2013年11月24日日曜日

壊れた時計

この曲は、十五年前ぐらいに作ったもの。
そして、あの時以来、弾けなくなっていた。
私の処女出版「水の記憶」という自伝小説の腰帯の文章が、

「この小説は、壊れた時計なのだ。海の波間に浮かぶ壊れた時計なのだ」

この自伝小説を貫く、ひとつの調性は、「水」「洪水」「世界を飲み込み破壊してくれ」。
三十代半ばの私、つまり、旦那であり、二児の父親であり、家のローンを組み、日系企業の課長をやり、小説を書き、ピアノを再開し、依頼があれば、美術の小品展をやっていた。睡眠時間、三、四時間という時を過ごしていた。

芸術と日常に引き裂かれつつ、それでも、体力の続く限り、その狭間を最小限に食い止めようとしていた。それが「水のイメージ」に集約された。当時の私の中の詩的な叫びの結晶ではあった。熱い過労。倒れるなら、それでもいいと、本当に思っていた。

しかし、現実の姿を、私は見てしまった。
私の脳髄に蠢く幻影ではない、水の破壊力を見てしまった。
それ以降、この曲を弾けなくなっていた。

壊れた時計が、もう一度、動き始める。







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