2012年12月6日木曜日

吉岡実2

吉岡さん。私には、言葉という素材で、プラモデルを作る子供に見える。
諸々の語彙の収集から始まり、彼の目に見える世界を、その収集した語彙を使って構築する。
生き生きと、きらきらと、見た、その世界を、彼は、紙の上に焼き付けた。

吉岡実。1990年に他界されている。
徴兵、戦地で馬の世話をしていた。日本へ帰国後、筑摩書房へ勤める傍ら、日本詩の歴史を変えるほどの詩業を成し遂げた。

偉人である。でも、そんなところは、少しもなかった。だからこそ、偉人なのである。
偉ぶった人。この真ん中の平仮名を取ると、偉人になるが、そんなことは、絶対にないのである。

問(高橋睦朗)「偉大な人物は?」
答(吉岡実)「好きではありませんね」

吉岡実「わたしの作詩法?」より、抜粋。

冷静な意識と構図がしずかに張り、リアリティーの確立が終わると、やがて白熱状態がくる。或る絵画が見える、女体が想像される、亀の甲の固い物質にふれる。坂の上を歩いている男が去る。つぎに「乳母車」の形態と「野菜」という文字が浮び出る。キャベツや玉ネギ、ぶどう、とにかく球形体の実相のみが喚起される。そんな連想をつなげる。どうして女中や赤ん坊が不在なのか? わたしの中の乳母車は沼へ沈むべき運搬用に必要なのだ。そのつぎに愛が来てもいいと考える。それはヘッドライトに照らされた、雨傘の二人の愛を永遠なものだと断定すればよいのだ。しかし意識のながれは誰の中にでも豊かに流れる。それを停止することが困難だ、すなわち文字の一行一行に定着させることが。発生したイメージをそのままいけどることが大切である。

わたしは自己のなかで一応出来た詩篇はできるだけ手を入れないことにしている。


吉岡さんの詩が、ひとつの即興詩であることが、これで分かる。

吉岡さんの、すべての詩集が絶版であることが分かった。とても残念である。
現在、入手可能なのは、私が所持している「吉岡実詩集」思潮社1968(上記抜粋、すべて、本書より)、および「続 吉岡実詩集」思潮社1995と、私がインターネットで調べた限りでは、明記されていた。



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