フランス語のデジャブゥ。どこかで一度見た。
ちょっとニュアンスが違うけれど、日本語の原風景。
でも、私が、改めて感銘を受けた大聖堂は、そのどちらでもない。
でも、どこかで「同じ印象」を受けた記憶を昨日から辿ってみた。
脳内のキーワードに「岩山」があった。そう、グルノーブルの岩山。断崖絶壁の岩山。垂直の巨大なもの。裾野がない。
その絶壁の「足元に」、家々が建っていた。
「蟻のように小さい家」が。もちろん、相対的な印象である。
因みに、その大聖堂を建立したのは、「蟻のように小さい家に住む蟻」、つまり、我々。
どうも、上手く書けない。私は、なにかを書きたいのである。ポジティブでもネガティブでもない、この、今、私が書いた「我々」というものを。
ただし、ブログの領域では、ない。
と、私は考えている。もし、その上手く書けない、なにか、巨大な内的なものがあるのであれば、それは、詩であり、小説。もし、文字化という意味では、と考えている。
どうして、私が、その大聖堂を見に頻繁に足を運んでいるのか?
その理由自体を、ブログに書こうとは、全く、思っていない。
そして、そういう思いが詰まっている若い世代の方々への、私なりのメッセージなのである。
私自身、その内的な巨大なものに、言葉で対峙する日が来るのか、分からないから、ピアノを弾いて、それを宥めているような風にも思える。
文章の上手い下手、論外だろう。
ブログは、助走という意味合いで、私は、大変に愛している。
とても、素敵だと思う。
追記として
日本の東大寺の天井高 28m 世界最大のゴシック大聖堂はケルンないしアミアンの大聖堂
因みに、アミアン大聖堂の天井高 42.3m ケルン大聖堂 45m そして、「私の」大聖堂48.5m 今夏に訪れたイギリスのカンタベリーに、小さな小さな世界遺産の教会がある。ハリーポッターそのままのお墓の真ん中に、小さな小さな教会。建立されたのが593年。教会の中に、お婆ちゃんが座っていた。「英国で、一番古い教会ですよ」と、私に説明してくれた。過去と未来がメビュウスの輪になっていることは、周知の通りである。
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