というより、干し裕馬鹿の方が、よろしい気もする。
私が、ピアノ超絶技巧ドラゴンへの道を自分で作ったのが、いや、実は、週間実話、今気が付いた。それを見たら、2006年の十二月でした。ありゃぁー、七年も経っているのに、未だに、途上なのである。この進歩も調和もしない遅延愚鈍はなんなんだっ。そりゃー、ちょっと前まで、超絶的に時間がなかった。今は、十二分にある。でも、達成率、二十パーセントぐらいかしらの鯛の御頭。
でね、たとえば、基本形として私が作ったコード転回は、算数駄目な人は、飛ばして下さいね。
Am7 Em7-5 Eb7 D7 Bm7 F7 E7 Bb7 Am7
これを基本形ということにして、これに諸々のバリエーションを付け加えて、結局、無限大の組み合わせが出来て、これに裏技とか乗りとかリズムとかが付加されるから、宇宙全体を理解せんければなりませぬ、となっちゃったのね。いかに、わたしくの痴呆指数が人並はずれて、はずれていても、うなもん、無理だってよぉー。で、各和音は、七音で構成する。左、指四本で右三本です。
大ピアニスト養成ギブスちゅーやつなのね。
Amでさえ、無限大なのに、うわぁーーーーーーーーーーー、マイナーとメジャーと各音階でしょ、無限大x無限大。
きみ、人生と一緒じゃん。
その気になれば、だけど。
追記
あのね、でね、コンサートの時は、当然、このギブスを外す。
で、とんでもなく速い球になる。だって、ギブスだもん。
とうとう、背骨神経痛で首が回らなくなった。借金はないけど。ありゃ?
2013年6月30日日曜日
2013年6月29日土曜日
自画自賛
これって、自我持参とか、自我自賛とか、自我爺さんとか、いくつかオジギャグが浮かんでくる。
私は、自慢ではないが、おちゃらけシニアプータローである。いや、結構、マジなビジネスマンでもあったけれど、現在は、私の、この本来の姿に集約したのである。楽になった。
やはり、向いてないもの、本来の姿ではない状態を、あまりに長期に渡りやっていると、脳内禁治産者になってしまう。二十四年間の歳月は、十分に長く、一歩手前まで、それに近付いた。
ところで、この全身におちゃらけオーラを漂わせている変なオジサンは、フリージャズピアニストである。まあ、パリのインサイダーの間では、少し名前を知られている。年齢は中年を過ぎて高年に属している。会社内ではシニアと呼ばれる世代である。
で、こいつの力量は、三流と二流の間。正確には最近、2.7流ぐらいに、やや、レベルアップしている。慣れない指使い、これでハードな巨人の星的練習を日毎行っているから、酷い、背骨神経痛である。元々、背骨が歪んでいるのに、こういう負担を掛けるから、悪化する。眩暈、吐き気、下痢とか、どんどん酷くなる。では、酒とタバコとピアノをきっぱりと止めてしまうというご意見もでる。しかし、これでは、生きている意味自体がなくなってしまう。止めてしまうと、私自身が消滅してしまう。変な言い方だけれども、もちろん、健康第一なんだけれど、存在がなくなってしまってはモトモコもないのである。
で、こいつの師匠連の評価を要約すると、「音が重い」とこうなる。
非常にマジでシビアで重い音を出すピアニストということになるわけで、なぜか、ピアノを弾くとこのようになる。これこそ、こいつの本来の姿なのかしら? ね。
まあ、両面テープみたいなもんかな。
私は、自慢ではないが、おちゃらけシニアプータローである。いや、結構、マジなビジネスマンでもあったけれど、現在は、私の、この本来の姿に集約したのである。楽になった。
やはり、向いてないもの、本来の姿ではない状態を、あまりに長期に渡りやっていると、脳内禁治産者になってしまう。二十四年間の歳月は、十分に長く、一歩手前まで、それに近付いた。
ところで、この全身におちゃらけオーラを漂わせている変なオジサンは、フリージャズピアニストである。まあ、パリのインサイダーの間では、少し名前を知られている。年齢は中年を過ぎて高年に属している。会社内ではシニアと呼ばれる世代である。
で、こいつの力量は、三流と二流の間。正確には最近、2.7流ぐらいに、やや、レベルアップしている。慣れない指使い、これでハードな巨人の星的練習を日毎行っているから、酷い、背骨神経痛である。元々、背骨が歪んでいるのに、こういう負担を掛けるから、悪化する。眩暈、吐き気、下痢とか、どんどん酷くなる。では、酒とタバコとピアノをきっぱりと止めてしまうというご意見もでる。しかし、これでは、生きている意味自体がなくなってしまう。止めてしまうと、私自身が消滅してしまう。変な言い方だけれども、もちろん、健康第一なんだけれど、存在がなくなってしまってはモトモコもないのである。
で、こいつの師匠連の評価を要約すると、「音が重い」とこうなる。
非常にマジでシビアで重い音を出すピアニストということになるわけで、なぜか、ピアノを弾くとこのようになる。これこそ、こいつの本来の姿なのかしら? ね。
まあ、両面テープみたいなもんかな。
2013年6月28日金曜日
森敦 月山
ウィキペディアの森敦さんについての、短い説明文をプリントしてみた。二ページと数行。池田満寿夫さんの資料が十一ページあったので、少し意外な感じがした。森さんの「月山」を拝読したのは、十九歳ぐらいだったと思う。東京の下落合のアパートで、一日、三冊ぐらい本を読んでいた頃だ。安ウイスキーとジャズと本。当時の典型的な「文学青年」だった。たぶん、相当数の書物に接したはずだけれど、大半は、忘却の彼方へ。でも、ほんの一握りの書物は、脳の中枢に残っている。
「月山」。この響き、タイトル。もうこれ以上のものはないという感じが今でもする。
実は、内容は、もう、すっかりと初期化していて、まったく覚えていない。十九歳の青年には重過ぎたのだと推測する。いくつか、私が知らなかったことが、今回、分かった。この小説が芥川賞を受賞したのが、私が十五歳の時。それと、森さんが六十二歳で、黒田夏子さんの受賞まで、三十九年間、最高齢受賞だったこと。森さんが若い頃に、すでに作家として一目置かれていたこと。現在の東京大学を中退していること。実に長い間、放浪していたこと。もしかすると、十九歳当時の私は知っていたのかも知れないが、現在では忘却の彼方。
なぜ、突然のように「月山」を思い出したのか?
十一年振りに、自分で小説を書いてみた。くだらないおちゃらけノンセンス小説なのだけれども、ずっと、執筆中に「森敦」と「月山」が脳内で木霊していた。内容をすっかり忘れてしまっているのにである。
「文学」イコール「森敦」イコール「月山」。この公式が、私の世界観の一部として、脳の中枢にインプットされている。しかも、私は東北生まれの東北育ち。月山は、山形県にある。生と死と蘇生の物語だったように、薄っすらした記憶が漂う。私は、改めて正座し、背筋を伸ばして、どうしてもお辞儀をしようとする。そのようにインプットされている。
日本の文学のひとつのプロトタイプなのかも知れない。
ここからが非常に説明が難しいのだけれど、私の現在の文学感とは随分と違っていて、まったく正反対の方へ心のベクトルが向かっている。あっけらかんとした明るい虚無感みたいなものに、私全体が包まれているから、逆方向へ意識が動く。そして、動きつつ「月山」が脳内に君臨する。畏敬の念がさらに強くなる。その分、私の作品は、どんどんちゃらけた方向へと向かう。私なりに、私の前に立ち塞がる巨大なものを乗り越えようとしているようにも思える。そして、少し苛立つのである。この葛藤が実に不思議だし、小説を書き出すと、鬱が始まる原因も、どうもこの辺にあるのだと思う。
ふと、森さんが山を降りたように、私自身がすでに蘇生しているのだとしたら、「文学」と呼ばれるものは、もはや、必要がなくなっている。とも考えてみる。そうなのかも知れない。
「月山」。この響き、タイトル。もうこれ以上のものはないという感じが今でもする。
実は、内容は、もう、すっかりと初期化していて、まったく覚えていない。十九歳の青年には重過ぎたのだと推測する。いくつか、私が知らなかったことが、今回、分かった。この小説が芥川賞を受賞したのが、私が十五歳の時。それと、森さんが六十二歳で、黒田夏子さんの受賞まで、三十九年間、最高齢受賞だったこと。森さんが若い頃に、すでに作家として一目置かれていたこと。現在の東京大学を中退していること。実に長い間、放浪していたこと。もしかすると、十九歳当時の私は知っていたのかも知れないが、現在では忘却の彼方。
なぜ、突然のように「月山」を思い出したのか?
十一年振りに、自分で小説を書いてみた。くだらないおちゃらけノンセンス小説なのだけれども、ずっと、執筆中に「森敦」と「月山」が脳内で木霊していた。内容をすっかり忘れてしまっているのにである。
「文学」イコール「森敦」イコール「月山」。この公式が、私の世界観の一部として、脳の中枢にインプットされている。しかも、私は東北生まれの東北育ち。月山は、山形県にある。生と死と蘇生の物語だったように、薄っすらした記憶が漂う。私は、改めて正座し、背筋を伸ばして、どうしてもお辞儀をしようとする。そのようにインプットされている。
日本の文学のひとつのプロトタイプなのかも知れない。
ここからが非常に説明が難しいのだけれど、私の現在の文学感とは随分と違っていて、まったく正反対の方へ心のベクトルが向かっている。あっけらかんとした明るい虚無感みたいなものに、私全体が包まれているから、逆方向へ意識が動く。そして、動きつつ「月山」が脳内に君臨する。畏敬の念がさらに強くなる。その分、私の作品は、どんどんちゃらけた方向へと向かう。私なりに、私の前に立ち塞がる巨大なものを乗り越えようとしているようにも思える。そして、少し苛立つのである。この葛藤が実に不思議だし、小説を書き出すと、鬱が始まる原因も、どうもこの辺にあるのだと思う。
ふと、森さんが山を降りたように、私自身がすでに蘇生しているのだとしたら、「文学」と呼ばれるものは、もはや、必要がなくなっている。とも考えてみる。そうなのかも知れない。
2013年6月27日木曜日
エロティシズム
ということについて、数日、書こうと思っていた。
新しいフリーボックスが、先ほど届いた。正確には、緊急自宅待機状態の息子が、受け取り場所へ取りに行った。セッティングが終了。パソコンが元の元気を取り戻した。ついでに、こちらも元気になる。6月6日の雷雨からの不具合だから、丁度、20日間、おかしかったのである。
元々、こちらがおかしいから、調律のおかしいピアノは弾かない。これでは、馬鹿の二乗で、持ち味がなくなってしまう。パソコン、ブログも一緒で、機材が馬鹿では、こちらの営業妨害である。
「エロティシズム」。それぞれのご意見があるはず。大体、この西洋語の定義は難しい。日本語に訳すと、私なりに、これが、分からない。コウダクミの「エロ格好いい」とも違う。「エロ」と、はしょると、ポルノチックな音になる。たとえば、こちらのポルノ。仮に朝の9時から午後5時まで見たとする。最終的にどうなるのか? 目が「医者」になっている。そういう意味では、日本のアダビデのモザイクの方が、エッチだ。
で、なんでもエッチ絡みでないとエロティックではないのか?
ふむ、見えないからそうなのである。モザイク。でも、少し、見えそう。
全然、見えない方が、当然にしていい。
私の脳内で、今まで読んだ本の中で、もっともエロティックなものは、アンリ ピィエール ド マンディアルグの「海のゆり」と「オートバイ」である。内容、まったく覚えていないのに、なぜか、エロティシズムの原基として脳にインプットされている。
二秒ぐらい、真面目に考えると、三島由紀夫の「春の雪」。逢いたいのに逢えない。
最終結論は、やはり、この禁断状態がベストである。ということは、究極のエロティシズム小説は、カフカの「城」なのではないのか? ふむ、リラダンの「未来のイブ」。このピィグマリオンの夢。これも、捨てがたい。
男と女でも、ホモでもいいのだけれど、「エロティシズム」。ひとつの哲学領域になるのかも知れない。もっと、下世話方面で考えると、たとえば、パリ郊外の鄙びたペェニッシュの町のお爺ちゃんとお婆ちゃんがやっている鄙びたカフェ。セーヌ河畔。ここのテラスで、小泉今日子と、無言で、ドライマティーニ。ふむ、やぶさかじゃーないな。セーヌの水面の揺れと光りの反射が、とっても、エロティクなのだ。
ふむ、でも、その後は........、心中とかになってしまうから、いいや、俺、エロでよぉー。
と、突然、文体変更。じゃーね。
新しいフリーボックスが、先ほど届いた。正確には、緊急自宅待機状態の息子が、受け取り場所へ取りに行った。セッティングが終了。パソコンが元の元気を取り戻した。ついでに、こちらも元気になる。6月6日の雷雨からの不具合だから、丁度、20日間、おかしかったのである。
元々、こちらがおかしいから、調律のおかしいピアノは弾かない。これでは、馬鹿の二乗で、持ち味がなくなってしまう。パソコン、ブログも一緒で、機材が馬鹿では、こちらの営業妨害である。
「エロティシズム」。それぞれのご意見があるはず。大体、この西洋語の定義は難しい。日本語に訳すと、私なりに、これが、分からない。コウダクミの「エロ格好いい」とも違う。「エロ」と、はしょると、ポルノチックな音になる。たとえば、こちらのポルノ。仮に朝の9時から午後5時まで見たとする。最終的にどうなるのか? 目が「医者」になっている。そういう意味では、日本のアダビデのモザイクの方が、エッチだ。
で、なんでもエッチ絡みでないとエロティックではないのか?
ふむ、見えないからそうなのである。モザイク。でも、少し、見えそう。
全然、見えない方が、当然にしていい。
私の脳内で、今まで読んだ本の中で、もっともエロティックなものは、アンリ ピィエール ド マンディアルグの「海のゆり」と「オートバイ」である。内容、まったく覚えていないのに、なぜか、エロティシズムの原基として脳にインプットされている。
二秒ぐらい、真面目に考えると、三島由紀夫の「春の雪」。逢いたいのに逢えない。
最終結論は、やはり、この禁断状態がベストである。ということは、究極のエロティシズム小説は、カフカの「城」なのではないのか? ふむ、リラダンの「未来のイブ」。このピィグマリオンの夢。これも、捨てがたい。
男と女でも、ホモでもいいのだけれど、「エロティシズム」。ひとつの哲学領域になるのかも知れない。もっと、下世話方面で考えると、たとえば、パリ郊外の鄙びたペェニッシュの町のお爺ちゃんとお婆ちゃんがやっている鄙びたカフェ。セーヌ河畔。ここのテラスで、小泉今日子と、無言で、ドライマティーニ。ふむ、やぶさかじゃーないな。セーヌの水面の揺れと光りの反射が、とっても、エロティクなのだ。
ふむ、でも、その後は........、心中とかになってしまうから、いいや、俺、エロでよぉー。
と、突然、文体変更。じゃーね。
2013年6月26日水曜日
インターネット回線
本来、ブログを書く時間ではなく、インターネットで調べ物をしないといけない。
とはいえ、私のパソコンで辛うじて機能しているのが、メールと、このブロガーのみ。
これではお手上げ。メールの返信は、すべて、書いてしまったから、ブログを書くことにするけれど、頭がブログタイムになっていない。それで、しょうもないことを、だらだらと書いてみる。
インターネット回線が、どういうものなのか、まったく分からない。
フリーボックスの技術者のお話だと、電話回線の容量が5。単位は分からない。
それで、先週、家の中の、すべての電話回線の容量を調べに来た。どこも、通常の数値の5。フリーボックスの差込口も5。問題は、フリーボックスを経由した後の容量が、0.4だそうで、ほぼ、フリーボックス自体が、雷雨時から機能していないらしい。当然、ユーチューブの動画などは重過ぎて、開けないそうだ。ふむ。
私は、高々、五十四歳。でも、生まれた時に、テレビは普及していなかった。
三歳の時に、白黒テレビでチロリン村を見たのが、私の最初のテレビの記憶である。
突然、思い出した。五歳ぐらいの時に、小麦粉かなんかのテレビCMに出たことがあるらしい。私自身の記憶には残っていないけれど、テレビ画像の写真が実家にある。そうすると、芸歴五十年ぐらいになる。はい、もう、すでにテレビデビューをしていたのだ。
自動車も普及していなく、唯一、スクーターが、ほとんど年収と同じぐらいの値段で買えるという時代だった。それから、ずぅーーーと、時間を飛ばす。ポケベルというものを、会社員になったばかりの頃に渡された。「至急、電話をよこせ」。というメッセージ。そりゃー、電話機があるような所にいれば掛けられるが、車中だの、まったく公衆電話が見当たらない麦畑の中にいるような時は、どうしようもないのに、帰社すると先輩に叱られたりする。それから携帯電話になり、スマホになった。
私は現在、十五ユーロで購入した「盗難防止仕様(だれも盗まない)」の携帯電話を持っているが、携帯しないし、しても、スイッチを入れていない。究極のアナログ人間である。歩行中に、お話する必要があることなど、ないのである。でも、あまりに馬鹿馬鹿しいから、今度、プールで泳ぎながら通話しちゃえぇーなどと思っている。逆に、なんだか楽しい、こういうのは。世界経済についてなんて、お話しようかしら。
とはいえ、私のパソコンで辛うじて機能しているのが、メールと、このブロガーのみ。
これではお手上げ。メールの返信は、すべて、書いてしまったから、ブログを書くことにするけれど、頭がブログタイムになっていない。それで、しょうもないことを、だらだらと書いてみる。
インターネット回線が、どういうものなのか、まったく分からない。
フリーボックスの技術者のお話だと、電話回線の容量が5。単位は分からない。
それで、先週、家の中の、すべての電話回線の容量を調べに来た。どこも、通常の数値の5。フリーボックスの差込口も5。問題は、フリーボックスを経由した後の容量が、0.4だそうで、ほぼ、フリーボックス自体が、雷雨時から機能していないらしい。当然、ユーチューブの動画などは重過ぎて、開けないそうだ。ふむ。
私は、高々、五十四歳。でも、生まれた時に、テレビは普及していなかった。
三歳の時に、白黒テレビでチロリン村を見たのが、私の最初のテレビの記憶である。
突然、思い出した。五歳ぐらいの時に、小麦粉かなんかのテレビCMに出たことがあるらしい。私自身の記憶には残っていないけれど、テレビ画像の写真が実家にある。そうすると、芸歴五十年ぐらいになる。はい、もう、すでにテレビデビューをしていたのだ。
自動車も普及していなく、唯一、スクーターが、ほとんど年収と同じぐらいの値段で買えるという時代だった。それから、ずぅーーーと、時間を飛ばす。ポケベルというものを、会社員になったばかりの頃に渡された。「至急、電話をよこせ」。というメッセージ。そりゃー、電話機があるような所にいれば掛けられるが、車中だの、まったく公衆電話が見当たらない麦畑の中にいるような時は、どうしようもないのに、帰社すると先輩に叱られたりする。それから携帯電話になり、スマホになった。
私は現在、十五ユーロで購入した「盗難防止仕様(だれも盗まない)」の携帯電話を持っているが、携帯しないし、しても、スイッチを入れていない。究極のアナログ人間である。歩行中に、お話する必要があることなど、ないのである。でも、あまりに馬鹿馬鹿しいから、今度、プールで泳ぎながら通話しちゃえぇーなどと思っている。逆に、なんだか楽しい、こういうのは。世界経済についてなんて、お話しようかしら。
2013年6月25日火曜日
小泉今日子
先週の土曜日に、カナイと映画「贖罪1」を、近所の名画座へ見に行った。
黒沢清監督のうわさは聞いていた。フランスでも、第二の「クロサワ」と、ずいぶん前から言われている。そして、それは、本当なのだと思う。映画は、諸々の意味で、素晴らしかった。
黒沢清作品、私は、初めて見た。
うわさ通りであったと、書いておく。
パリのメトロの構内に、「贖罪」のポスターを、随分と見た。
ポスターの左側の、たぶん、「私と同世代であろうと思われる女性の顔」。綺麗な人だなと思っていた。映画を見るまで、その人の名前を知らなかった。
映画の最後のテロップに、「小泉今日子」と出て来た。
キョンキョン? Kyon2と、音がダブる。
私が日本を離れてから、アイドルデビューをした方。でも、その活躍ぶりは、こちらでも、「風の頼り」的に聞いてはいた。溌剌とした、可愛らしい若い女性というイメージが、私の脳内にあったし、たぶん、週刊誌等で、こちらでも、随分と見ていたはずだ。
そのキョンキョンと、メトロで見た女性の顔は一致しなかった。
「男は、年を取ると顔が出来る」と、幼少期から、ずいぶんと聞かされた。
小泉さんのことを、インターネットで調べて見た。
大変に失礼な単語、「劣化」という言葉が散見された。
私は、今の小泉さんが、もっとも綺麗だと思う。たぶん、今後、もっともっと素敵で美しい方になると思う。「劣化」? 男目線は、あまりに下世話でえげつない。
本当に、彼女の今、美しいと思った。
黒沢清監督のうわさは聞いていた。フランスでも、第二の「クロサワ」と、ずいぶん前から言われている。そして、それは、本当なのだと思う。映画は、諸々の意味で、素晴らしかった。
黒沢清作品、私は、初めて見た。
うわさ通りであったと、書いておく。
パリのメトロの構内に、「贖罪」のポスターを、随分と見た。
ポスターの左側の、たぶん、「私と同世代であろうと思われる女性の顔」。綺麗な人だなと思っていた。映画を見るまで、その人の名前を知らなかった。
映画の最後のテロップに、「小泉今日子」と出て来た。
キョンキョン? Kyon2と、音がダブる。
私が日本を離れてから、アイドルデビューをした方。でも、その活躍ぶりは、こちらでも、「風の頼り」的に聞いてはいた。溌剌とした、可愛らしい若い女性というイメージが、私の脳内にあったし、たぶん、週刊誌等で、こちらでも、随分と見ていたはずだ。
そのキョンキョンと、メトロで見た女性の顔は一致しなかった。
「男は、年を取ると顔が出来る」と、幼少期から、ずいぶんと聞かされた。
小泉さんのことを、インターネットで調べて見た。
大変に失礼な単語、「劣化」という言葉が散見された。
私は、今の小泉さんが、もっとも綺麗だと思う。たぶん、今後、もっともっと素敵で美しい方になると思う。「劣化」? 男目線は、あまりに下世話でえげつない。
本当に、彼女の今、美しいと思った。
2013年6月24日月曜日
間違った音
フリージャズという音楽ジャンルに、間違った音というものがあるのか?
いきなり結論。ない。ということは、間違った人間というものもない。と言いたいけれど、我々には法律がある。あれ、じゃ、フリージャズに規則ってないの? いきなり結論。ない。
もちろん、音楽にも規則はある。でも、フリージャズというジャンルには、ない。
まあ、無法地帯。でも、「法律に抵触する音」、これは、やはり、ない。
でも、ナムジュンパイクみたいに、ジャズクラブのピアノを斧でふたつに割ってしまったら、器物破損で法律に抵触するか、別のを自分で買わないといけない。と、無法地帯だけれど、責任は、やっている各自にある。
今、俺が頻繁に使うブロックコードというやつなんだけど、左手四和音、右手三和音。両手で七つの音を押さえる。根音と四音が重複しているから、和音とすると五音。これを、押さえるキーを間違えずにドミナントモーション、つまり、五度ずつ、猛烈なスピードで下がるとかいうのをやる。たまに、押さえるキーを間違うのではないのか? いきなり結論。間違えないのだ、これが。でも、たとえば、半音間違っちゃったとする。うん、それはそれで、よし。ローラの口調で、間違っちゃったぁーとやれば許してもらえる。それか、絶対に適切な状況判断の元に、あえて、そのキーにしたと松田優作の口調で、静かにお話する。おー、怖っ。ないしは、なんなのか分からない落語をやる。まったく面白くない落語とか。まあ、なんらかの芸があれば、助かる。
うんでね、それ以上にヤバイのは、間違うということよりも、「いかさない音」。これを連発すると、バンドマスターからの致命的な二文字。つまり、「イモ」。これは、解雇通知なのである。里芋、サツマイモ、ジャガイモ、焼き芋、大学芋、なんでもいいけれど、このレッテルは共演者ゼロ。参加バンドゼロ。お仕事ゼロ。禁治産者シールなのである。と、間違った音でも、いかしていればいいということになる。んで、いかしている音は、逆にいうと間違っていないということ。
実話風の例
「おい、イサオ、ちょっと、C音、くれっ」
と言われて、「はぁーーーいと左手で、ドミソ」と、俺がやったら、体中に「イモ」シール、となる。で、俺は、左、ミラレ、右、ソシと押さえる。
「おい、イサオ、レとソの間のドリアンってな感じ、な」
「えっ?」と言ったら、全身「イモ虫」
「はいっ」ってすぐに、左、レソラレ、右、ソドファとやる。
なんだか禅問答みたいでしょ?
ブルーノートの秘密がここにあるのだ。
意識的に、間違えているという言い方もできるから、さらに禅問答になる。
分かり易く言うと、クラッシック音楽の和音を正しいと仮にすると、ジャズコード自体が、そもそも間違った音ということになるのだけれど、意図的意識的にやっている。と、判断基準をどこに置くかで、「正しい」と「間違い」という結論が導き出される。やはり、間違った人間っていないような気がしてきた。法律の内容次第ってことになるけど、でも、暴力沙汰とか、やっぱ、ヤダよぉーね。と、禅問答になる。
いきなり結論。ない。ということは、間違った人間というものもない。と言いたいけれど、我々には法律がある。あれ、じゃ、フリージャズに規則ってないの? いきなり結論。ない。
もちろん、音楽にも規則はある。でも、フリージャズというジャンルには、ない。
まあ、無法地帯。でも、「法律に抵触する音」、これは、やはり、ない。
でも、ナムジュンパイクみたいに、ジャズクラブのピアノを斧でふたつに割ってしまったら、器物破損で法律に抵触するか、別のを自分で買わないといけない。と、無法地帯だけれど、責任は、やっている各自にある。
今、俺が頻繁に使うブロックコードというやつなんだけど、左手四和音、右手三和音。両手で七つの音を押さえる。根音と四音が重複しているから、和音とすると五音。これを、押さえるキーを間違えずにドミナントモーション、つまり、五度ずつ、猛烈なスピードで下がるとかいうのをやる。たまに、押さえるキーを間違うのではないのか? いきなり結論。間違えないのだ、これが。でも、たとえば、半音間違っちゃったとする。うん、それはそれで、よし。ローラの口調で、間違っちゃったぁーとやれば許してもらえる。それか、絶対に適切な状況判断の元に、あえて、そのキーにしたと松田優作の口調で、静かにお話する。おー、怖っ。ないしは、なんなのか分からない落語をやる。まったく面白くない落語とか。まあ、なんらかの芸があれば、助かる。
うんでね、それ以上にヤバイのは、間違うということよりも、「いかさない音」。これを連発すると、バンドマスターからの致命的な二文字。つまり、「イモ」。これは、解雇通知なのである。里芋、サツマイモ、ジャガイモ、焼き芋、大学芋、なんでもいいけれど、このレッテルは共演者ゼロ。参加バンドゼロ。お仕事ゼロ。禁治産者シールなのである。と、間違った音でも、いかしていればいいということになる。んで、いかしている音は、逆にいうと間違っていないということ。
実話風の例
「おい、イサオ、ちょっと、C音、くれっ」
と言われて、「はぁーーーいと左手で、ドミソ」と、俺がやったら、体中に「イモ」シール、となる。で、俺は、左、ミラレ、右、ソシと押さえる。
「おい、イサオ、レとソの間のドリアンってな感じ、な」
「えっ?」と言ったら、全身「イモ虫」
「はいっ」ってすぐに、左、レソラレ、右、ソドファとやる。
なんだか禅問答みたいでしょ?
ブルーノートの秘密がここにあるのだ。
意識的に、間違えているという言い方もできるから、さらに禅問答になる。
分かり易く言うと、クラッシック音楽の和音を正しいと仮にすると、ジャズコード自体が、そもそも間違った音ということになるのだけれど、意図的意識的にやっている。と、判断基準をどこに置くかで、「正しい」と「間違い」という結論が導き出される。やはり、間違った人間っていないような気がしてきた。法律の内容次第ってことになるけど、でも、暴力沙汰とか、やっぱ、ヤダよぉーね。と、禅問答になる。
下世話ブログ
FreeBoxの技術者。新しいボックスは四十八時間以内に届きます、すでに、五日経っている。
まあ、フランスの日常だから、全然、構わない。息子に電話したら、二三日って、三週間ぐらいのことだよ、パパと言われた。フランス人ではない俺とはいえ、それぐらいは理解できる。でも、不便なのだよ、遅過ぎて。ユーチューブ、見れないし。しかも、毎日、雨雨。イギリスなのか、ここは? 昨年もそうだった。税金払っているのに、この悪天候。なんとかしてくれっ! とはいかない。
「どっちでもいいこと」ということを考えていた。俺のブログのサムネイル。しみじみ見たら、そのままの写真だ。なんか芸がない感じもする。もう少しインターネットしてまぁーす、みたいな感じが欲しいとも思ったけど、なんだか、面倒臭い。俺のブログの性格上、つまり、三文芸人の宣伝ブログだから、まあ、匿名とか面は出さないというスタンスにはならない。露出露出となる。けど、だったら、もっと、お洒落じゃねぇーとなぁーとなる。けど、面倒。結局、どっちでもいいわけね。そう考えると、ランキングバナーも、別にいいわけだ。
村に復帰したら、村長さんも粋で、復帰その一記事がいきなり、注目記事一位。
すいません、お気遣い。やはり、書いている側とすれば、粋な計らいです。
なんか照れつつ、結構、嬉しい、こういうのは。ランキングがなんだっ、などと言いつつ、アップすると、正直、なんとなく嬉しい。こういう感覚は、けっして悪いことじゃないと思います。ライバルとか、競争ではなくて、自己啓発には、いいと思う。営利なんかないから、素直に、はしゃいでていいんじゃないかと思う。大したことではない、けど、そういうささやかさの嬉しさの積み重ねって、なんだか、いい。俺が、トマトの生育を、けっこうマジで観察しているのと似ているかも。
あー、そうそう。俺のお気に入りブロガーさんは、引越した方を除くと、「エッセイ」にいらっしゃる。で、俺は、このカテゴリーしか読まない。他のカテゴリーには、まったく行かない。で、エッセイのカテゴリーも、お気に入りの方しか読まない。全然、その検索したりとか、ブログ散歩とかしない。でも、どうして、お気に入りのブロガーさんを発見したのか、忘れてしまった。たぶん、ブログのタイトル、腰帯、サムネイル、記事タイトル、注目記事とかだったはず。でも、今は、暇人なのに忙しい芸能時間のせいで、「いつも朝日新聞のように読んでいるブログ」しか読まない。時間がないのだ。
で、カテゴリーの中で、俺が意味を知らないカテゴリーがあって、開いて見た。
物凄い閲覧数。ゼロがふたつぐらい多い。ちょっと、一位の方のを開いた。あれっ。インターネットで意味を調べた。へぇー、そういう意味なのって。エッセイのカテゴリー以外、まったく頭に浮かばない俺は、びっくりしたけど、そんな閲覧数は、恐ろしいよ、匿名じゃねぇーし、面割れているし、と思ったのです。
まあ、フランスの日常だから、全然、構わない。息子に電話したら、二三日って、三週間ぐらいのことだよ、パパと言われた。フランス人ではない俺とはいえ、それぐらいは理解できる。でも、不便なのだよ、遅過ぎて。ユーチューブ、見れないし。しかも、毎日、雨雨。イギリスなのか、ここは? 昨年もそうだった。税金払っているのに、この悪天候。なんとかしてくれっ! とはいかない。
「どっちでもいいこと」ということを考えていた。俺のブログのサムネイル。しみじみ見たら、そのままの写真だ。なんか芸がない感じもする。もう少しインターネットしてまぁーす、みたいな感じが欲しいとも思ったけど、なんだか、面倒臭い。俺のブログの性格上、つまり、三文芸人の宣伝ブログだから、まあ、匿名とか面は出さないというスタンスにはならない。露出露出となる。けど、だったら、もっと、お洒落じゃねぇーとなぁーとなる。けど、面倒。結局、どっちでもいいわけね。そう考えると、ランキングバナーも、別にいいわけだ。
村に復帰したら、村長さんも粋で、復帰その一記事がいきなり、注目記事一位。
すいません、お気遣い。やはり、書いている側とすれば、粋な計らいです。
なんか照れつつ、結構、嬉しい、こういうのは。ランキングがなんだっ、などと言いつつ、アップすると、正直、なんとなく嬉しい。こういう感覚は、けっして悪いことじゃないと思います。ライバルとか、競争ではなくて、自己啓発には、いいと思う。営利なんかないから、素直に、はしゃいでていいんじゃないかと思う。大したことではない、けど、そういうささやかさの嬉しさの積み重ねって、なんだか、いい。俺が、トマトの生育を、けっこうマジで観察しているのと似ているかも。
あー、そうそう。俺のお気に入りブロガーさんは、引越した方を除くと、「エッセイ」にいらっしゃる。で、俺は、このカテゴリーしか読まない。他のカテゴリーには、まったく行かない。で、エッセイのカテゴリーも、お気に入りの方しか読まない。全然、その検索したりとか、ブログ散歩とかしない。でも、どうして、お気に入りのブロガーさんを発見したのか、忘れてしまった。たぶん、ブログのタイトル、腰帯、サムネイル、記事タイトル、注目記事とかだったはず。でも、今は、暇人なのに忙しい芸能時間のせいで、「いつも朝日新聞のように読んでいるブログ」しか読まない。時間がないのだ。
で、カテゴリーの中で、俺が意味を知らないカテゴリーがあって、開いて見た。
物凄い閲覧数。ゼロがふたつぐらい多い。ちょっと、一位の方のを開いた。あれっ。インターネットで意味を調べた。へぇー、そういう意味なのって。エッセイのカテゴリー以外、まったく頭に浮かばない俺は、びっくりしたけど、そんな閲覧数は、恐ろしいよ、匿名じゃねぇーし、面割れているし、と思ったのです。
2013年6月23日日曜日
ジャズメンは譜面を見ない
と、内容と連結したタイトルを付けたつもり。結局、森敦さんの話になったりして。それは、やめる。森さんのことは、気楽には書けない。
でね、「ジャズメンは演奏中に譜面を見ない」、これが正確なタイトルです。
どうしてなのか? まぁー、アドリブの譜面なんかないということもある。
リヨンに住んでいる頃、リヨン音大のジャズ科の学生のコンサートがあるから、聴きにきてくれっていうので、行った。演奏は、「悪くはなかった」。この言い方、本来は禁句。「良くなかった」ということ。
その前に、「全員」、譜面台。ドラムスまで、譜面台。演奏中に、各自が譜面を捲る。
興ざめ。
たとえば、俺が、たとえば、ホームのジャズクラブに行く。沖至師匠と佐藤真師匠とのトリオとする。俺が、譜面持って行く。リハはしないから、本番前に、ピアノの譜面台に置く。大体にして、リハ、つまり、リハーサル「さえ」、俺らはしない。この空気の中での「譜面」。
まぁ、シュミレートしてみると、
階下に降りて行く。真師匠、「きみぃー、なに、それ、譜面、病気なの?」と言われるだろう。
沖師匠、眉間に皺、「イサオ、徹夜してでも、フレーズ、覚えて来い」と、静かな口調、しかし、かなり、いらいらした静けさ。と、こうなる。
でね、マイルス デイビスが、譜面台立てて、タイムアフタータイムを吹く。
考えられない。
そう、譜面っていうルールを無視すること、それがジャズの根源だから、
矛盾しているし、だっせぇーーーってなる。
けど、複雑な和音展開とか考えると、少し、許して欲しいのだ、ピアニストには。
えーーーんえーーーん。厳しいねぇー、世間は、って、違うよ、ジャズ屋の掟なんだ。
でもさぁー、あれに似てない? ベッドの上で、マニュアル、読むの?
最近の、草食系は? ってこと、な。たまには、ちょっと、エッチ文にしちまおうって。
でね、「ジャズメンは演奏中に譜面を見ない」、これが正確なタイトルです。
どうしてなのか? まぁー、アドリブの譜面なんかないということもある。
リヨンに住んでいる頃、リヨン音大のジャズ科の学生のコンサートがあるから、聴きにきてくれっていうので、行った。演奏は、「悪くはなかった」。この言い方、本来は禁句。「良くなかった」ということ。
その前に、「全員」、譜面台。ドラムスまで、譜面台。演奏中に、各自が譜面を捲る。
興ざめ。
たとえば、俺が、たとえば、ホームのジャズクラブに行く。沖至師匠と佐藤真師匠とのトリオとする。俺が、譜面持って行く。リハはしないから、本番前に、ピアノの譜面台に置く。大体にして、リハ、つまり、リハーサル「さえ」、俺らはしない。この空気の中での「譜面」。
まぁ、シュミレートしてみると、
階下に降りて行く。真師匠、「きみぃー、なに、それ、譜面、病気なの?」と言われるだろう。
沖師匠、眉間に皺、「イサオ、徹夜してでも、フレーズ、覚えて来い」と、静かな口調、しかし、かなり、いらいらした静けさ。と、こうなる。
でね、マイルス デイビスが、譜面台立てて、タイムアフタータイムを吹く。
考えられない。
そう、譜面っていうルールを無視すること、それがジャズの根源だから、
矛盾しているし、だっせぇーーーってなる。
けど、複雑な和音展開とか考えると、少し、許して欲しいのだ、ピアニストには。
えーーーんえーーーん。厳しいねぇー、世間は、って、違うよ、ジャズ屋の掟なんだ。
でもさぁー、あれに似てない? ベッドの上で、マニュアル、読むの?
最近の、草食系は? ってこと、な。たまには、ちょっと、エッチ文にしちまおうって。
2013年6月22日土曜日
記事タイトルと内容
すいません、なんか、今、気が付いた。
俺のブログって、タイトルと内容が連結していない。
「大雨注意報」池田満寿夫さんの話。
「若人へ」小説の話。
こういうのは、分かり難い。だから、読まれない。
それで、拗ねるのかというと、全然、構わない。これも、やはり、分かり難い。
あっ、なんか、分かんないままPVとかいうバナーを貼り付けた。
分かんないのだけれど、その内、分かると思う。パソコン関係は、蛍光灯で、本当に、なんだか、よく分からない。
そう、俺にとって「ブログは練習なのだ」。これは、はっきりした。
だから、切磋琢磨している道理も、納得できた。
しっかし、こんなブログに付き合って下さる方々、改めて御礼申し上げます。
他人様の練習に付き合って下さる。うるうるする。
なんとなく傲慢自信のようなフレーズのような気もする。一流の小説家が、肩ほぐしに書いてます、とも読める。もちろん、そんなこたぁーねぇー。自信は、ご自身の問題だから、自信過剰でも、なんの問題もないけど、客観的な科学目線で「自分を評価する」をしてみれば、大した野郎では、ない。残念ながら。まっ、いいかっ? 付き合って下さる方々以外は、読んでない、これ。ありゃー、自己採点っていう記事を、書こうかと思っていたのですよ、予告編かな。たとえば、俺俺で、恐縮ですが、自己採点は、二流と三流の間ぐらい、だろう。あれ、ルックスと同じだ。二枚目と三枚目の間。微妙だねぇー、ったく。背丈も、中背。分かり難いって、な。
俺のブログって、タイトルと内容が連結していない。
「大雨注意報」池田満寿夫さんの話。
「若人へ」小説の話。
こういうのは、分かり難い。だから、読まれない。
それで、拗ねるのかというと、全然、構わない。これも、やはり、分かり難い。
あっ、なんか、分かんないままPVとかいうバナーを貼り付けた。
分かんないのだけれど、その内、分かると思う。パソコン関係は、蛍光灯で、本当に、なんだか、よく分からない。
そう、俺にとって「ブログは練習なのだ」。これは、はっきりした。
だから、切磋琢磨している道理も、納得できた。
しっかし、こんなブログに付き合って下さる方々、改めて御礼申し上げます。
他人様の練習に付き合って下さる。うるうるする。
なんとなく傲慢自信のようなフレーズのような気もする。一流の小説家が、肩ほぐしに書いてます、とも読める。もちろん、そんなこたぁーねぇー。自信は、ご自身の問題だから、自信過剰でも、なんの問題もないけど、客観的な科学目線で「自分を評価する」をしてみれば、大した野郎では、ない。残念ながら。まっ、いいかっ? 付き合って下さる方々以外は、読んでない、これ。ありゃー、自己採点っていう記事を、書こうかと思っていたのですよ、予告編かな。たとえば、俺俺で、恐縮ですが、自己採点は、二流と三流の間ぐらい、だろう。あれ、ルックスと同じだ。二枚目と三枚目の間。微妙だねぇー、ったく。背丈も、中背。分かり難いって、な。
2013年6月21日金曜日
若人へ
なんか、突然、「わこうど」っていう言葉を思い出した。ちょっと、ワコールみたい。
でね、俺の行ってた小学校、校庭は土だった。かなり広かった。今回の日本滞在時に、寄りたかったのだけれど、暇人なのに多忙という、この芸能人的矛盾時間のせいで、行けなかった。
うん、でかい欅の木があって、その下に、二ノ宮金次郎の銅像じゃなくて、セメント像があった。
先生が、「毎日、努力すると、こう、なれる」と、おっしゃっていたので、俺は、努力すると、銅像になると、たぶん、勘違いした。
で、俺が、猛烈にお世話になったマンサラ(作者訳 サラリーマン)時代の社長が、日本に帰任する際に、社長室に呼ばれて、「君には、大変、お世話になった。ありがとう。今後とも、よろしく」と言われた。「社長、こちらこそ、本当にお世話になりました。お元気で、日本で、ご活躍下さい。社屋のパーキングに、社長の銅像を建てます」と、申し上げた。社長は、一瞬、もぞもぞし、にかっと笑うと、「うん、どうぞぉー」と言った。社長、お元気でいらっしゃいますか?
でね、今よぉー、ヤノピのくんなまししてたらよぉー(作者訳 ピアノの練習)、りょあぁー、ブログってよぉー、
「なんか、練習じゃん」
と、思った。
おかしいのだ。俺は、ピアノの練習を公開したりはしない。
でも、本当に、そう、思った。ピアノの練習は、雨が降る、雪が降る、風が吹く、なにがあろうが、這ってでも、やる。唯一、やらないのは、唯一じゃねぇーけど、コンサートのある日と、俺、または、家族に関わることがある時は、もちろん、やらない。プリオリティーのナンバーワンは、当然、家族。とりわけ、カミサン、子供の順ね。なんでか、カミサンだけ、他人だから。
子供は、永久に、俺の子供だ。カミサンは、俺の意思でカミサンであって、元は、赤の他人だから、大事にせんと、ばやい(やばい)。これ大事だよ、諸君。
あれれ、だからよぉー、ブログって、このピアノの練習と同じで、本番に備えているってことなんだけど、本番? まあ、小説が本番なんだろう。そのための練習をしている。でも、この公開練習ちゅうのが、分からんけど、ピアノと、どう違うのかな? ピアノを弾いている時に、孤独、孤立、隔絶、こういう感じは、まったくない。でも、仮に、小説の下原稿を書いている。なぁーーーんか、ポツンぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
これが、なんとも、嫌なのだ。
でね、俺の行ってた小学校、校庭は土だった。かなり広かった。今回の日本滞在時に、寄りたかったのだけれど、暇人なのに多忙という、この芸能人的矛盾時間のせいで、行けなかった。
うん、でかい欅の木があって、その下に、二ノ宮金次郎の銅像じゃなくて、セメント像があった。
先生が、「毎日、努力すると、こう、なれる」と、おっしゃっていたので、俺は、努力すると、銅像になると、たぶん、勘違いした。
で、俺が、猛烈にお世話になったマンサラ(作者訳 サラリーマン)時代の社長が、日本に帰任する際に、社長室に呼ばれて、「君には、大変、お世話になった。ありがとう。今後とも、よろしく」と言われた。「社長、こちらこそ、本当にお世話になりました。お元気で、日本で、ご活躍下さい。社屋のパーキングに、社長の銅像を建てます」と、申し上げた。社長は、一瞬、もぞもぞし、にかっと笑うと、「うん、どうぞぉー」と言った。社長、お元気でいらっしゃいますか?
でね、今よぉー、ヤノピのくんなまししてたらよぉー(作者訳 ピアノの練習)、りょあぁー、ブログってよぉー、
「なんか、練習じゃん」
と、思った。
おかしいのだ。俺は、ピアノの練習を公開したりはしない。
でも、本当に、そう、思った。ピアノの練習は、雨が降る、雪が降る、風が吹く、なにがあろうが、這ってでも、やる。唯一、やらないのは、唯一じゃねぇーけど、コンサートのある日と、俺、または、家族に関わることがある時は、もちろん、やらない。プリオリティーのナンバーワンは、当然、家族。とりわけ、カミサン、子供の順ね。なんでか、カミサンだけ、他人だから。
子供は、永久に、俺の子供だ。カミサンは、俺の意思でカミサンであって、元は、赤の他人だから、大事にせんと、ばやい(やばい)。これ大事だよ、諸君。
あれれ、だからよぉー、ブログって、このピアノの練習と同じで、本番に備えているってことなんだけど、本番? まあ、小説が本番なんだろう。そのための練習をしている。でも、この公開練習ちゅうのが、分からんけど、ピアノと、どう違うのかな? ピアノを弾いている時に、孤独、孤立、隔絶、こういう感じは、まったくない。でも、仮に、小説の下原稿を書いている。なぁーーーんか、ポツンぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。
これが、なんとも、嫌なのだ。
2013年6月20日木曜日
大雨注意報
すでに、何度か記事に書いた。今年のフランスは雷雨が非常に多い。
そのせいで、インターネットも通常通り機能していない。
昨晩から、とうとう「ビジランス オランジュ」。今回は大雨注意報がテレビで流れた。
一部の地域では、すでに洪水が始まり、ブルターニュ地方でも家屋破損の被害が出始めている。とりわけ、ドイツ国境アルザス地方は、レベル3。四段階の3だから、かなりの雨量が予想される。このままだと、昨年同様、ぷるぷるした真っ赤なトマトの収穫は危うい。
似たような年が、九十年代半ばにあった。丁度、私は処女出版になった自伝小説を執筆していて、その中に、豪雨と洪水の記述が頻繁に現れるから、よく覚えている。
前置きが、長くなってしまった。さきほど、ウィキペディアの「池田満寿夫」をプリントし、読んで見た。忘れ掛けていた諸々の記憶が、少しずつ蘇ってきた。もちろん、単なるお気楽ブログであるので、池田論とか評伝ではない。
池田満寿夫を知ったのは、高校生の時だ。本当に、突然のように思い出した。
福島県の男子高校に通って、授業中は、ずっと文庫本を読んで、時折、窓の外を眺めていた頃だ。先生方も、そのせいで私のことを、今以て、よく覚えていらっしゃる。「本当に、OO君は、いつも、窓の外を見ていたな」と。
当時、画家、または、小説家、または、とりわけ詩人になろうと思っていた。
そんな高校生に、「池田満寿夫」は大スターに映った。世界を駆け巡る国際的な版画家、詩を書き、評論を書きと、このマルチぶり。もう、あまりの格好良さに、憧れの人になった。美術出版社から「池田満寿夫画集」が、その頃出版されて、たぶん、芥川賞受賞記念だったのだと思う。実は、それは、今でも、私の家の半地下室のダンボール箱の中にある。実に、お洒落な画集で、池田さんご自身の写真、ニューヨーク郊外のご自宅、当時、同居なさっていた女性の写真と、ファン悶絶必至の構成になっていた。実際、悶絶していたのだ。もう、本当にミーハー状態で、格好いいなぁー、俺も、いつかニューヨークへ行くぞと本気で思っていた。結局、私自身も美術の道へ進むことになった。
美術家として、私自身が池田作品からの影響を受けたことはない。
これは、なんの他意もなく、作風および美術感が、あまりに違うためである。
でも、池田作品を私は大変愛しているし、とりわけ、池田さんご本人への畏敬の念は、今以て絶大である。ほとんどの著作は、拝読させて頂いたし、晩年の陶芸作品以外は、作品群も、ほとんど、なんらかの形で拝見させて頂いた。池田さんの著作の中で、もっとも感銘を受けた一行がある。
いいではないか、二流で。二流には軽やかさがある。
このままではないはずだけれど、こういった内容だった。
私が感銘を受けたのは、もちろん、この内容自体もあるけれど、私からすれば大スターである池田さんご本人が、ご自身を「二流」と言い放っていることである。このような境地に、そうそうなれるものではないし、メガロマンである芸術家という人種の口から、簡単には出ない言葉である。
私が、二十一歳で母国を後にした布石に、池田さんがいることは間違いない。
そのせいで、インターネットも通常通り機能していない。
昨晩から、とうとう「ビジランス オランジュ」。今回は大雨注意報がテレビで流れた。
一部の地域では、すでに洪水が始まり、ブルターニュ地方でも家屋破損の被害が出始めている。とりわけ、ドイツ国境アルザス地方は、レベル3。四段階の3だから、かなりの雨量が予想される。このままだと、昨年同様、ぷるぷるした真っ赤なトマトの収穫は危うい。
似たような年が、九十年代半ばにあった。丁度、私は処女出版になった自伝小説を執筆していて、その中に、豪雨と洪水の記述が頻繁に現れるから、よく覚えている。
前置きが、長くなってしまった。さきほど、ウィキペディアの「池田満寿夫」をプリントし、読んで見た。忘れ掛けていた諸々の記憶が、少しずつ蘇ってきた。もちろん、単なるお気楽ブログであるので、池田論とか評伝ではない。
池田満寿夫を知ったのは、高校生の時だ。本当に、突然のように思い出した。
福島県の男子高校に通って、授業中は、ずっと文庫本を読んで、時折、窓の外を眺めていた頃だ。先生方も、そのせいで私のことを、今以て、よく覚えていらっしゃる。「本当に、OO君は、いつも、窓の外を見ていたな」と。
当時、画家、または、小説家、または、とりわけ詩人になろうと思っていた。
そんな高校生に、「池田満寿夫」は大スターに映った。世界を駆け巡る国際的な版画家、詩を書き、評論を書きと、このマルチぶり。もう、あまりの格好良さに、憧れの人になった。美術出版社から「池田満寿夫画集」が、その頃出版されて、たぶん、芥川賞受賞記念だったのだと思う。実は、それは、今でも、私の家の半地下室のダンボール箱の中にある。実に、お洒落な画集で、池田さんご自身の写真、ニューヨーク郊外のご自宅、当時、同居なさっていた女性の写真と、ファン悶絶必至の構成になっていた。実際、悶絶していたのだ。もう、本当にミーハー状態で、格好いいなぁー、俺も、いつかニューヨークへ行くぞと本気で思っていた。結局、私自身も美術の道へ進むことになった。
美術家として、私自身が池田作品からの影響を受けたことはない。
これは、なんの他意もなく、作風および美術感が、あまりに違うためである。
でも、池田作品を私は大変愛しているし、とりわけ、池田さんご本人への畏敬の念は、今以て絶大である。ほとんどの著作は、拝読させて頂いたし、晩年の陶芸作品以外は、作品群も、ほとんど、なんらかの形で拝見させて頂いた。池田さんの著作の中で、もっとも感銘を受けた一行がある。
いいではないか、二流で。二流には軽やかさがある。
このままではないはずだけれど、こういった内容だった。
私が感銘を受けたのは、もちろん、この内容自体もあるけれど、私からすれば大スターである池田さんご本人が、ご自身を「二流」と言い放っていることである。このような境地に、そうそうなれるものではないし、メガロマンである芸術家という人種の口から、簡単には出ない言葉である。
私が、二十一歳で母国を後にした布石に、池田さんがいることは間違いない。
予告編
パソコンが、超絶的に遅い。近日中に、解決するはずなのだけれど、
なんだか、ここ近々、二人の人物が気になってしょうがない。
いわゆる、昔、「嵌っていた人物」が、なんかの拍子、きっかけで蘇る。
池田満寿夫
先生と、なんだか呼ばせない雰囲気
凄く軽い。多芸。私のような多芸は無芸ではなく、多芸は多芸の大先輩
ふと、海外に出る布石のひとつに、池田満寿夫さんがいたことを思い出す
森敦
この私のリズムを崩している「文学」と呼ばれるもの
元文学青年の私の根幹に、森さんの「月山」が君臨していることを、
自分で小説を書きながら、ひしひしと感じた。この呪縛が不機嫌の元なのである
どうしてなのだろう、師匠とか先生とか、この二人は呼ばせてくれない。
私の呼称選択メカニズムの外にいる巨人なのだと思う。
ゆっくり、考察、書きたいと思っている。
2013年6月18日火曜日
心のバランス
今、FreeBoxの技術者が帰った。
やはり、六月六日の雷雨でボックスがいかれてしまったことが判明した。
私の住む町のFreeのオペレーションセンターが、雷でダメージを受けて、一部の地区は、今以てインターネットが機能していないとのこと。私の地区は、超絶的に遅いけれど、最小限度は機能している。でも、ユーチューブの動画の視聴が難しい現状。
ピアノ、コンサート、動画の作成、ブログ書き、ユーチューブでお笑いの視聴。
この生活リズムのお笑いが欠落。それと、このリズムとそぐわない小説、文学。
六月初めからの虚脱と不機嫌の原因も、ついでに判明した。ブログ書きへも多大なる影響が出始め、閉鎖も考えていたけれど、一昨日の両師匠の演奏、および、その後の打ち上げでお話。妙な元気が戻ってきた。やはり、心のバランスを取る私なりのサイクルがあるわけで、今晩も、
沖至師匠と良く知っているテナーサックスとベースのトリオを聴きに行くことにする。かなり、前衛的な演奏になるはずだ。心のエネルギーを充電しに、ジャズクラブへ。スーパーマンのクリスタルの国と一緒である。この薄暗い空間の蠢きが、クリスタルなわけだ。
この心のリズムと調性の上に、家事だ、庭弄りだと平穏な日常が成り立つ。
で、もちろん、ずっと平穏なのに、やはり、微妙な均衡が崩れていた。心の不協和音。
で、この不協和音である小説は、一旦、忘れることにする。むわぁーーーと、意欲が湧くまで、素知らぬ顔を決め込む。そうなんですよ、これって、没頭せんとでけんのです。一ヵ月半、没頭していたから、小休止ですね。この没頭を無理矢理、引き伸ばそうとしたのがいけなかったのだ。ルンルンルン、ミュージックぅー。
でも、心のバランスを保とうと、なぜか、ピアノがぐぅーーーんと上達した。
不思議不思議。左手の訓練をすると、右手が滑らかになるのと一緒かも。
インターネットの回線が直ったら、またまた、ブログ書きを始めようと思い、始めるもなにも、もともと、止めてはいないけれど、また、ちょっと、ちゃんと、というわけでもないのですけど、心のバランスを取るために、再度、鎮守の森を通り、頬被りして、そそそそそそそっと、村に帰りました。やはり、毎日、ずっと拝読しているブロガーさんたちが、皆いるから、お気に入り登録、便利です。さっき、全部、再登録致しましたですます。で、なんか、気合入れて書くのかというわけでは全然なくて、初心に帰る、ずばり、コンサートだ動画のプロモートといった感じなのですました。あっ、そうだ、再登録した後、りゃ、ランキング不参加で良かったよなぁーと思ったけど、どっちでもいいんだから、そのままにしましたですますたい。
やはり、六月六日の雷雨でボックスがいかれてしまったことが判明した。
私の住む町のFreeのオペレーションセンターが、雷でダメージを受けて、一部の地区は、今以てインターネットが機能していないとのこと。私の地区は、超絶的に遅いけれど、最小限度は機能している。でも、ユーチューブの動画の視聴が難しい現状。
ピアノ、コンサート、動画の作成、ブログ書き、ユーチューブでお笑いの視聴。
この生活リズムのお笑いが欠落。それと、このリズムとそぐわない小説、文学。
六月初めからの虚脱と不機嫌の原因も、ついでに判明した。ブログ書きへも多大なる影響が出始め、閉鎖も考えていたけれど、一昨日の両師匠の演奏、および、その後の打ち上げでお話。妙な元気が戻ってきた。やはり、心のバランスを取る私なりのサイクルがあるわけで、今晩も、
沖至師匠と良く知っているテナーサックスとベースのトリオを聴きに行くことにする。かなり、前衛的な演奏になるはずだ。心のエネルギーを充電しに、ジャズクラブへ。スーパーマンのクリスタルの国と一緒である。この薄暗い空間の蠢きが、クリスタルなわけだ。
この心のリズムと調性の上に、家事だ、庭弄りだと平穏な日常が成り立つ。
で、もちろん、ずっと平穏なのに、やはり、微妙な均衡が崩れていた。心の不協和音。
で、この不協和音である小説は、一旦、忘れることにする。むわぁーーーと、意欲が湧くまで、素知らぬ顔を決め込む。そうなんですよ、これって、没頭せんとでけんのです。一ヵ月半、没頭していたから、小休止ですね。この没頭を無理矢理、引き伸ばそうとしたのがいけなかったのだ。ルンルンルン、ミュージックぅー。
でも、心のバランスを保とうと、なぜか、ピアノがぐぅーーーんと上達した。
不思議不思議。左手の訓練をすると、右手が滑らかになるのと一緒かも。
インターネットの回線が直ったら、またまた、ブログ書きを始めようと思い、始めるもなにも、もともと、止めてはいないけれど、また、ちょっと、ちゃんと、というわけでもないのですけど、心のバランスを取るために、再度、鎮守の森を通り、頬被りして、そそそそそそそっと、村に帰りました。やはり、毎日、ずっと拝読しているブロガーさんたちが、皆いるから、お気に入り登録、便利です。さっき、全部、再登録致しましたですます。で、なんか、気合入れて書くのかというわけでは全然なくて、初心に帰る、ずばり、コンサートだ動画のプロモートといった感じなのですました。あっ、そうだ、再登録した後、りゃ、ランキング不参加で良かったよなぁーと思ったけど、どっちでもいいんだから、そのままにしましたですますたい。
2013年6月17日月曜日
シーツオブサウンド
この英語、ジャズファンの方々は、良くご存知の通りです。
ジョン コルトレーン クインテットの演奏に、当時の批評家が付けた名称だったと記憶している。もう、意味はそのままで「音のシーツ」。シーツだけ日本語化しているので、訳すと変な感じ。なんか澱みない音の連続とスイングみたいなイメージです。
で、昨夜は、書き掛けの原稿用紙を蹴散らして、羽毛ぉーーー、ミュージックミュージックと息子と二人で、パリのエスパスジャポンに行ってきた。おぉー、確か、稲垣足穂が、書き掛けの原稿を川に投げ捨てたっていうの、どこかで読んだ。拍手拍手。健全健全、なのだ。俺も、原稿、ステージにぶちまけてピアノ弾いたるわいっ! 急に、元気になるところが現金だし、ミュージッちゃんなのだな、やはり。
沖至、佐藤真、両師匠にニューヨークからのクラリネットとモロッコからのベースのクインテット。
素晴らしいシーツオブサウンドを披露してくれた。客席で改めて師匠連の演奏を聴くのも、なかなか、いいものです。「ぎょわぁーーーん、俺、こんなずげぇー人たちとやらせてもらってるんだぁー」と改めてうるうるする。初めて聴いたクラのおじさんも超絶的に上手かった。クラの後方に、
黒い帽子を被ったモロッコの兄貴。これが、見てくれも音も、実にイカシテイタ。キリン一番絞りを飲みながらウッドベースを弾いていたんだけど、CMに使いたいぐらい様になってた。で、このベース。最近、意外と見付からないタイプのベースなのだ。
ジャコ パストリアスの影響で、ベースをギターのように弾くやつが、物凄く多くなって、もちろん、それはそれでいいし、格好いいし、超絶技巧を見せ付けるぅーーーっていう感じも、もちろん、それはそれでいいのであるけれど、これは、両師匠とも意見が一致していて、オジギャグなんだけど、ジミー ギャリソンみたいな地味な、お淑やかな、弾き過ぎない、内助の功、大和撫子、旦那の後方に隠れている、と性差別じゃないのだけれど、このようなベース、いなくなっちゃったぁーねって、いつも、言っている訳。で、このヨラム ロシリオ、今時、超珍しい、そのタイプなのだ。あまりちゃらちゃら弾かない、一音、「どぉーーーーーーーーーーーーーーーん」と、
これで決めるタイプなのだ。で、こういう女房が、実は一番、怖いことは、ジャズ屋は実生活でも、よぉーーーく知っている。関係ねぇーか? いやぁー、実にイカシテイル。
打ち上げで、真師匠と二人でヨラムににじり寄る。
「ヘイ メェーン、いつまで、パリ?」
うむむ、七月一杯。おりゃぁーーー、真師匠と目配せ。
「あのよぉー、俺、ヤノピなんだけどよぉー、マコトとピアノトリオ、やりてぇーんだ、んで、ベースをよぉー、探してんだぜ」
「あーーー、是非、参加させて下さい」
流暢なフランス語だ。
「りゃりゃりゃ、なんだよ、フランス語、話せんのかよ、でね、なんかよ、メローでスローでジィーンとくるフリージャズのピアノトリオっていう矛盾しているようなしていないバンド、やりてぇーわけ」
「素晴らしい、是非」
あっさりと決まった。
七月にお披露目だっ!
裕イサオ、ピアノ。佐藤真、ドラムス。ヨラム ロシリオ、ウッドベース。
えっ、小説の続き?
知るかって、そんなもん、休筆休筆。
ルンルンルンルン、ミュージックミュージックっ!
ジョン コルトレーン クインテットの演奏に、当時の批評家が付けた名称だったと記憶している。もう、意味はそのままで「音のシーツ」。シーツだけ日本語化しているので、訳すと変な感じ。なんか澱みない音の連続とスイングみたいなイメージです。
で、昨夜は、書き掛けの原稿用紙を蹴散らして、羽毛ぉーーー、ミュージックミュージックと息子と二人で、パリのエスパスジャポンに行ってきた。おぉー、確か、稲垣足穂が、書き掛けの原稿を川に投げ捨てたっていうの、どこかで読んだ。拍手拍手。健全健全、なのだ。俺も、原稿、ステージにぶちまけてピアノ弾いたるわいっ! 急に、元気になるところが現金だし、ミュージッちゃんなのだな、やはり。
沖至、佐藤真、両師匠にニューヨークからのクラリネットとモロッコからのベースのクインテット。
素晴らしいシーツオブサウンドを披露してくれた。客席で改めて師匠連の演奏を聴くのも、なかなか、いいものです。「ぎょわぁーーーん、俺、こんなずげぇー人たちとやらせてもらってるんだぁー」と改めてうるうるする。初めて聴いたクラのおじさんも超絶的に上手かった。クラの後方に、
黒い帽子を被ったモロッコの兄貴。これが、見てくれも音も、実にイカシテイタ。キリン一番絞りを飲みながらウッドベースを弾いていたんだけど、CMに使いたいぐらい様になってた。で、このベース。最近、意外と見付からないタイプのベースなのだ。
ジャコ パストリアスの影響で、ベースをギターのように弾くやつが、物凄く多くなって、もちろん、それはそれでいいし、格好いいし、超絶技巧を見せ付けるぅーーーっていう感じも、もちろん、それはそれでいいのであるけれど、これは、両師匠とも意見が一致していて、オジギャグなんだけど、ジミー ギャリソンみたいな地味な、お淑やかな、弾き過ぎない、内助の功、大和撫子、旦那の後方に隠れている、と性差別じゃないのだけれど、このようなベース、いなくなっちゃったぁーねって、いつも、言っている訳。で、このヨラム ロシリオ、今時、超珍しい、そのタイプなのだ。あまりちゃらちゃら弾かない、一音、「どぉーーーーーーーーーーーーーーーん」と、
これで決めるタイプなのだ。で、こういう女房が、実は一番、怖いことは、ジャズ屋は実生活でも、よぉーーーく知っている。関係ねぇーか? いやぁー、実にイカシテイル。
打ち上げで、真師匠と二人でヨラムににじり寄る。
「ヘイ メェーン、いつまで、パリ?」
うむむ、七月一杯。おりゃぁーーー、真師匠と目配せ。
「あのよぉー、俺、ヤノピなんだけどよぉー、マコトとピアノトリオ、やりてぇーんだ、んで、ベースをよぉー、探してんだぜ」
「あーーー、是非、参加させて下さい」
流暢なフランス語だ。
「りゃりゃりゃ、なんだよ、フランス語、話せんのかよ、でね、なんかよ、メローでスローでジィーンとくるフリージャズのピアノトリオっていう矛盾しているようなしていないバンド、やりてぇーわけ」
「素晴らしい、是非」
あっさりと決まった。
七月にお披露目だっ!
裕イサオ、ピアノ。佐藤真、ドラムス。ヨラム ロシリオ、ウッドベース。
えっ、小説の続き?
知るかって、そんなもん、休筆休筆。
ルンルンルンルン、ミュージックミュージックっ!
2013年6月16日日曜日
静かな日々
五月初頭に種蒔きをしたインゲンが、五月の長雨で全滅してしまった。
日中の最高気温十二度。毎日のように雨。これでは芽が出ない。
再度、畑を耕し、六月に入ってから、やり直した。
こちらはしっかりと土を持ち上げ、小さな葉っぱが覗き始めた。
長雨で、やや萎れ掛けていたトマトの苗も元気を取り戻した。
さっき、カミサンと、私の家の建つ丘の下に、貸し畑があるので、散歩を兼ねて、
セミプロのおじさんたちの作品の偵察に行って来た。
やはり、私の素人畑だけではなく、どの貸し畑のトマトも背が伸びていない。
因みに、昨年は、全滅してしまったのだ。プロの農家以外は。
インゲンの葉も見当たらない。私の素人畑も、なんとか、セミプロのおじさんたちの畑状態を保っている。少し、安心する。
分からない、一週間前ぐらいに、時間という記事をアップして、翌朝、削除した。
読み返して、なんとなく妙なイライラ感が行間に感じられた。
昨日、親馬鹿動画を勢い付いてブログに添付してしまった。
一日、篭って動画作成をしていて、夜に、二本目が完成。調子の悪いパソコンでやっているので、達成感も一入で、アップしてしまった。今朝、起きて削除しようとしたら、随分とすでに再生されていて、諦めた。
ヘンリ ミラーに「クリシーの静かな日々」という小説がある。
でも、本当に小説、文体自体が静かな作品は「マルーシの巨像」。「北回帰線」は、文体自体がハレーションを起こしていて、フリージャズの文章化に近い。
分からない、私は実に静かで平和な暮らしをしているというのに、なにか妙なイライラ感に包まれている。少し、原因を考えてみたら、どうも、この小説の執筆、これが原因と思われる。
この篭り感、世間との断絶感みたいなものが、静かな日々を圧迫しているように思われる。
元々、そういう性質のものなのかも知れない。
やはり、音楽は、もっとずっと健康かも、とも考えている。
そう、一言で、やはり「暗い営為」なんだと思う。耐え切れるかな?
そもそも、なんでそんなもんに耐えているのか、大きな疑問符が立ち上がるけれど、
ちょっと、言葉で説明し難いものが、どこかに、我々? と言ってもいいのかしら、
あるのだろう。
日中の最高気温十二度。毎日のように雨。これでは芽が出ない。
再度、畑を耕し、六月に入ってから、やり直した。
こちらはしっかりと土を持ち上げ、小さな葉っぱが覗き始めた。
長雨で、やや萎れ掛けていたトマトの苗も元気を取り戻した。
さっき、カミサンと、私の家の建つ丘の下に、貸し畑があるので、散歩を兼ねて、
セミプロのおじさんたちの作品の偵察に行って来た。
やはり、私の素人畑だけではなく、どの貸し畑のトマトも背が伸びていない。
因みに、昨年は、全滅してしまったのだ。プロの農家以外は。
インゲンの葉も見当たらない。私の素人畑も、なんとか、セミプロのおじさんたちの畑状態を保っている。少し、安心する。
分からない、一週間前ぐらいに、時間という記事をアップして、翌朝、削除した。
読み返して、なんとなく妙なイライラ感が行間に感じられた。
昨日、親馬鹿動画を勢い付いてブログに添付してしまった。
一日、篭って動画作成をしていて、夜に、二本目が完成。調子の悪いパソコンでやっているので、達成感も一入で、アップしてしまった。今朝、起きて削除しようとしたら、随分とすでに再生されていて、諦めた。
ヘンリ ミラーに「クリシーの静かな日々」という小説がある。
でも、本当に小説、文体自体が静かな作品は「マルーシの巨像」。「北回帰線」は、文体自体がハレーションを起こしていて、フリージャズの文章化に近い。
分からない、私は実に静かで平和な暮らしをしているというのに、なにか妙なイライラ感に包まれている。少し、原因を考えてみたら、どうも、この小説の執筆、これが原因と思われる。
この篭り感、世間との断絶感みたいなものが、静かな日々を圧迫しているように思われる。
元々、そういう性質のものなのかも知れない。
やはり、音楽は、もっとずっと健康かも、とも考えている。
そう、一言で、やはり「暗い営為」なんだと思う。耐え切れるかな?
そもそも、なんでそんなもんに耐えているのか、大きな疑問符が立ち上がるけれど、
ちょっと、言葉で説明し難いものが、どこかに、我々? と言ってもいいのかしら、
あるのだろう。
2013年6月10日月曜日
豪雨と虚脱
なんか小説のタイトルみたいなタイトルを付けてしまった。
パソコンの調子が超絶的に悪い。メールを確認、返信まで、これまた超絶的な時間が掛かってしまった。6月に入り、やっと、こちらも春らしくなってきて、先週は、ずっと快晴。木、金、土と、真夏とはいわないけれど、フランスでは夏日になった。最高気温27℃。それはいいのだけれど、問題は木曜日の夕方。5時半。いつものようにサイレントピアノ、ヘッドホーンで超絶技巧その二段階目の練習をしていた。ヘッドホーン越しに、物凄い雷の音。展望台サロンから、近付いてくる真っ黒い雲が見える。あわてて階下の庭へ。長椅子、サボテン、軒先の洗濯物を片付ける。やれやれとサロンに戻る。ほぼ、5分後に豪雨と雷。その時からインターネットが作動しなくなった。郊外列車もストップ。週末にパリの下宿から帰ってきた通りすがりの息子がFreeBoxと電話でやり取り。原因不明で現在調査中とのこと。昨晩の深夜に息子が、一応、遅いけど回復との公式発表。今朝、起床後、メール等の確認。超絶的にパソコンが遅い。クリックしてから、居眠りしそうになるぐらいに遅い。開いたと思いきや、今度は、返信が書けない。午前中一杯掛かってしまった。相変わらず、ユーチューブは開けない。ブロガーだけ、辛うじて開いたので、今、これを書き出したのだけれど、上部にピンク色のエラーの表示。途中でパーになりそう。そう、そもそも、雷が轟いた時に、私は、ユーチューブにパリライブパート1、32分をアップしていたのである。3時間ぐらいアップロードしていて、結局、ちゃらになってしまった。
ライブの音は、きちんと取れていたけれど、なにせ、ジャズクラブのステージ左の袖にピアノ。
ピアニストだけ、ピアノの裏側の通路にいる。ステージにいるのは真師匠のみ。その通路手前に太い柱。通路だから、ピアニストにスポットライトは当たっていない。結局、娘、および、娘の仲間たちが色々とやってくれたけれど、ステージにいる真師匠の映像と、薄暗い廊下にいる私の映像。二人同時には、どのアングルからも不可能で、あんまり、私の部分が薄暗いので、カラーリング加工をしたら、真師匠の映像は、映像として更に格好よくなったけど、私は黒の中に埋没と相成った。どうにもできないので、このまんま、アップしてしまいます。パート1とパート2を二回に分けて、パソコンの調子が直ったら入れます。
そうそう、そんなことを書きたかったんじゃなくて、なんか、小説一本を脱稿して、「あぁーーーあ、また、お蔵入りになんだろうなぁーーー」と、ふと、思うと、「サハラ砂漠の三文文士トラウマ」が、また、むらむらと蘇ってきて、この読者ゼロ、渾身の一作、でも、読者ゼロ。この長年の悪循環よ、再びっ! と思い出したら、虚脱した。そのトラウマと戦うためにブログを始めたことを、またまた思い出したのです。と、私は、あまり気持ちの浮き沈みとか、方向性を見失うとかは、あまりない方なのだけれど、うな、また、本気になってブログ、書こうかしらぁーーー! なんて、昨日、突然、思ってしまったりしました。なんだか、小説書くの、急激に嫌になった。
と、なんだかんだ言っても、じわりじわりとピアノの技術は、ここ近々、確実にアップしていて、お陰で、上半身はバキバキの大ピアニスト養成ギブス状態なのです。と、やはり、ピアノは私なのだ、ということでした。ピアノの周りで生きているのです。ね。平和なオヤジだっ!
パソコンの調子が超絶的に悪い。メールを確認、返信まで、これまた超絶的な時間が掛かってしまった。6月に入り、やっと、こちらも春らしくなってきて、先週は、ずっと快晴。木、金、土と、真夏とはいわないけれど、フランスでは夏日になった。最高気温27℃。それはいいのだけれど、問題は木曜日の夕方。5時半。いつものようにサイレントピアノ、ヘッドホーンで超絶技巧その二段階目の練習をしていた。ヘッドホーン越しに、物凄い雷の音。展望台サロンから、近付いてくる真っ黒い雲が見える。あわてて階下の庭へ。長椅子、サボテン、軒先の洗濯物を片付ける。やれやれとサロンに戻る。ほぼ、5分後に豪雨と雷。その時からインターネットが作動しなくなった。郊外列車もストップ。週末にパリの下宿から帰ってきた通りすがりの息子がFreeBoxと電話でやり取り。原因不明で現在調査中とのこと。昨晩の深夜に息子が、一応、遅いけど回復との公式発表。今朝、起床後、メール等の確認。超絶的にパソコンが遅い。クリックしてから、居眠りしそうになるぐらいに遅い。開いたと思いきや、今度は、返信が書けない。午前中一杯掛かってしまった。相変わらず、ユーチューブは開けない。ブロガーだけ、辛うじて開いたので、今、これを書き出したのだけれど、上部にピンク色のエラーの表示。途中でパーになりそう。そう、そもそも、雷が轟いた時に、私は、ユーチューブにパリライブパート1、32分をアップしていたのである。3時間ぐらいアップロードしていて、結局、ちゃらになってしまった。
ライブの音は、きちんと取れていたけれど、なにせ、ジャズクラブのステージ左の袖にピアノ。
ピアニストだけ、ピアノの裏側の通路にいる。ステージにいるのは真師匠のみ。その通路手前に太い柱。通路だから、ピアニストにスポットライトは当たっていない。結局、娘、および、娘の仲間たちが色々とやってくれたけれど、ステージにいる真師匠の映像と、薄暗い廊下にいる私の映像。二人同時には、どのアングルからも不可能で、あんまり、私の部分が薄暗いので、カラーリング加工をしたら、真師匠の映像は、映像として更に格好よくなったけど、私は黒の中に埋没と相成った。どうにもできないので、このまんま、アップしてしまいます。パート1とパート2を二回に分けて、パソコンの調子が直ったら入れます。
そうそう、そんなことを書きたかったんじゃなくて、なんか、小説一本を脱稿して、「あぁーーーあ、また、お蔵入りになんだろうなぁーーー」と、ふと、思うと、「サハラ砂漠の三文文士トラウマ」が、また、むらむらと蘇ってきて、この読者ゼロ、渾身の一作、でも、読者ゼロ。この長年の悪循環よ、再びっ! と思い出したら、虚脱した。そのトラウマと戦うためにブログを始めたことを、またまた思い出したのです。と、私は、あまり気持ちの浮き沈みとか、方向性を見失うとかは、あまりない方なのだけれど、うな、また、本気になってブログ、書こうかしらぁーーー! なんて、昨日、突然、思ってしまったりしました。なんだか、小説書くの、急激に嫌になった。
と、なんだかんだ言っても、じわりじわりとピアノの技術は、ここ近々、確実にアップしていて、お陰で、上半身はバキバキの大ピアニスト養成ギブス状態なのです。と、やはり、ピアノは私なのだ、ということでした。ピアノの周りで生きているのです。ね。平和なオヤジだっ!
2013年6月5日水曜日
超快晴
本日、6月4日2013年、フランス、イルドフランス地方は、久しぶりの超快晴。
俺は、これからモンマルトルのサクレクール寺院の裏側のジャズクラブへゴトシに行くのだ。
佐藤真師匠のドラムスと一緒に暴れてくる。これ、ビデオ撮りの予定なので、後日、ユーチューブにてご覧頂ける、はずですだすのだ。考えたら、パリライブ、および、真師匠との動画は作っていない。ご期待の程っ! ドラムスと絡むから、ピアノソロとは、相当に違うのですある。
とはいえ、あんま、お天気良くて、逆に全然ハイにならない。
それでなくとも、なんか年間スケジュールをクリアーしたせいか、その達成感は虚脱感と表裏一体だから、トサリの境地を通り越して、虚脱の境地になっている。珍しくセカセカが停止し、ボーとしている。仕方がないので、やや、今日は控えめになどど、三秒前まで思っていたのに、ベルギーのレフビールを出掛ける前に飲み出して、おまけに、これを書き出した。りゃ!
などと言いながら、本番でハイにならないことは絶対にないのであるのだ。
ゴトシだもん、うな、乗らないジャズなんかお客様へお聞かせでけんのである。
真面目なのだ、俺は。家での練習の最低三倍ぐらいは良くないと、お金、頂けないのです。
んで、行って、真師匠のドラムセットをセットして近所の和食屋さんで、赤ワイン一本を二人で空けて、天丼定食を食べて、ムラムラ感が込み上げた頃にジャズクラブに戻り、炸裂する。
というゴトシがわたくしめの仕事なのでした。気楽なオヤジかなぁー?
でね、面白いのは、うちの息子と娘が、俺、パパのガイキチピアノのファンなのだ。
あんま立派な親父じゃねぇーけど、やぁーーーな親父でもないってことかなぁー?
へっ。
ブロックコードの超スピードで下って来るテクニックは血肉化したのだけど、
今は、それに、さらにブルーノートを絡ませて、さらにジャジーにしたやつを混ぜ込んで、
ただし、スピードはそのまま、という練習途上、途上のまんまで、今晩はやるしかねぇーけど、
まっ、その日、その時、その一瞬に出来るベストをご覧にいれるってことなのです。
まっ、絶対に、これでよしなんちゅうジャズの境地には達しないから、その一瞬に賭けるっ。
決まったっ、格好いいっ!
うるうるうる。
俺は、これからモンマルトルのサクレクール寺院の裏側のジャズクラブへゴトシに行くのだ。
佐藤真師匠のドラムスと一緒に暴れてくる。これ、ビデオ撮りの予定なので、後日、ユーチューブにてご覧頂ける、はずですだすのだ。考えたら、パリライブ、および、真師匠との動画は作っていない。ご期待の程っ! ドラムスと絡むから、ピアノソロとは、相当に違うのですある。
とはいえ、あんま、お天気良くて、逆に全然ハイにならない。
それでなくとも、なんか年間スケジュールをクリアーしたせいか、その達成感は虚脱感と表裏一体だから、トサリの境地を通り越して、虚脱の境地になっている。珍しくセカセカが停止し、ボーとしている。仕方がないので、やや、今日は控えめになどど、三秒前まで思っていたのに、ベルギーのレフビールを出掛ける前に飲み出して、おまけに、これを書き出した。りゃ!
などと言いながら、本番でハイにならないことは絶対にないのであるのだ。
ゴトシだもん、うな、乗らないジャズなんかお客様へお聞かせでけんのである。
真面目なのだ、俺は。家での練習の最低三倍ぐらいは良くないと、お金、頂けないのです。
んで、行って、真師匠のドラムセットをセットして近所の和食屋さんで、赤ワイン一本を二人で空けて、天丼定食を食べて、ムラムラ感が込み上げた頃にジャズクラブに戻り、炸裂する。
というゴトシがわたくしめの仕事なのでした。気楽なオヤジかなぁー?
でね、面白いのは、うちの息子と娘が、俺、パパのガイキチピアノのファンなのだ。
あんま立派な親父じゃねぇーけど、やぁーーーな親父でもないってことかなぁー?
へっ。
ブロックコードの超スピードで下って来るテクニックは血肉化したのだけど、
今は、それに、さらにブルーノートを絡ませて、さらにジャジーにしたやつを混ぜ込んで、
ただし、スピードはそのまま、という練習途上、途上のまんまで、今晩はやるしかねぇーけど、
まっ、その日、その時、その一瞬に出来るベストをご覧にいれるってことなのです。
まっ、絶対に、これでよしなんちゅうジャズの境地には達しないから、その一瞬に賭けるっ。
決まったっ、格好いいっ!
うるうるうる。
2013年6月3日月曜日
声文
昨日から、やっと、春めいた。
そりゃそうだ、六月だよ、本当。
今日は、カミサンと午後中、ピサロの描いた庭の探索という、ここ、小さな町のお祭りをパティシペートしていたのだ。変な日本語だ。
地図片手に、へこへこと、そのお庭巡り。
結構な人手なのに、お店は日曜だから、すべて、閉まっている。
出店もない。このフランス人の商売気のなさは、本当に素晴らしいと思う。
こっちも、ウォーキングシューズにリュック。水。これだけだから、出費ゼロ。
お金の掛からない国なのだ。お金は、ぎょ、観光客が持って来る。働き蜂さんたちが。
ちょっと、問題発言かもね。この国は、女王蜂様なのか?
はい、やっと、アップできた。パソコンの調子が今一なのです。
わたくしめの、イサオ節を、声にしたやつ。
文章が先なのか、声が先なのか、わたくしめにも分からんのです。
ピアノの練習してたら、急に、即興詩みたいのがでけた。
で、やはり、俺のブログ文体そのまま、だ、本当。
そりゃそうだ、六月だよ、本当。
今日は、カミサンと午後中、ピサロの描いた庭の探索という、ここ、小さな町のお祭りをパティシペートしていたのだ。変な日本語だ。
地図片手に、へこへこと、そのお庭巡り。
結構な人手なのに、お店は日曜だから、すべて、閉まっている。
出店もない。このフランス人の商売気のなさは、本当に素晴らしいと思う。
こっちも、ウォーキングシューズにリュック。水。これだけだから、出費ゼロ。
お金の掛からない国なのだ。お金は、ぎょ、観光客が持って来る。働き蜂さんたちが。
ちょっと、問題発言かもね。この国は、女王蜂様なのか?
はい、やっと、アップできた。パソコンの調子が今一なのです。
わたくしめの、イサオ節を、声にしたやつ。
文章が先なのか、声が先なのか、わたくしめにも分からんのです。
ピアノの練習してたら、急に、即興詩みたいのがでけた。
で、やはり、俺のブログ文体そのまま、だ、本当。
2013年6月1日土曜日
暴力力
もちろん、私は、暴力を推奨したりはしない。
たけしさんが、騒動を起こした後の記者会見の映像を見た。
謝罪会見ではない。非常に暴力的な顔をしていた。
随分前に、「俺はギンギラギンの暴力ピアニストだ」と記事に書いたら、
えっ、そうなんですか、裕さんって、というコメントを頂いたことがある。
内的な意味では、その通りなのですが、ちょっと難しい、説明が。
私は、胸倉を捕まれたり、襲われたり、パンチを食らったり、回し蹴りが顔の横に炸裂したり、書類を顔目掛けて投げ付けられたり、と、こういうことは複数回ある。考えてみたら、私自身が、それをしたことはない。会社のデスクをひっくり返した、ホッチキスを壁に投げた、へらへらしているお客さんのテーブルをひっくり返した、ジャズクラブのカウンターを飛び越えて、ラジオを消した、ジャズクラブのテーブルを全部ひっくり返して帰った、こういうことは、たまに、やった。けど、人を殴ったことはない。こちらから、喧嘩を売ったこともない。そういう意味では、温厚ではあるけど、今時の草食系ではない。
私自身は温厚である。私自身への危害は、あまり、怒らない。
ただし、これが、私ではなく、家族へ向かうと、ターミネーターになる。
これが、バンマス、バンドマスターというものなのだと理解している。
日本語だと、家長というやつです。
オスは、暴力力の消耗品。同じことを村上龍さんはタイトルに使っている。
フリージャズ屋なんて、最高の消耗品です。
たけしさんが、騒動を起こした後の記者会見の映像を見た。
謝罪会見ではない。非常に暴力的な顔をしていた。
随分前に、「俺はギンギラギンの暴力ピアニストだ」と記事に書いたら、
えっ、そうなんですか、裕さんって、というコメントを頂いたことがある。
内的な意味では、その通りなのですが、ちょっと難しい、説明が。
私は、胸倉を捕まれたり、襲われたり、パンチを食らったり、回し蹴りが顔の横に炸裂したり、書類を顔目掛けて投げ付けられたり、と、こういうことは複数回ある。考えてみたら、私自身が、それをしたことはない。会社のデスクをひっくり返した、ホッチキスを壁に投げた、へらへらしているお客さんのテーブルをひっくり返した、ジャズクラブのカウンターを飛び越えて、ラジオを消した、ジャズクラブのテーブルを全部ひっくり返して帰った、こういうことは、たまに、やった。けど、人を殴ったことはない。こちらから、喧嘩を売ったこともない。そういう意味では、温厚ではあるけど、今時の草食系ではない。
私自身は温厚である。私自身への危害は、あまり、怒らない。
ただし、これが、私ではなく、家族へ向かうと、ターミネーターになる。
これが、バンマス、バンドマスターというものなのだと理解している。
日本語だと、家長というやつです。
オスは、暴力力の消耗品。同じことを村上龍さんはタイトルに使っている。
フリージャズ屋なんて、最高の消耗品です。
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