ち歩いていたこと。作家でエッセストで精神科のお医者さん。ユーモアたっぷりの作風、ご存知の通り。そんな人が躁鬱病。

先日、やはり、私も専門家に掛かった方がいいのではと思い、主治医のところに行ってきた。
主治医の診断書がないと、精神科医=専門医のところへは行けないシステム。

「先生、一度、鬱病の治療をしたいのですが.....」
「いつから、そうなの?」
「十七歳ぐらいからです」
「ふぅーーーん、今、五十三だから、三十六年間、そうなんだ」
「はい、一度、精神科のお医者さんに見てもらおうかと」
「あなた、ジャズピアニストだよね?ずっと、人前でピアノ弾いてんだよね?」
「はい」
「そんなのは病気と言わない」
一言で、却下された。
「あっ、先生、私はアル中なんです」
「どれぐらい飲むの?」
「ボトル四分の三から一本」
「で、なにを飲んでるの?」
「赤ワイン」
「普通じゃん」
こちらも却下。

まったく、相手にしてもらえず、風邪薬の処方箋をもらって帰ってきた。
なんだか、医者のお墨付きという感じで嬉しかった。

私の鬱病対策。

もう、とにかく、抵抗しない。この方のお話を、すべて、ご拝聴。ご尤もと、すべて同意する。
もう、私は世界で最悪の人間だ、最悪の人生だ、最低だと、とにかく、なにもかも真剣にネガティブシンキングを行う。めそめそする。とにかく、彼に抵抗しない。力一杯、ネガティブする。

これをやっていると、どこからか、「なんだ、この野郎っ」と、力が沸いて来る。「さっきから、好き放題いいやがってっ!えっ、何様だ、おまえっ!」。さらに、力が沸いて来る。むらむらとピアノが弾きたくなり、「こんちくしょうっ!退治してやるわい!」。弾き捲くる。

いつの間にか、「俺は、世界一の幸せモンだぁー」となっている。

私のエッセイに、重い主題は一切出てこない。表層的なこと以外は出てこない。
重い主題も、同じ方式で、どんどん重い方へと考えていくと、急に水面に浮上する。
それで、明るく書き捲くる。

さすがに、三十六年も付き合ってくると、自分なりの対処法が生まれてくる。

お自慢系

日本での、なんらかのパーティー。コンサートの打ち上げではない。こっちは、居酒屋なの。
時々、俺は、たまたまお隣に座ったおば様の餌食になることがある。
俺は、じっとしていると穏やかな紳士のおじ様に見えるので、話し掛け易いのだろう。
しかも、おフランス野郎だ。レディーファースト、会食時のマナー等は、当然、血肉化している。
でも、なんでフランスに住んでいると、ちょっと、オカマぽくなるのかしら?男らしい感じになり難いのだね。フランス語もそうだ。

フランスに派遣されている刑事さんに、お会いしたことがある。
角刈りのごつい感じ。なぜか、フランス語が大変に流暢。日本語で電話をする時は、「はっ、はい、畏まりました。了解致しました」と、はきはき。フランス語になると、まったく同じ男らしい動作のまま、「アッ ボン(あっそ)」「ウイウイ(はいはい)」「セ ブレ?(本当?)」。動作とフランス語の音があまりにミスマッチだった。

で、このおば様たちの、お話。音楽のフレーズのように、良く覚えている。
以下、本文は、そのまま。で、()付きの部分のところが、ちょっと小声、早口になっている部分。楽譜でいうと、音符の旗が非常に多いとこ。ピアニッシモ=小声、早口、滑らかに。

「うちの馬鹿息子、(OOOに行ってるんですけど)、なんか、ボロ車買って、(OOOなんですけど)、なんていうもんだから、内の主人も、甘いんですよ、ぽぉーんと、(OOOなんですけど)、買っちゃったりして、困ったもんだわ、本当に」

「へぇー、息子さん、OOOなんですか?優秀ですねぇー」

「いや、遊んでばっかりでぇー、(OOO学部ですけど)、なに考えてんだか」

「へぇー、OOO学部っ。半端じゃないですねぇー。OOO大入るより大変ですよ」

「いやぁー、内のが入れる程度で...(ご近所の奥様方も、そう、おっしゃいますけど)」

「いやぁー、大した、息子さんですねぇー」

「そうそう、内の娘が、アメリカ人と、(大富豪の)、と一緒になりましてねぇー、ニューヨークのマンハッタン?っていうんですか、(一等地ですけど)、アパートを買いましてねぇー、(ビルの、ワンフロアー全部)、あまり、広いお家も、お掃除大変よっていったら、お母さん、そんなのメイドがやるから関係ないわよって、ほほほほほ、嫌ですわねぇー、貧乏人は。ほほほほほ」

「マンハッタン、ビルのワンフロアー。ひえぇーーー、億ションなんてレベルじゃないですよ、それ」

「なぁーーーに、あまり広い、(600m2)、も、寒々していて.....」

なんていうセッションをやる。
周りのおば様方の、やや、不快そうな顔。
俺は、まったく嫌いではない。面白いので、音楽として聞いている節がある。

で、俺のピアノ奏法の特徴のひとつに、装飾音の多用と早弾きがある。
まさに、そっくりなのだ、それに。
もとのメロディーの合間に、ちゃらちゃらとこけおどし装飾音を多用する。しかも、凄い早弾き。

しみじみ、奏法とすると、良く似ている。

まあ、唯一違うところは、俺は、自分の自慢話をしている。
そこだけね。
でも、原点は、同じ、なのだ。

2012年10月30日火曜日

時計

私の唯一のこだわりなのかもしれない。

時計は、丸くないといけない。
地球と、地球の自転と呼応していなければならない。
だから、デジタル時計は、嫌いである。

時間は、記号、数値ではない。

昨日、テレビを見ていたら、「不況にもかかわらず、五十万円以上の時計の売り上げが、昨年度の二割り増しに」。

経済の活性化に異論はない。皆、この循環の中で、食べている。または、飢えてはいない。
一部の国は。

なんか、急に、可笑しくなった。
「安くたって、高くたって、時間は同じだよねぇー」「はっはははははっ」

時計は丸くないといけない。

どうして?

無粋なことを聞かないで。

時計はね、残り時間を計る機械。

丸くないと、分からないでしょ。

2012年10月29日月曜日

マツコさん

今日(10月28日)から、冬時間。正確には、サマータイムが終了。本来の時間に戻った。
これから長い長いヨーロッパの冬が始まる。我々、ミュージッシャンは、皆、鬱期に入るのかというと、まったく逆で、ジャズクラブの地下で、熱く蠢くのだ。

今、マツコさん(デラックス)に嵌っている。
YouTubeで、志村けんさんのコント、ほとんど見てしまい、ローラ、栗原類君とかを見て、なんか、面白いのないかと弄くっていたら、出てきた。

一番最初に見た、女子アナ関係の番組。あまり、いい印象ではなかった。
で、「五時に夢中」という番組が出てきた。

急に、話が飛ぶ。
司会役の方の名前が思い出せない。やや、長髪のすべて平仮名の方。あっ、ふかわりょうさんだ。失礼致しました。名前がインプットできないのです。指示代名詞病ってやつね。あの、その、あれ。固有名詞が出ないのだよ、お若いの。もともとこっちは、「いぇぇぇぇぇめぇーーーん」だけで会話しているから、どっちもどっち、だな。シニア全員、ジャズメンエスペラントに変えてしまっても、あんまり、支障ないかもな。「かあさん、いぇーーーーーぃ」「おぉぉー、いぇーーーぃ」お茶が出てくる。

第一印象。
話のタイミング。腕が長い。手がデカイ。やや、猫背。
この人、「典型的なピアニスト」に見えるなぁーと思っていたら、番組のやっつけクッキングの時に、「本当は、ピアニストになりたかったんですけど.....」。ずばり、だ。
同業者の嗅覚。鋭い。間の取り方とか、ミュージッシャン。

マツコさんの、コメントを見捲くった。

日本国の人気コメンテーター、第四位と番組で言っていた。
相当の人気があることが分かった。

マツコさんの、日本国の世界の中の位置付け系の発言は、よく、本国にいながら見ているなぁーと思った。俺、まったく、同感だ。

日本、たとえば、「景気なんて回復しないわぁよー、これから、ずっと、厳しいのよ」。もろ、フランスだ。大体、俺の住んでいるフランス国、「景気が良かった事」なんて、一度もないよ。慢性的不況。隣の若林さんが、「日本も、ヨーロッパ化した方がいいかも」と、おっしゃっていた。俺も同意見だ。金、会社、成長、で、また、金。お受験、会社、成長。延々と、高度経済成長をやっている。中国、韓国も、そうらしい。お金、ない。会社、帰属しない。成長、しない。お金、ない。お受験、分相応。結局、森にお散歩に行く。お金ないから。高度経済停滞。

で、やはり、日本国は、確実に、世界から取り残されている。
東洋を、世界の中心にすれば、それは、いい。ただし、西洋化を必死にやってきた今からは無理。俺のエッセイと同じで、二番煎じなのだ。

なんか、マツコさんのコメント聞いていたら、
ちょっと、極論なんだけど、フランス国民全員がマツコさんだから、まとまりはしねぇー、けど、皆で、一過言。いいんじゃない、これで。口調まで、似てしまいましたって。

フランスに来た当初、ミッテラン大統領と大学生の討論会。
司会者 自分の意見 
ありゃ、そういやぁー、フランスに女子アナはいない。女性の司会者は多いけど
学生「たち」 自分の意見
大統領 自分の意見

誰一人、譲らない。喧々囂々。年功序列も、立場も、崩壊。

これに較べたら、マツコさんの繊細な「暴言ぽい発言」。本当に、この人は優しい人だと思う。
大体、「人の話を聞いている」のだ。ピンとこないかも、日本にいると。

ところで、フリージャズミュージッシャン。
年功序列、師弟関係、演奏中の遠慮。一切ないのだ。これが、流儀なのだ。
遠慮してると、楽器経由で、どやされる。

これは重要だよ!

「その時、出している音以外、一切の評価はない」。わざわざ、括弧しちゃったけど、本当なのだ。

「その時」。これだけ、ね。

---音は、片っ端から、宙に消えて行く---   エリック ドルフィー

2012年10月28日日曜日

沖至

トランペッター、沖至(おきいたる)。俺のジャズの師匠である。
で、師匠というのは、その道だけではなく、当然、人生の師匠でもある。

俺の師匠は、大変にダンディー。
絶対に、他のミュージッシャンのことを悪く言わない。
これは、恐ろしいぐらい凄い。

チンピラは、すぐ、あいつがどうの、あのギターはどうの、とりわけ、同じ楽器の奴のことは、ぼろくそ。これこそが、チンピラと呼ばれる由縁なのだ。師匠は、そんなことはしない。
ただし、ドラムス、佐藤真師匠に、先日、言われた。「イサオ君、悪口ゆぅーとさっ、結局、自分に、跳ね返ってこない?」。どきっ。もっとだな、ぐさっ、だ。師匠連は怖いどぉー。

下ネタ話も、一切、しない。もてもてなのに。
チンピラは、一通り、仲間の悪口。その後は、下ネタ。
だから、チンピラなのだ。あれっ、真師匠は、よくするなぁー?ぎゃ。書いちまったよぉー。ヤバイな。

で、俺は、酔った勢いで暴れたりする。昔ね。言っとくけど。
師匠は、絶対に、そんなことはしない。いつも、穏やかである。
俺はしないけど、仲間の一部は、お客様と喧嘩したりする。拙い。確かに。
荒くれどもの集団と、思われてしまう。これでは、師匠に申し訳ない。
チンピラは、やはり、この程度なのである。

師匠は、俺のことも、絶対に、悪く言わない。
自己顕示欲の塊、ナルシスト、超絶自己中、嫉妬深い、エエカッコシー、暴力的に熱い、こう言った、天災系のミュージッシャンなのに、悪く言わない。良いとこしか、言わない。

これって、非行少年教育に役立つはずだ。本当。

良いとこをふたつ。別れ際に、チクッと、一言。刑事コロンボだっ!

「うーーーん、イサオは、ね、弾いてる姿が、いいなぁ」
「えっ、姿だけですか?」
「うーーーん、姿がいいのは、音もいいってことだよ」
「ありがとうございますっ!」
「うーーーん、イサオの音は、うーーーん、一言でいうとさぁ、重い、ね」
「タッチが、ギンギンだからでしょうね」
「いや、そういう意味じゃ、ないんだけど、重いよ、イサオは、なぁー」

と、褒められているような気も、一瞬するのだ。

でも、帰り際に、ぽそっ、

「イサオ、ちょっと、和声、やってみぃー、楽だよ、お前自身が、な」

なんてことを、おっしゃるのだ。


やはり、師匠を舐めては、いかんぜぇー、お若いの。
でも、踏み台にしないと、一生、弟子だぜって!

師匠に、深謝。

エトランジェ

「エトランジェ」。このフランス語、とても美しいと思われる方も、多いかも知れない。
私なりに直訳してみると、「見知らぬ人」。カミュの同名の小説は、「異邦人」と訳されている。辞書で調べてみると、「外国人、外人」と記されていた。

この名詞が形容詞化された単語が「エトランジュ」。
彼は、エトランジュだ。という言い方になるのだが、不思議、変わり者、変わった人といった意味である。

私は、生まれも、国籍も日本国。フランスに永住したエトランジェとなる。
母国に足場がない上に、フランス国でも、永久にエトランジェのままである。
宙吊りのままの生活である。

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フランス語と日本語のニュアンスの違いがおもしろい。
「見知らぬ人」。この中に「外」という意味合いはあまりない。
日本語だと「外の人」。大陸と島という地形上の感覚の違いなのかもしれない。

「エトランジェ」。もっと巨視的に見てみると、「国」という巨大な組織の外にいる人間とも言える。「東洋人のエトランジェ」。金子光春「ねむれ巴里(中公文庫1976年)」より、再度、抜粋してみる。

---東洋ではともかく、西洋での身の詰まりかたは、さすがに個人主義国だけに凄まじいものがあった。破産者は遠慮なく自殺した。敗者が生き残れる公算がないからである。---

そして、芸人という種族。多分、二重のエトランジェなのだと考える。


「追伸として」

昨日、投稿させて頂いた「投函狂」。再度、読み返し、内容が不適切と判断。削除と致しました。読者の方々、および、ブログサイト運営者様へ、ご迷惑をお掛け致しました事、謹んで、お詫び申し上げます。引き続きの、ご愛読、何卒、よろしくお願い申し上げます。

裕イサオ 10月27日 当地時間17h03