2013年4月10日水曜日

ボサリ雑記パス願いたし

頭が、小説化。小説家じゃないよ。で、段々、ブログる魂が腑抜けといいつつ、まだ、這って書いている。意地汚いのだ。貧乏性、ケチなのかしら、俺よぉー。

レーモン クノー。ご存知の方も多いと思う。もうひとりのレーモン君。
文体練習という小説。同じ物語を九十九通りの文体で書いたもの。痺れるのだよな、こういうのに、俺。なんか、ちょっと、男の子してんのかしらね。あんま、確かに日本に実験小説書く人っていないな。まあ、食えないしな。詩人が食えないのも、実験も、みぃーーーんな、引き継いじゃったわけだ、日本は。

あっ、さっき、シニアっていくつからって調べたのね、六十前後とか六十五とか、定年後とか、会社等では、五十代以降とか、分からんわい。中年って四十以降って書いてあった。俺は間もなく五十四だけど、なんなんだ、これ。中高年の、高年の方に入るけどシニアじゃないらしい。中年でもないしぃー、シニアジュニアってことかよ、な。

でね、この小水の失禁じゃねぇー、小説の執筆なんだけど、
こりゃー、いい頭の体操だし、自分の現在地の確認とかには、おもろいどぉー。
でね、いくつか判明してきた。

あんま、俺の中に深い思考はないことが分かった。脳天気なのだね。
しんみりと人生について、一言なんて思ったけど、特に若い世代へ繋げたいなんても、ちらっと、思ったけど、実は、そんなもんはねぇー。邪頭菌の威力を思い知ったのだよ、強力現在形のその日暮らしの音あるのみ。脳挫傷だわな、こりゃ。正直、人生とか人間とか、どうでも良くなっている。その時その時の演奏あるのみ。明るい刹那みたいな感じなのね。こういう人に、文学は、ちと、無理なんじゃなぁーい。

草木とお話したり、太陽の顔色を伺ったり、音のプールをばしゃばしゃ。
やっぱ、人間に興味ないのだ。えっ、俺も、人間なの? 路傍の草って感じかしら、ね。
とさりの境地。うんうん。文学は、ちみに任したっ! へっへへへへぇー、でも、小水の失禁は、違う、憔悴の執筆じゃない、小説化は、止めないっ!



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