うぇーーー。その通りです。なにが?
田村(隆一)さんのエッセイの中に、田村さんが小説家の高橋和巳さんに、
「田村君、小説は辛抱だよ」と、諭される場面が出てくる。もう、その通りです。
なんか、良く言えば、しっとり、悪く言えば、辛気臭い文体で、しかも、できる限り「自分を出さない」という逆噴射をしながら、文章の編み物をやっていると、頭痛が痛いのです。その内、腹痛も痛くなって、ゲーリーになって、眩暈に襲われて、長い庭のはしっぺ辺りで、ばったり。
まあ、別に、編集者に急かされているわけでも、明日までに原稿用紙で三十枚なんていうわけでもないから、ひとりサドマゾ。そう考えると、大した話ではない。でも、なんかブログを書く感じとは、やはり、随分違う。縦書きということもあるし(本当に、ピアノを縦に弾いている感じなんだよね。リズムが掴み難い)、なんか「普遍的なもの」なんてことを考えちゃうから、息苦しい。どうでもいいべぇーとか、直ぐに納得して止めてしまおうとする。
金子(光晴)さんが、晩年の自伝三部作を布団の中で、ちびた鉛筆で書いていたと、なんだっけな、昔、現代詩手帳かなんかで読んだ記憶がある。やはり、小説なんちゅうもんは、こういう境地になってからという気もする。まだ、わたくし、若過ぎかしらね?
それと、私の悪いお笑い体質がむらむらと込み上げて来る。
前に書いた、たけしさん体質。真面目な自分に、自分でちゃちゃ入れたくなってしまうのだ。
善人面していると、私の中の悪が忍び寄ってくるし、逆もしかりで、自分でも良い人なのか悪い人なのか分からない。まあ、あんまり、後者は表立っては出てこないから、相対的に前者にしておこっと。あれ、あっ、そうそう、でね、やはり、おちゃらけお笑いをしたくなってくるのですわ、あたくし。まあ、いいや、ピアノで発散しちゃえーって。
ところで、私は納得していない呼称、純文学。全然、読まれていないって、だれからか聞いた。
大体、書物自体が、「もう」、読まれていないっても。本当ですか? 考えてみたら、たとえば、私と同世代の名の知れた作家の本。買い漁って読んだのは、唯一、町田康さんのみ。あと、辻さんの本、何冊か。町田さんの本とか、売れているのかしらね? 分からない。私は、大変に気に入っている。パンク歌手。これって、フリージャズピアニストといい勝負。怪しげで胡散臭い。あと、あの独特な町田節ね。あれこそ、ユニークな文体というもので、その文体で、延々と俺は人間の屑だってやられるから痺れる。辻さんは、日本を代表するロマンシィエール。ストーリーテラーだと、私は思っている。彼らの才能の欠片でもあればねぇー、頭痛も起きないんだろうね。
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