なんだか、仲間の公演。私自身のコンサートと立て込んでいて、ブログタイムは、かなり圧迫されて来ている。けど、根性系の私は、這ってでも更新。巨人の星世代なのである。もともと無内容だから、更新だけはできる。「あっ」、とか一言書けばいいのであるからねぇー。
マキワタナベの舞踏公演を見に行った。ポンピィドゥーセンターの近くだったから、「最近の現代美術」を見てみようとなった。
「現代美術」の前に「最近の」と付けると、なんだか変。
今、売れっ子の三人の美術家の大規模な作品を見た。
三人とも、才能に満ち溢れている。けど、正直なところ、何十年も前に美術と決別した「私」というアーティストを超えていない。これは、残念。率直に、そう思った。通し券を買ったので、最上階の「シュールリアリズムとオブジェ展」、こちらも拝見。
一言で言ってしまうと、そのコンセプト、暴力、熱さ、歴史を変えたパワー、それは微塵もなく、
美術館という「歴史の中に堆積した遺物」であった。つまり、ゴミと一緒なのである。歴史、体制、美術館と、危険思想の外に埋葬されたゴミなのだ。こんなものを、私は崇拝しないし観賞もしない。ただ、それを作ったアーティストたち、彼らは愛おしいし崇拝している。
残ったものなんぞ、彼らの本来の意図ではないのである。
そして、現在を生きるマキワタナベとアイルランドのピアニスト、トレボー・ナイトの公演。
これは、本当に素晴らしかった。
音楽はライブ演奏以外に意味がないと、私は思っている。
演奏者が消滅する時に、その音も消えるのである。
音楽の博物館なんぞ、いらん。
追伸
歴史的な役目を終えた作品観賞。
これは、その「役目」を理解して見る以外にはない。
むしろ、これからの歴史を作っていく若い連中の作品を見るべきである。
美術観賞とは、次の世代を、自分の目で発見すること。
遺物を拝むことではないことは、理解していていいと思う。
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