2013年9月30日月曜日

参りましたぁー

私のお気に入りブロガーさんの記事の中に、動画が添付されていて、
それを聞いた。懐かしかった(なんで?)。および、感動した、その音楽に。ジャズ屋の私が。
凄いし、それを選択されたブロガーさんのセンスは、超が付く素敵さである。

やばぁー、ジャズ出来ない体にされた可能性がある.....。

私信表明

ちゅららちゅらら、月曜日に、このメロディーと、その歌詞の凄いこと。
NHKって、本当に、お洒落なことをしてくれますねぇー。しかも、ちょっとHな歌詞含む。
でも、おわぁぁぁぁぁーーー、コンサートが近いのに、このメロディーと歌詞が、頭から離れなくなっちゃったぁー。参りましたぁー。
しくしくしくしく=36x4の四苦八苦だよ、あぁたぁー、どぉしてぇくれるんのぉかしら(デビィ夫人の口調で)。





なんのなんの。

10月2日。

俺のニュートリオ、その2。





2013年9月29日日曜日

医者

「先生、目が痛いのです」
「どちらの目?」
「右です」
「僕は、左目の専門医だから、分からないね」
「先生、僕、心の病なのです」
「心臓が、悪いのね。僕は、左目の専門医だから」
「僕、恋をしているのです」
「あぁー、体に悪いね、それは」
「恋煩い? 綺麗ですよね。こういう日本語」
「僕は、詩人じゃないから、性欲鎮静剤を処方致しましょう。性欲がゼロになります。ついでに、副作用で、左目が見えなくなるから、その時に、いらして下さい。専門ですから」
「先生、秋って、いいですよね」
「うん、そうだね、左目の視力回復に」
「で、僕、ふられたんです」
「ふられたという意味が分からないが。アントニオ猪木に両足持って、ぐるぐる振られたということですか?」
「先生、そういう意味ではないのですけれど」
「そのような曖昧な日本語を、医者に問う。いかがなものか」
「あっ、急に左目が痛くなりました」
「どれどれ、ぎょ、なんで先に言わないの、あなた。ターミネーターの左目は、自分で治して下さい。当院では、ご対応致しかねます」

ダフンダッ!



2013年9月28日土曜日

日仏テレビ事情

なんだか、どうでもいいことを書きたくなってしまった。しかも、私は、ほとんどテレビを見ない。
考えたら、ほとんど本も読まないし、音楽も聞かないし、映画も見ない。なんなんだろう? なんか、たとえば、本、音楽、映画、作ってみたいけれど、実際にあるものは、全然、接触なし。
自己中を極めた私っーーー! 自分で作ったものしか読んだり、聞いたり、見たりしないって、病的な偏屈自給自足体制。少し反省して、高名な文学賞受賞の短編小説集を手にした。一作、読んで見た。当然にして、プロだから、良く書けている。私の琴線に触れる鋭い文章も沢山出てきた。識者から絶賛と腰帯に書いてあった。たぶん、私の興味のベクトルがおかしいのだと思う。なんか、ピンと来ないのだ。凄まじく良く書けているし、高名な賞の受賞に異論もまったくない。でも、分からない、私が読みたい、ないしは、私が書きたいこととは、随分と懸け離れている。
私が遅れているのか、進んでいるのか、未確認飛行物体化しているのか? 第一、良く書けている必要はないと、私は考えてしまう。剥き出しのエッセンスで十分と。ミラーの「北回帰線」なんて、まったくもって良く書けていない。無駄文の堆積の合間に、超絶コスミックな思索が、突然、屹立している。

私は、まったく偏屈ではないから、私の琴線に触れるものは、むさぼり読む聞く見る。
でも、私の探し方の怠慢なのか、なかなか見付からない。

あっ、テレビだった。どっちの方が優れているとか、そういうお話ではない。

フランスのニュースキャスター。女性の方が幾分か多いはず。キャスターは画面中央に一人。
二人とか、コメンテーターが横にいる、これはない。今頃、気が付いた。それと、この方たちの職業は、ジャーナリスト。まあ、テレビジャーナリストというのかしら? ジャーナリズムの専門家の方が、ニュースキャスターをしている。女子アナに相当するポストはない。

テレビの司会は、こっちだとプロの司会者。お笑い芸人がMCをしているというのは皆無。
先日、ユーチューブで政治討論会の番組、司会がたけしさんで、少し驚いた。こっちだと、ジャーナリストであるニュースキャスターの仕事。このケースは、キャスターが二名という配置が多い。あと、当たり前といえばそうだけれど、司会者は私見は言わない。まあ、そうだよな。

私が、任意にユーチューブから抽出しているので、日本国のテレビの全体像は分からない。
私の選択自体の歪みも、相当、あるとは思う。とにかくお笑い芸人が多いなぁーという感じ。司会者も皆それだ。という印象。で、どの程度の視聴率なのか分からないけれど、なんでもかんでもお笑い化する。嫌いじゃないけど、現実が筒井康隆ワールドに近付いているとしたら、ちょっと、怖い。笑い、ユーモアは、大変、健康にいいし、コミュニケーションの最大の潤滑油だけれど、馬鹿笑い、ヒステリックな笑いは、体に悪い。脳禁治産者になってしまう。第一、気持ち悪い。

それと、いじめ、体罰を思わせるゲームみたいなものも多い。
この手の番組は、こちらにはない。出演者一同、げらげら笑い盛り上がっているけれど、
私には、不快なので、番組を変えてしまう。芸人、タレント、女子アナと、まあ、同業者相互了解の下に行っていることは分かるけれど、私の笑いが硬直する。だって、桜の木を見て、柔らかい笑みは浮かぶけれど、げらげら笑ったりはしないし、桜のお花を見ると、いつも、梶井基次郎を思い出す。

筒井さんのお言葉では、ドタバタ精神とは、「もう一人の自分が」それを客観的に見ることであると。おちゃらけ、はちゃめちゃ、ドタバタ。やっている側の中の、もう一人のやっている側が客観視していないのであれば、これは集団ヒステリー。これは、怖い怖い。私は嫌だ、そういうのは。

よし、自分の悪口を一生懸命、言うのだっ!
あれ? 私の方が、分裂症なのかしら?



2013年9月27日金曜日

超自我

先日、私の小説原稿を整理し、未発表の短編のみの一つのファイルを作った。
私自身が、もっとも気に入っているシュールレアリズム小説「時計町」、原稿用紙換算で十枚という短短編。このワープロ原稿を、パソコンのオープンオフィスに、再読を兼ねて「そのままコピーしよう」と思い、着手。コピーを始めて、手前味噌そのままで、「おーーー、良く書けているなぁー」と本当に思った。途中で、手が止まる.....。

この作品は、私が三十九歳の頃に書かれている。
会社勤め、もっとも頻繁にコンサート、合間を縫って小説執筆と、私の人生で最も多忙だった時期。良く考えてみると、私の人生の最盛期だったのだろう。その真っ只中に書かれている。

「辛辣、毒気のあるアイロニカルな文章が、随所に出てくる」
この部分が、五十四歳の現在の私にはしっくりしない。つまり、毒気が私の中にないのである。
世間様と、真っ向勝負という気概がなくなっているとも言える。向こうさんが私に興味がないように、こちらも興味がなく、お互い様ぁーという、なんか変な和解をしている。十五年の歳月。しかも、三十代後半から、五十代半ば、人生の大きな過度期。やはり、変質している。しかも、この間の十一年間、私信以外は、一切書かない時期を通過している。考えてみれば、一度も中断していないピアノの演奏に、この変質振りが如実に出ているわけである。

「頻繁に、死という単語が出てくる」
現在の私は、この単語を使わない。これへの恐怖が私の活発な人生を鼓舞していた。
精一杯疾走していないと、失墜する恐怖に慄いていた。熱い生に固執していた。この二つの狭間の中で、突っ走ろうとしていた。このパラドックスは周知のことである。

現在の私の中には、それがなくなっている。両極が融和している。恐怖感はない。
当然にして、生き急ぐ、疾走感もない。我々には、大きなテーマであることに異議はまったくないけれど、私のそれが、それほど大仰なものには思えないのである。私のそれではなくて、もっと巨視的で鳥瞰的でコスミックな目線にしか興味がない。たぶん、深沢七郎さんの「笛吹川」、マルケスの「百年の孤独」。こういった書物が、私の中で、本来的に読み込まれ消化したのだろう。

詩や小説を書く才が、私という人物の中にあるのかないのか、これは分からない。
まったくないような気もする。でも、この目線。これこそ、私が考える作家目線というもので、もし、私がそれを内蔵しているのであれば、もう一度、書き始めてみるのも悪くはないだろう。

ピアノ以外に、もう一つ、自分の中の未知数が増えた。



2013年9月25日水曜日

ピアノと私

今日は、9月24日、2013年。
イルドフランス、超ド級快晴。夏日。海に行こうかと、一瞬、思う。
太陽様が、昨年、10月から、今年の6月までの、寒々しい日々を反省して居られる。はず。

で、この秋夏日の中、私のピアノは停滞。
こういう周期は、ある。で、ジャズピアノは独学だから、自分でメニューを作る。
ここ近々の「超絶技巧、ドラゴンへの道」が、たぶん、消化および満腹状態。行き詰る。

で、こういう状態になると、沖至師匠の言葉を思い出す。
「イサオ、覚えたことは、コンサートでは、全部、一旦、忘れろ。フリーになれ」。
で、さっき、全部白紙撤回して弾いてみた。こういう時は、逆に、弾きなれた曲を弾くと、良く分かる。明らかに、テクが付いている。ボディービルと一緒。っても、ジャズ屋は、その、別に、筋肉隆々ピアノをお見せするという仕事ではないから、逆に変。

1) 出したい音はなんなの
2) 君はピアノで なにを お話ししたいの
3) 上手くはなったけど だから

と、ちょっと、やばい感じが漂う。
あの一言、「いも」。上手いけど「いも」。
「ららららららぁー、イサオ君、いつから、いも、なの?」。

まずいまずい、最低っ!



2013年9月24日火曜日

自分史

快晴の秋の日、今日、自分が生きてきた時間が愛おしくなり、ダンボール箱の中に眠っていた小説原稿を引っ張り出した。正確な枚数は分からないけれど、原稿用紙で三千枚ぐらいだろう。一作ずつページを揃えて、茶封筒に入れた。

1988 処女作。題名がない。手書き。小説というより、長編の散文詩。鋭い文章がぎっしり(未発表)。あまりの詩力に自分に脱帽。昔は、立派な文章書いていたのだっ! 今はヨレヨレ。レイロロレイロロヨオーレヨレ。オレッ!
1993「光」。手書き。これも処女作のスタイルを継承している(未発表)
1993-1994 「私の住む小さな町の名前がタイトル」。手書き。長編観念小説(未発表)。カフカ、イタロカルビーノの影響が濃い感じ。作品の構図としての幾何学的なデッサンも出てきた
1995 「水の記憶」。手書き。散文詩形の自伝小説。某社より上梓
1995 「ノワイエ」。エロティックな観念小説。マンディアルグの影響だったかもしれない(未発表)
1995-1996 「ポリゴーン」。ワープロ原稿。複数の女性達に自宅を乗っ取られてしまった男の長編読物コメディー(未発表)

この作品まで、筆名が本名だった。

1998「実用小説デタラピアノ」。ワープロ原稿。この作品から裕イサオに筆名が変わっている。現在も頻繁に現れるハチャメチャイサオ節の原型になっている。お笑い馬鹿ハチャメチャ言語実験小説。ジャズ菌に、相当、脳が犯され始めていることが歴然(未発表)
1998「コスミックヒステリー」。ワープロ原稿。ジャズ菌の圧倒的勝利のもとに書かれた愚ショートショート集(未発表)

この後、その発展形の中編小説集チュートチュートを執筆。この中に、名作が多い。編集者よりの評価も一番高かったが、未完のまま放置。刊行に至らず。

2001 「横式」。ワープロ原稿。編集者の忠告をすべて無視。はなもげら語、医学用語、辞書の説明文、ことわざ、関西弁、東北弁を駆使した前衛お笑い言語実験ハチャメチャ小説。ミュージックインサイダーには馬鹿受けするも未発表のまま
2012 「OOOOOO」パソコン原稿。今数えたら、脱稿した作品とすると、丁度、十作目。ブロ グ書きの勢いで書いてしまったのほほぉーーーんとした無意味空脳小説。現時点では未発表

と、自分史を整理してみた。
まったく皆様方のご興味外を承知しているのですが、ちょっと、自分用にまとめてしまいました。
すいません。もしかすると、小説家志望の方のご参考程度にはなるのかしら?

自己分析をしてみると、いわゆる、散文詩形にエモーションを封じ込めることと、中編小説に向いていることが分かる。ストーリーテリングの才が、まるっきりない。長編の物語とかは、まるっきり駄目。中編にするとストーリーというより寓話みたいな感じで、私の馬鹿脳を活写し易いことが分かる。

抜きん出た才能という意味ではなくて、自分の傾向を分析すると、訳の分からないイソップ物語みたいなラインが浮上してくる。そうだなぁー、未発表のチュートチュートを整理して加筆することにしよう。この中に、私自身の最高傑作であるブログ記事タイトルに使った「時計町」というブラックな作品があるのだ。

よぉーーーし、着手っ!


2013年9月23日月曜日

セーヌ河畔

こちらフランスも、バカンスモードはお仕舞いで、蚤の市シーズン。
なんとなく、朝起きて、カミサンと近郊地図を見ていたら、あれ、湖なんてあったか、この辺?
近場探検隊の我々は、よっしゃー、いくでぇー。

サンドイッチ持参もいいけど、ちと、肌寒いから、そこいら辺の安レストランに入るということにして、貧乏だから、コーヒー代を浮かすために、魔法瓶。
で、目指すは湖。りゃりゃ、蚤の市じゃん。

セーヌ河畔に、ずらぁーーーーーと屋台。
覗いていこうぜぇーとなり、ぶらぶら。
お昼、腹減ったぁーとなり、ケバブ屋。これって、日本にないような気がする。
トルコ、ギリシャ料理ってなっているけど、馬鹿でかい串刺しの肉がくるくる。
羊、子牛、鳥のミックス。これを、包丁で削いで、サラダと一緒に出てくる。
カミサンは、それほどではないのだけれど、俺は、このジャンクフードが大好きである。
店内の臭いが、日本のラーメン屋の臭いに良く似ていて、こういう感じが大好きなのである。

おぉーーー、食った食ったと腹を突き出しながら、蚤の市の続き。
で、ちょっと、待てよ。湖は? 橋の向こうだよな。
で、車で橋を渡る時、下を見た。

セーヌ川
両サイドの小道
蚤の市の群集

ううううううぅーーー、詩人しちゃおうかなぁー。
川の横の人なのか、人の横の川なのか、両方流れていたのだよ。
毎日、こういう目線。疲れるぜって、裕さんよぉー。




2013年9月22日日曜日

裕伊佐ノ助

時は、文政二年。
当時の、今風に言うと、人気コント作家、裕伊佐ノ助。
安土桃山通りの豪邸の書斎に、ひとり。

百畳はくだらない巨大な書斎の中央。
墨を溶き、筆に浸すと、

マミちゃん 君は 登場人物で 僕は 作者 この力関係は お分かり?
抵抗しても 無駄 僕の 思うがまま 容姿性格 ふっ 好きに出来るのよ
無駄な抵抗は よしなさいね 僕のアンドロイドちゃん バービー人形ちゃん ふっ

達筆である。

伊佐ノ助の資産は、二万両とも三万両とも言われている。
換算推定金額は、二百億リラリララリンダ。だぞっ。

しかし、伊佐ノ助。今風に言うセクハラで、登場人物から訴え。敗訴。
敗訴サイアティーの語源である。極刑である、遠い異国にあるらしい、魔蔵我島へ暇流しになった。今、こやつが、どこにおるのか、誰も知らない。

「ねえねえ、マミちゃん。こないだよぉー、不死屋のよぉー、見る気の広告書いて、シャンゼリゼ、歩いてたらよぉー、室町の頃に揉めた女とよぉー、ばったり。いきなり、マグナムでよぉー、眉間。ちょっとだけ、痛かったけどよぉー。道行く人がよぉー、爆音で騒ぐからよぉー。イッツ ムービー ムービー。ウイ アー メイキング ムービーって、誤魔化したよ、はっはははははぁー」




2013年9月21日土曜日

お庭雑記

七月八月九月前半と、とってもいいお天気が続いていたのだけれど、ここ一週間、雨日。
雨がしとしとなので、お庭は放置新聞。今日久しぶりに秋晴れ。お庭へ。

おわぁーーー、ミニトマトがどばぁーーー。
笊二杯。食べきれないよぉー。いんげんも収穫。
ついでに、庭の奥の林檎の木二本。じぇんじぇん実が生らないので、二年前に剪定して誘引というのだっけかなぁー、枝を水平に伸ばすように麻紐で固定したら、今年は、どばぁーーー。
庭の手前の葡萄の木も、昨年の剪定が良かったのか、どばぁーーー。

毎日、ミニトマトと葡萄と、アップルタルトだな、こりゃー。
貧乏なので、自給自足を目指しているのである。
もう、牛とか飼っちゃおうかしらね。

りゃ、今気が付いた。そういえば、私のブログって動画は、たまに出てくるけど写真がない。
そういえばそうだ。全然、考えていなかった。第一、カメラ持ってないし、旅行先とかでも、まったく写真を撮らない。特別な理由は全くなくて、単に、頭の中にないだけ。

よぉーーーく考えると、私は、どうも静止画より動画の方が好きらしい。
他人が見ている動いている自分を見るのは、超面白い。声も、皆さん、ご存知の通りで、本人が聞こえる声と違う。で、それを見てナルシス君しているのかというと、真逆。

間の抜けた声だよなぁー、うったくぅー
顎のラインがよれて来ているなぁー
目が垂れてきているぞ

なんて、ジーちゃん度の確認をして遊んでいる。
まあ、こんなもんだべって!
今更、誘引したって、枝も伸びんし実も付かんのだっ!

あっ、でね、良くある質問「生まれ変わったら、なにになりたいですか?」。
おぉーーー、来世は庭師になりたいっ、本当に。
植物と一緒にいる仕事がいいんだけれど、来世ってもねぇー、
私、不死なのだよ。御年、八百五十四歳。五歳からピアノ始めたから、
八百五十年ぐらい続けている訳。そのわりに下手だって? なんだとっ、ろここ野郎っ!
ほっといてくれっ!




2013年9月20日金曜日

塩の商人

毎晩、寝る前に、ユーチューブサーフィンをする。
有吉さん、マツコデラックス、ローラ、谷桃子、さまぁーずとか。
やっぱ、さまぁーずの緩い感じがとても好きである。
とりわけ、三村さんがおっさん臭くて好きだ。
大竹さんは、ちょっと、私に似ているところがあって、なんちゅうのかな、好きなんだけど、ちょっと、自己愛みたいになってしまうから、全然似てない三村さんの方が、私には馴染む。

そして、お笑い番組を見ていたら、疲れた。疲れたから、マルセルデュシャンって日本語で打った。五、六編の英語のインタビューが出てきた。以下、私の翻訳で、抜粋する。

インタビューアー「どうして、芸術の道を選ばれたのですか?」
デュシャン「毎日、九時に会社に行きたくないからです」
裕 この超絶的にシンプルな回答っ! 以下、この順序で

あなたは、三十代前半で絵画を放棄しましたが?
「絵描きとは、テレピン油の中毒で、一日、嗅いでいないと落ち着かないのです。私には、一日中、絵を描いていたい、そんな欲求はありません」

あなたの子供たちと呼ばれている世代のアーティストを、どう思われますか?
「若い方は、活発で、とてもいいですね。でも、私がやってきたこととは違います。私はプロであったことは一度もありません。公に芸術家だったことはないのです。作ったものを売る。私は一度もしていない」

二十世紀の美術史を変えた人物と呼ばれているのに?
「私はひとつのプロトタイプかも知れません。それは、大変に光栄ですが、彼らがやっている、単純に申し上げて、芸術を莫大なお金に換金する。すでに、私の考える、それではないのです」

あなたが、寡作なのは、そのせいですか?
「私は、同じコンセプトのものを三つ以上作らないという掟を自分に課してきました。同じことを繰り返すこと、その繰り返しが商売になること、これを避けて来ました」

アンドレブルトンが、二十世紀でもっとも知的な人物と、あなたのことを評しましたが?
「ブルトンは、とてもいい人で、単なる思い付きで言ってくれたのでしょう。しかし、美術とか芸術とか呼ばれるものは、作り手が判断するのではなく、観客の介入。そして、五十年と言った歴史が介入して、初めて、その歴史上の評価が下されるのです。ただ、歴史に残ったものが、その世代の最善のものであったとは限りません。私の作ったもの? 私自身が評価などできないのです」

一日、なにをなさっていますか?
「はい、なにも。私には重要なアポイントなどひとつもありません」
美術館へは?
「もう、何年も行っていません。興味がないのです」
あなたが、一番、聞いて欲しい質問は?
「お元気ですか」


この人物。フランスという国が生んだ。極北の論理的知性なのである。
ルーアンの公証人の三男坊。塩の商人? 錬金術師、マーシャン ドゥ セル。
フランス語の言葉遊び。マルセルデュシャンという音の駄洒落ということ。

塩 錬金術 マルセルデュシャン

たぶん、ミッシェルビュトールの論文だったと記憶している。
そして、最後に、デュシャンは絶対に「作品」と言わない。「もの」、私の作ったもの。
断言もしない。「たぶん」。そして、口癖のように、「興味がないのです」。






2013年9月19日木曜日

久しぶりに記事を書く

実は、ここ一週間、新規の記事は書いていない。
単に、在庫記事の整理をしていた。だから、アップはしている。三つぐらい、渾身の力を振り絞って書いた記事がある。そしたら、書くのが嫌になってしまった。

ダンボール箱の中の、未発表の小説郡が、なんだか、突然、不憫になって、笑いが硬直した。
どうしよう、俺の人生の一部、ねぇー?

脳がピアノ化しているのも、一因ではある。
なんだか、上手くなり過ぎて、その技術が先行する傾向が始まった。
技術が、ブルースを追い越してしまう。ジャズ屋にとっては致命的なのである。

現在、逆噴射している。
初心に帰ろうと。でも、指さんたちが暴走する。
困ったねぇーーー。

でね、アンチビールスのソフトの期限が切れたら、
そのソフトの広告が山のように出る。
アンチビールスソフトの広告が、ビールスとして君臨している。

そうかぁー、これぐらいしないと芸能の道は、厳しいのね。
その内、俺の動画だのブログが、ビールスとして、

あなたのパソコンを襲うっ!

えっ、すでにそうなの?



2013年9月18日水曜日

錯乱錯乱

錯乱 錯乱 よやいのラーソ

わたみす ぎがぁぁーり

錯乱 錯乱 すみかのもぉぉぉぉぉぉーく

スメルも ずるで

ざいや ざいや

ミニ 優香

我我我ぁ ずがぁーーーん ニャロー へらまこいたなぁー 松竹バス
ひゅ。。。。。。。。。。るるるるるるるるるるるるる ルンルン 松竹梅
なに やらせんでぇー ニャロォー しめこててやるぅーーー

うにゃ コャロぉーーーーー

りゃ 

と、私は、現在、この壮大な組曲を作曲しているのである。

リー部 みー あろーん。音宇宙にタ湯多雨、裕先生でした。


古池や お金飛び込む 水の音   (汗) 

古ピアノ ジャズメンたちの 夢の跡  (くくくぅーーー)

古池や よく見たら 肥えたごだった (おわぁーーーーーー)


はい、裕先生の、マジで、これ「楽譜」なのだよ、お若いのっ。



 

2013年9月16日月曜日

わたしのブログ

うん、テーマ、文体が錯乱している。でね、たとえば、見知らぬ方が、なんか、たまたま、見付けて開く。その「任意の記事」が出てくる。その選択された記事によって、

馬鹿 お笑い マジ ミュージッシャン 文学 詩 庭弄り 料理

これでは、まず、いい人なのか悪い人なのか、判断が付かない。
ちゃらけ系なのか、マジなのか、これも?
ミュージッシャンのくせに、音楽のことがほとんど出てこない。
馬鹿なのかインテリなのかも分からない。
結局、得体が知れない、と、なる。

ふむ、そうなんだろうなぁー。

裕イサオ フリージャズピアニスト 几帳面 真面目人間 軽度のアル中、そんなもんあるかってっ! まあ、酒飲みというか酒好きだけど、酒癖はとってもいいどぉーーー、お笑い芸人に変身するわけ、太宰治から、いきなり。温厚、いつも笑みを絶やさない人格者。料理好き。家事庭の手入れ大好き人間。愛妻家。女問題は、一切起こさない。もてもてなのに。一日中、せかせかと動き回る働き者。じっとしていることがない。ジーちゃんだけど、腹は出ていない。中背細身の筋肉質のイケメンシニア。背広を着ると、アランドルワン(遠めのアランドロン)。

と、そうとういい玉、いい球だよ。
でもねぇー、玉の輿は、腰が痛いから駄目ね。
だれか、お見合いして下さいっ! 既婚だけどね。

追記

裕先生の背後に、ゴルゴサーティーン、ジェームズボンド、ターミネーター。
あれっ? だれが雇ったのかしらねぇー。痛っ!






2013年9月15日日曜日

ジャズ神様と詩神様

皆さん、ゴムバンド(訳、今晩は)。
こちらフランス、イルドフランス地方も、すぅーーーかり、秋の気配です。
少し肌寒いのだ。うで、肌寒くなると、冬のお好きな詩神様が酒瓶抱えて現れる。で、現れると、一昨日の記事のようなものを書いてしまうのである。ついでに、ずぅーーーとお付き合い頂いている読者様はご存知の、うっ君(訳、鬱君)も詩神様の後ろから現れる。で、ジャズ神様は、常駐している、酒瓶持って。

今、ヤノピのくんなまし(訳、ピアノの練習)を終了。
ぎょんぎょんのぎょんで、相当、イカシテイタ(訳、イカの天ぷらを食べたいのではなく、フライでもなくて、まぁ、格好良かった)。あぁーーーーー、レフトに、大きなぁーーー栗ではなくて、フライ、どぉーーーん、イカフライ。なに、やらせんでぇー。

でね、ズゥージャ(ジャズ)ってよぉー、

理科アメの絽行くの零度がラ対ゴトシの合間に歌ったブルースがつーるなんだ
気いることが、ら対から、俺はタ歌うのだ

訳

ジャズは、アフリカよりの奴隷、アメリカ黒人の仕事歌を起源とする。
辛い肉体労働の合間に歌われた歌。つまり、ブルース。これが起源である。
「日が昇り、日が沈む」。これがルーツである。一つの鎮魂歌なのだと捉えれば、
現代で、ジャズ演奏をする者達の、深層心理の分析は、十分に可能なのである。
辛いから歌うのである。これ以上の説明の必要はないだろう。



2013年9月14日土曜日

時計町

裕の兄貴は、なんで、ピアノ弾くんすか?

そりゃーね、シエナだよ、イタリアの。

シエナ?

おめぇー、行ったことねぇーか? あっそ。真ん中に貝殻広場があんだよ。行ったことねぇーから分かんねぇーだろな、まっ、石臼だよ。石臼の縁んとこに、うまぁー、商店とか医者とか床屋とか、その、まっ、日常って言ってんだろ、そういうの? が並んでんだよ。で、うまぁー、石臼の真ん中に、でけぇー時計があんだよ。長針がよ、グラジエターの剣みたいでよ、短針は、それを短くした、もっと、幅広なんだよ。で、秒針がよぉー、日本刀みてい。

だからよぉー、迂闊に、広場よごぎっとよ、首、ちょんぎれんだよ。

あぶねぇー、広場の真ん中によぉー、こんな時計な。

で、その馬鹿でかいよ、時計がよ、ずっと、真ん中で回ってんだよ。危なくてしょうがねーよ。



2013年9月13日金曜日

今日でブログ1周年

ぱちぱちぱちぃーーー、と、ひとりで赤ワインを飲んでお祝いしている。
そう、一年前の今日ではない今日に、初めてブログ記事をアップ。
少しして、ブログランキングサイトに登録(現在は不参加)。一ヶ月ぐらい後なのかしらね、村人になりました。

アクセス数が3-7-10-15-20と、なんとなく増えて、記事によっては、ドバァーっても、昔の一クラスの人数。で、20辺りで止まった。まったく、私のジャズクラブの動員数と同じなのだ。
もちろん、私だって芸人の端くれ、大きなシアターで演奏することも、たまにはある。
でも、ステージから見ると、客席が暗いし、闘牛場みたいに上に席が上がっているから、個々人の顔はまったく見えない。そう、薄ぼんやりとした「かたまり」にしか見えない。

ある意味、演奏する側は、やり易いところもある。気配だけで、日常がないでしょ? ある意味、ステージの上にいるだけ。ひとりなのだ。集中し易い。これって、ちょっとパラドックスなんだけど、弾く側は、やり易いわけね。

なんかさぁー、ブログの閲覧数に掛けた負け惜しみみたいに取られると、本当に困るのですけど、私は、これって、あまり好きではない。ジャズクラブで、聴きに来て下さっている面子を見ながら弾く方が好きなのである。ジャズって、そういう音楽だと確信している。マイナーだから、素敵なんだな、この音楽は。インターバルでお客さんと酒飲んで盛り上がり、二部で盛り上がり、お客さんと打ち上げをする。小振りの村祭りなんだけれど、これが、ジャズの基本と信じている。

で、延々と私の愚ブログに付き合ってくれている方が複数いる。
ありがとうございます。お辞儀です。





2013年9月12日木曜日

スーパーベースボール2

舞台裏

一回表の五球目が、これだ。俺達の生活は、どうなるわけ。アナウンサー、高野幸助、等大卒。裕の野郎、こういう、スーパーマンのくせに、その受け狙いスローボールとかよぉー、止めて星野。大体、突然に138kmのカーブ投げたりよぉー、カーブっても、場外から来るカーブ。うなもん、打てるかってっ! まあまあ、高野、そう、かっかするなって、あやつはシニアーマン。勝負にならん。唯一、ロイチ選手のみ。だってよぉー、まだ、中継中だよって、明日の午後まで、まだ、一回の表。やってらんねんだよって!

あっ、筒井監督、出て参りましたっ!

「いゃぁー、なに、僕もね、若い頃は、こういう球、投げたよ」「たまたま」

皆、お休みなさいぃーーーーー。

大体、投げた本人が、マミちゃんと、箱根の温泉に行っちゃったぁー。

これぞっ、スーパーベースボールっ!

ねえ、マミちゃん、あのさぁー、浴衣着てさぁー、箱根の灯火旅館でしょ、なんかさぁー、失楽園しても吝かの薮蚊なんだけどぉー、どや? うざっ。



2013年9月11日水曜日

ドーバーの白い断崖

ドーバーの白い断崖の上に、ひとりの男が腕組みをして立っている姿が、カーフェリーの窓越しに見えた。私も似たようなことをするから、その男の気持ちが手に取るように分かる。

その男は、空と眼下に打ち寄せる白い波の飛沫を交互に見ていたはずである。

その水色の虚空へ飛ぶ勇気を思っていたはずである。
向こう側が、すぐ足元にあることに戦慄というより、柔らかい確認行為といった具合だろう。
消滅。なんとも甘美な夢想なのである。

そして、彼の中に、引き返し家路を辿る、もうひとつの勇気が充満するのである。

その男も、くるっと、そこから立ち去った。

以前、少しだけ吉増剛造さんの散文詩のことを記事にした。
うる覚えのまま、時々、私の脳内に木霊する。こんな意味の詩だった。
それは、君のすぐそばにある。線路を見たまえ。手首の細い血管を見たまえ。いつでも、それは君のすぐ近くにある。ほんの少しの勇気さえあれば、それは、すぐそこにある。でも、そういった勇気が難儀に思えるのなら、君の中の血管ひとつひとつが、もうひとつの勇気なのだ。

私の中で、毎朝、通勤電車がホームに入って来る瞬間に、このうる覚えの詩が木霊していた。
だから、会社を辞した。

くるっと、自分自身へ帰宅した。


2013年9月10日火曜日

夏の終わり

今年のイルドフランス地方の夏は、例年になく「夏らしい夏」だった。
なんか何年も冷夏が続いていた気がする。猛暑の記憶は2003年。ということは、十年ぐらい冷夏が続いた? 北ヨーロッパは冬が長いから、七月八月ぐらいは暑くなってもらわないと、鉄分が吸収できない。うん、今年はフランス語でインデェアンサマー、エテアンディアン、九月に入っても晴天が続いている。最高気温は二十四度ぐらいだから、自転車、お散歩に丁度よい。日本の残暑とは随分違うけれど、イルドフランス、九月に入ると、空のチャンネルがいきなり秋になってしまうのが通常だから、この快晴は、大変に気持ちがいい。

なんか、この時期の光り、空の色、物凄く透明で綺麗である。
水の天体。空気。木々。透明な空を見ながら、どうしても考えてしまう。
太陽とイルドフランス地方の位置関係が、少しずつ、冬へ向かって動いていることを感じる。

それとともに、ミッシェルルグランの名曲「思い出の夏」が、なんとなく頭の中に木霊す。
前にも書いたけれど、この名曲、自分で弾きたいとは思わない。完成し過ぎているのか、イメージが定まり過ぎているのか、よく分からないけれど、なんか弾こうとは思わない。

代わりに、私のやや十八番「サマータイム」を再アレンジしている。
こちらも短調で物悲しい夏の終わりという曲想だけれど、私は、愚直にハードロックみたいに編曲しているのである。へへへへへぇーーー、なんか、自分の年齢を、無意識に忘れようとしているのかも知れない。人生の秋なんだけれど、ピアノの上で、まだ、夏をしようとしているのかも。それで、この曲を、灼熱の夏に無理矢理しているのかもねぇーーー。

こういう愚脳が馬鹿さの秘訣。これでいいのだ。



2013年9月9日月曜日

谷桃子

とうとう見付けた。フリージャズグラドル。
KY? ざけんじぇねぇー。そうではない。桃子は天才ジャズウイメンである。
美人なのかブスなのか、なんか際どい美人である。

でね、お笑い芸人さん。はっきり、あんま、面白くない。

「ド ミ ソっ!」「ソ ド ミだろっ」こういうテクである。いもだ。
これが、仮に「ミ ミ ソ ドぉーーー」いもだ。
そりゃー、ハ長調という調性で、つっこみとボケ、これは分かるけど.....。

でだ。桃子は「空気を読めないタレント」だって?
つまり、空気、調性を読めない?
ばぁーたれっ! 芸人のレベルが低過ぎっ!

桃子は、調性を理解している。

芸人「ド ミ ソっ!」桃子「シ レ ファっ!」
芸人「ソ ド ミっ!」桃子「レ ファ シ♭っ!」「ファ♯ シ レっ!」

紛れもなく、ジャズのテンションコードなのだ。

ローラもそうだけれど、日本国に、こういうネーちゃんが出現する。

素晴らしいっ!

有吉っ、負けんなよぉーーー!


 

2013年9月8日日曜日

天気予報

皆さん、お早うございます。
JAZテレビ、榊原イサオです。
本日の、イルドフランス地方のお天気の模様をお伝え致します。

はい、九月七日午前八時三十七分現在の気温は、温度計が階下にあるため推定体感温度は十二度。室温は二十度。空の様相は、展望台サロンから最上階のホールへ書斎を移動致しましたため、ここからは見えません。しかし、先ほどコーヒーを飲みながら見上げました空の様相は、晴れ。水色という日本語が最も相応しいと思われる、主観的な発言をお許し頂けますようなら、大変に美しい色合いでございます。その水色が地平に向かって白に近付いて参ります。この自然のグラデーションに、わたくし、榊原はうるうるするのでございます。上空の水色の中に、まるで、刷毛でシュッシュと描いたような、なんと申すのでしょうか、勝手に刷毛雲と命名させて頂きますが、この絶妙のシュッシュ。水色のグラデーションにシュッシュ。アームストロング船長が見た地球を、内部から、わたくし、榊原は見ている。この当たり前に、再度、うるうるしたのでございます。

さて、午後のお天気は、なるようにしかなりませんので、晴れないし曇りないし雨かも知れません。しかし、わたくし、榊原の私見で恐縮でございますが、雪の可能性はないと断言しても吝かではございません。

それでは、皆さん、良い一日をお過ごし下さい。

でけた。芝刈り芝刈り。芝良太郎っ。
お庭を坊主刈りにするのだっ。大きなバリカンで。
地球の表面の一部を所有して居るのだっ。うるうる。

地球は、大切に。



2013年9月7日土曜日

柔らかい文体

人 それぞれ 字体がある
面識がなくても 文識でも その人は分かる
それほど 見知らぬ人のことを分かることは難しいことではない

素性?
それほど大事なことではない
ある意味 面識なんぞ いらない

そして わたしが いつも 注意深く 読んでいる? 見ているのは 文体である
わたしのように 錯乱している文体も ある それは そういう人ということである

そうではない人も いる
それは 本当に素晴らしいしその柔らかさその人がとても良く出ている
わたしわたしわたし俺俺俺自分自分自分 私たちはそういう生き物かも知れないけれど

もうひとつ 違う目線に立つと 

意外と 世界はうつくしい 


2013年9月6日金曜日

スーパーベースボール

本日は、往年の大スター、ケントクンタさんをお招きしての実況中継。
提供は、謹聴蚊取り線香と、明日の健康、あなたのヨクルタにてお送り致します。
「さぁーて、本日の見所は、入団一年目、五十四歳の裕伊佐夫投手の二百一勝目がなるかですが.....」
「そうですねぇー、突然現れた、スーパーマン界の新生じゃない、真性の新星ですねぇー」
「裕選手のお話ですと、わすは、突然、ある日ぃーに、スーパーマン化すたのですけど、それまでは、すがない内職すごとをしておりました。なぁーに、ズゥージャのヤノピすとを、すておりました。と、なかなかユニークな経歴の持ち主ですが、いかがですか、クンタさん」
「まぁーーー、稀に、こういう後天的スーパーマンが現れることもあるのである」

さぁーーー、裕投手、大きく振り被りましたっ、ずばっ
今のは、打ち気を誘うスローカーブですかねぇー あっ、球速3282kmと表示
うな、球種を聞かれてもねぇー、見えねぇーーーって
バッター、ロイチ選手。さぁーーー、いかがでしょう
さぁーーー、二球目。ずばっ
三球目、ずばっ。おぉぉぉぉぉぉとぉ、オットセイ。ボールでした。球速53803km

さぁーーー、ロイチ選手、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉとぉ、頓馬の構え。おっとぉーーーボール
二二のカウントになりましたぁー

さぁーーー、裕投手、大きく振り被り、りゃ? 球はどこでしょうか? りゃ、超絶日本プロ野球界前代未聞の超スローボールぅーーーーーーーーーーーーーーーー。キャッチャーミットへの到着は、明日の午後、三時十二分との表示が出て参りましたぁーーー。では、本日の中継を終了致しますが、スローボールの映像は、本日、午後十一時までお送り致しますっ。

続けようかなぁー? ねぇ、マミちゃん、どう思う? うざぁ。


2013年9月5日木曜日

ブログじつはぼくの爆脳雑記

久保はつじ兄貴のブログについて、文芸評論家みたいな文体で記事を書いてみた。
読み返してみたら、なんだか妙に堅苦しくて、私の本意が伝わらない感じがしたので、肩の力を抜いて再度書くことにした。勝手に、馴れ馴れしくも師匠を兄貴と呼んでしまっている。ご容赦のほどを.....。私のお気に入りブロガーさんのブログ批評ではなくて、オマージュを書いてみようかなどと、思っているのですが、なんか、私のブログ、この怪しげな三文芸人のブログで、それを行うとご迷惑になるような気がするので、よすことにした。たとえば、それによって閲覧数がどばぁーと増えるとかのメリットがあり、なんらかのお役に立つのであればよいのですが、そうは思えない。なんか、怪しげな三文芸人ブログで紹介された、なんてマイナスになってしまうのも本意ではない。それで、兄貴のみにする。

「オマージュ1」多面体ブログ。漫画、音楽、文学と変幻自在。お笑い、涙、マジ、高尚考証口承哄笑高唱と、同じ音が変幻自在に変化する。非常にジャズ的なのである。これは、兄貴の豊穣土壌蓄積文学マグマの活断層による生き様と自由脳からの流出なのである。「薬缶象」の漫画、思い出すたびに、くくくくくぅーーーと笑ってしまう。「球体に表裏はない」。仰け反った。「日光は、過去からの光り」。うるうるしながら仰け反った。日毎、拝読させて頂き、時に、バカボンパパ目、逮捕逮捕のおまわりさん目、星飛馬目、へたっと床に座り込み鼻水、そのままべズリー目などと、読み手である私自身の様相も、目まぐるしく変化しているのである。

「オマージュ2」あまり、日記的な記事が出てこない。逆に、ブログ的ではない。この逆様普遍的文学創作SF的科学目線抽象高尚ブログである。一度、兄貴の脳を輪切りにしてみたら、この多面脳の医学的な解明ができるのではないかと推測する。ないしは、恐ろしい形状、私が自ら作り出した言葉、空脳だったりしてぇーーー。その時は、執刀医がマスクの下で鼻水を垂らし、メスを持ったまま手術室にへたり込む姿が目に浮かぶ。ぎょ、裕と一緒だ。You know? なんて、駄洒落で誤魔化す以外に方途がないであろう。

「オマージュ3」兄貴の人生の軌跡を記事から推測する。実に、ユニークである。そうはいない。世界を旅し、日本国を一度、外目で確認し、そして、諸々の文学的な葛藤があったことを存じている。私のそれは、兄貴ほど劇的ではないけれど、少し、似ている部分が多々ある。この外目は日常になっているし、この葛藤もあるのである。「酔った勢いでブログを書いてみた」、この記事タイトルに吸い寄せられ、複数の記事を貪り読み、顔面、笑いながら泣いて鼻水でぐちょぐちょ。だから、愚著。冗談。時より書かれる若い時分のお話。私は、和服に着替え、和室のど真ん中の座布団の上に正座し、パソコンを三回回してお辞儀をしてから拝読しているのである。現在は、東京の某所の球体豪邸にお住まいになられ、広大なお庭の竹薮と戦っておられる。

「僕、なんかにぃー(尻下がり)、日常にぃーーー(尻下がり)、埋没しちゃったかちら? でも、それはそれで、心地いいのぉー(尻上がり)」

なんと率直なお言葉ぁー!
わたくしも、同感なのである。ぐさっ!

えーーー、ちょいと、はっつぁん、そこのなに、へめらも、とってくれぇー
へぇ、なにね、ちょいと、いさこうのやろうがな、なんかおれのことを記事にするってぇーーーから
うぐうぐ(酒を飲む仕草)、もう、おやすみなちゃいぃーーー

追記

どこかの出版社、書籍化してクレヨン(コピーライト、町田康)。
俺、全冊買うからさぁー、ね。芸能人の自叙伝は、後回しで、いいんじゃないのって!
でけた。夏休みの宿題。二年二組。裕イサオ。





2013年9月4日水曜日

石川はつぼく藩

「なんじゃと、石川が攻めてくると?」
「はっ、なにぶん、こういうご時勢、読者数の少なさを競い敗れ申した、はつぼくの兄貴が、攻めてくると」
「マミちゃんを呼べっ」

うぐぐぐ、僕、描写したいんだけど.....。
作者、急にインテリ顔。わたくしの自宅の近所に、リビエドリラダンの住んでいた町があるのですが、ご存知の方はご存知の通りで、ピグマリオン、つまり、アンドロイドを初めて小説化したわけですけど、「未来のイブ」という小説です。詳しくは、筒井康隆大先生へお問い合わせ下さいまし。筒井先生のパロディー、すげぇーーー。

「ねえ、マミちゃん、どうしよう?」
「殿、それは、近親憎悪とフロイトが申しておる次第にございまする」
「風呂と意図、難しい脳ぉー。して、マミちゃんの、心の準備は?」
「殿、なんの準備でございますか?」
「うっふふふふふふふふふふ、それ、なに、まぁーーー、その、園まり子だよ」
「えっ」

「殿、石川の軍勢が.....」

「ちょっと、タンマ、今、僕、トマト、取ってんだもぉーーーん」


追記

いつまでも、師匠をネタに使っていると叱られてしまうので、「ブログじつはぼくの爆脳雑記」という師匠へのオマージュ記事を書いた。明日、アップ致しますので、皆さん、紋付き袴、晴れ着姿で、パソコンの前に正座してお待ち下さい。

次の 停車駅は 辟易 辟易ぃーーー
網棚のお子さん、奥さん、お忘れ物の ないよぉーにぃーーー
次は 辟易 辟易ぃーーー に 停車 いたしまぁーーーす
ご愛読 誠にぃーーー ありがとうございまぁーーーす
次は 辟易 辟易ぃーーー

いい加減に白っ! バァーろぉーーー!





2013年9月3日火曜日

孔雀の羽

ブログの下書きが一杯パソコンに溜まっているというのに、これを書き出してしまった。
もう、一挙に五編とかアップしちゃおうかしら? 五分前まで、ふむ、更新率をもう少しお淑やかな感じにと思っていたのに、結局、これを書いている。

ところで、欲望という名の電車である我々には、諸々の欲望があるけれど、男どもの欲望の中枢は性欲。ある意味、その他は、これから派生しているともいえる。繁殖力。竹内久美子さんの著作に親しんだ方も多いと思う。女性の思考回路、欲望回路は、私は、まったくもって想像ができないので、この男どもに限定させて頂く。

性欲=いいメスのゲット

で、そのために金持ちになる=金銭欲。そのために有名になる=名声欲。繁殖力のキープ=食欲。等々。

いろんな羽の柄を考える。複数の柄が混じっているオスも多い。で、ジャズ屋がゲイジュツ家なのかは分からないのだけれど、このゲイジュツ家の人々は、名声欲の塊系が多い。確かに、ゲイジュツ家、ミュージッシャン、こういう職種は無名では意味がないし、商売として成り立たない。だから、当然、有名の方にベクトルが行く。でも、ゲイジュツ家の名声欲と有名欲は、微妙に違う。有名になりたいのではなく、一角の人物としての名声を得たいのであって、ある意味、知る人ぞ知るなんていう方が、格好いいのである。その有名の質が問題なわけである。

と、ゲイジュツ家の人々は、少し、ややこしい。昔、ユリイカか現代詩手帳で、高名な詩人がネガティブな批評を受けて、あまりの怒りのため、三日間布団から出れなかった話を読んだ。この怒りのエネルギーの凄いことっ!

と、なんじゃらかんじゃらいっても、ゲイジュツも孔雀の羽の一種であることは同じ。
ゲイジュツは性欲の爆発なのである。ということは、私がピアノを弾く、本来的な、その根幹にあるものは、ネーちゃん方にもてたい。ゲットしたい。という結論が導かれる。

とはいえ、性欲は無尽蔵ではないし、永久でもないから、当然、衰える。
羽自体がなくなってしまった。広げる力がない。柄がなくなっちゃったぁー。羽が萎れている。穴だらけになっている。こんなもん、広げてどうすんのぉー、となる。

そうすると、ピアノを弾く、その原動力であった性欲がないのに、その本来の目的、主旨がないのに、ピアノの演奏だけが残る。りゃ? うじゃ、なぜに弾くの、という問題が発生する。仕事だからしぶしぶ弾いている。これは、多分、あんまないだろう。辛過ぎる。

考えてみたら、人前で、是非是非、お聞かせ致したいという欲望。自己顕示欲みたいのは、あんまない。まぁー、お話があればねぇーという感じ。おネーちゃんにもてたくないの? もてたいけど、まぁー、お話があればねぇー。ゲットしたくないの、まぁー、そういう状況になればねぇーと、積極性はまるでない。受身老人。うじゃ、なぜに、ちみはピアノを弾くのか?

なんか、ほとんど、自分のためになって来ている。自分の中の未知数を探って楽しんでいる。長い人生の暇潰し。あと、なんか祈りに近付いてんのかしら? なにを祈っているのか? 

ジャズピアニスト、ビルエバンスが作った曲のひとつにエピローグという、涙なしには弾けない美しい曲がある。難しい曲ではない。音数も最小限。一応、私は弾けるのだけれど、コンサート等では弾かない。なんかねぇー、この曲弾くと、弾き終わったらピアノの上で腹上死するような恐怖が、ちょっと、過るのです。

性欲なきピアニストの最期に相応し過ぎっ。でしょ?


 

2013年9月2日月曜日

はぁーーーい ラーロだよぉーーーん

はぁーーーい、久保(じつはぼくの爆脳雑記)君のブログ、おもしろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉい。
だって、漫画あり、音楽ありで、時々、すごぉーーーく、高尚なの。
こんなのなぁーーーい。裕君のブログ、さいきぃーーーん、つまんなぁーーーい。

でも、久保君と裕君が、さいきぃーーーん、コラボしてるの。
これっ、とっても、おもしろぉーーーーーーーーーーい。ウフフ。

ふたりとも、とぉーーーーーても、馬鹿なのぉーーー、ウフフ。

司会 赤島さんま

「ところでぇー、ラーロは、読んだん、ふたりのブログ?」

ラーロ

「読んでぇなぁぁーーーーーーーーーい」



2013年9月1日日曜日

心のチューニング

一瞬、いつものはなもげら体質で、ろここのチューインガムと書きそうになったけど、止めた。
パソコンの中に、記事が溜まっている。なんか、また、ブログ熱が再発。とりあえず、保存した。まじめにブログ評論を書いてみた。それから架空の馬鹿物語。とりあえず、保存した。

ところで、物事には両極がある。私が、今更、偉そうに書く必要は当然なく周知のことである。
善悪 表と裏 白と黒 上と下 利巧と馬鹿 とか、なんでもいい。

ところで、私は有吉弘行さんの大ファンなんだけれど、最近のテレビ番組をユーチューブで沢山見た。私の話方が、彼のそれに似ていることに気が付いた。

私は、比較的、善良の方のはず。見てくれも、あまり悪い人には見えない、はず。
人のお話も、比較的、聞く方の、はず。あまり、人の悪口も言わないような気がしている。
比較的、謙虚の、はず。裕さんって、良い人よねぇーという方も、比較的、多い、はず。

でも、よぉーーーく考えると、善人面がうぜぇー。謙虚振りやがってっ、ニャローなどと、私を嫌っている方も、結構、多いのかも知れん。うん、私は、ニコニコしながら、毒舌を吐く気がある。かなり相手にとってはきつい発言を冗談口調で言う。うん、昔、課長している頃、社内の私の標語は、「悪口は、本人がいる時、本人の前で、大きな声でやるようにっ!」で、課長自ら実践していた。そして、りゃりゃーーー、いろんな渾名を付けた。私自身、素晴らしい上司だと思っていたけど、よぉーーーく考えると、うぜぇーーーと部下全員が思っていたのかも知れない。「どうせ、仕事なんか面白くねぇーーーから、業務連絡は、卑猥な単語で行うこと。ただし、パワハラ、セクハラ等には抵触しないように、おじさん駄洒落は、出来る限り避けるように」。これが課長命令だったのだ。

でね、まあ、ラジオのチューナーを頭に浮かべて頂くとお分かりになる通り。
左側が悪、右が善。まあ、多少、右寄り辺りにチューニングはしているつもりなんだけど、時々、心の針が、左側にぐぅーーーんと行ったりする時もある。凄く善良な悪人さんって、実際に、いると思うんだけど.....。

あっ、そうそう、五十代になる前、同業者のピアノを聴くと、ぼろくそ言っていたのだ。
最近、大人になったみたいで、そいつの良い所を聴くようになった。そうしたら、自分の力量自体が良く見えるようになった。でも、演奏のパワーはダウンした。分別ジャズになった。

っても、若と老のチューニングも、大分、右側に針が来ているわけね。