2012年9月28日金曜日

三人のピアニスト

わたくしが、影響を受けたピアニスト。影響なんて受ける程の才はないから、好きなでいいか。
正確には、二十三年間のピアノの空白の後、ピアノ再開の原動力になったピアニスト。

「ビル エバンス」
これは動画との兼ね合いがあるので、後述。
こないだインターネットで調べたら、麻薬でボロボロだったことが分かった。
多少は知っていましたが、想像以上に酷かった。

「キース ジャレット」
と言うと、頻繁に、えっ? 裕さん、好きなの?と聞かれる。
そんなに意外ではないと自分では思っとるのだけれど。
あんまりブルーノート使わないし、♯が多い奏法だし、不協和音もあまり使わない。
音が、ハーモニーが綺麗。そのせいで、女性への人気も抜群。

ということもあるにはあるが、俺は実際にロンドン、バービカンセンターで、確か、1981年か82年にソロコンサートを聴いている。白いスポーツウェアー、首にタオル、テニスシューズ。まず、この格好がいかしてた。俺も黒いスポーツウェアーと赤いレイシングシューズと銀色のマニュキア。真似したつもりはないけれど、この頃のキースの格好に近い。マニュキアは、なんか格好いいのでやっている。おかまじゃないよ。でも、女友達に「俺が化粧したら、おめぇーより、俺の方が綺麗だぜ」なんて、いじめトークしてるのはなんなんだ。ごめんなさいねぇー(まつこデラックスの声で)。

で、演奏中の動きが、ピアニストの通常の姿勢、90度のやつではなく、腕は鍵盤と水平に、体は真っ直ぐなんていうのではなくて、下向いて猫背で弾くわ、立ち上がって弾くわ、ピアノの下に潜り込んで腕だけ鍵盤上とか、ヨガの体操そのままだった。その間、ずぅーーーとド音痴の例の歌のような唸り声。この格好もいかしていた。俺もこういう動きはよくやる。真似した訳ではなくて、どうしても演奏上、こうなる。時々、唸りながら弾くのも同じだ。

で、最大の理由。スピード、ノリ、自己陶酔の極地。これがなんとも好きなのです。最近のスタンダード集でも、スタンダード曲なのに、凄まじいスピードとノリ。いかしている。ゲイリー ピーコックとジャック ディジョネット。このハイテクなのに温厚なふたりの紳士に両腕を支えられていなければ、このピアノ悪ガキは、どっかに飛んで行ってしまう。

キースのベストアルバムは、俺にとっては、すいません、タイトル違うかも。ゲイリー ピーコックの「アナザー テイル」。俺が東京でさんざん聴いたから、七十年代後半のアルバムのはず。この中のキースの演奏。インパクトと緊張感は素晴らしい。ジャズピアノの極北です。もう凄まじいの一言。脱帽。シャフルしてスイングして、しかもハイテク。もう、これはかなわん。モーツァルトご本人が、ジャズピアノしているみたいだ。

ロンドンにいる時は、まだ、ピアノを再開していなかった。アート スクールの学生だった。アート スクール出身に、なぜかミュージッシャンが多い。デビッド ボウイ、シャーデーとか。日本でもユーミンとか。なんでかね。で、キースのコンサートを聴いて、格好えぇーーー、俺も、あんな風にピアノ弾ければなぁーーーというのが、ずっと後のピアノ再開の布石になったはず。

坊主刈りの田舎の学生服着た中学生(イサオ君)が、夕日を見ながら、「俺も、東京さ、いぐぞぉー」なんて、心に誓った。その時、イサオは、まだ見ぬ、東京の喧騒を確かに聞いた。行き交う人々、煌々と灯された高層ビルの窓。窓。車のヘッドライトの海。タイトスカートで闊歩するOLの素敵なお姉さんたち(のお尻)。先輩たちは、あんなとこ行くなと言っていた。東京なんて、掃き溜めだと。でも、僕は確かめたい。本当にそうなのかを。そして、僕は立派なジャズピアニストになって、先輩たちを見返してやりたい。僕には、ピアノがあった。なに小説書いてんの?

「山下洋輔」
直接のピアノ再開の原動力になったのは山下さん。
山下さん、お元気ですか? 95年だったと思うのですが、俺が散文詩形の自伝小説の出版記念で郷里に帰っている時に、山下さんのソロコンサートが丁度あった。主催者から電話があって、山下さんの熱狂的なファンと聞いた、コンサートプログラムになんか書いてくれ。で、書いた。ガーシュイン曲集のコンサートでした。終了間際に、プログラムを書いたマルマルさん、ちょっと、お立ち下さいと言われて、あっ、俺じゃねぇーかと立ち上がって挨拶しました。山下さん、「ありゃ、なんだぁーーー、若い人かぁーーー。あっ、ありがとうね」。で、打ち上げで飲みに行って、「山下さん、俺、パリで現代美術やっとるのですが、作品の中にピアノがあるんですよ、是非、弾いて下さい」などと、しゃーしゃーと詰め寄り、山下さん、ちょっと眉間に皺。「あっ、い、いつかね」とおっしゃった。当然だ。忙しくて、若僧の戯言に付き合っている時間はないわな。丁度、今の俺ぐらいの年だった。物凄く物静かな印象で、演奏とかドシャメシャエッセイの印象と随分違ってた。近況は、沖至師匠から聞いています。「ヨースケ、パリに来ててなぁー」と。結局、この作品の中のピアノを自分で弾いたのが、再開の狼煙になりました。ヨースケヤマシタトリオのイメージでピアノを弾き出しました。時々、鍵盤血だらけになっているような演奏でした。

この三人が、ピアニスト、裕イサオの三元素でした。

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